映画(4)Yahooブログより転記

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映画「シェ-ン」にはモデルになった事件があった。

僕が住んでいたワイオミング州ジレットの町から車で45分ほど西に行くと、
ケーシー(Kacee)という人口240人ほどの小さな村があった。

http://blogs.yahoo.co.jp/anragi2hiro/5088018.html 
(前にそこに住む一家に関して書いたので参照してください)

1892年にその土地に入植した開拓移民のJhon Molanという土地に
牧畜業者が侵入して、彼の土地を借りている家族を殺害したことから事件は
ジョンソン郡戦争と呼ばれる争いに発展したらしい。

「シェ-ン」に出てくる雇われガンマンのように無法者が集められたそうだ。
土地をめぐる開拓農民と、牧畜業者とのいさかいはその頃結構あったようである。

その事件に18才で参加したという人が1963年に亡くなったというローカル新聞を読んだ。
彼は生涯、その事件に関しては口を閉ざしたままだったそうである。

*「シェ-ン」の製作当時のキャッチフレーズである。
There necer was a man like SHANE. There never was a picture like SHANE.
(シェ-ンのような男はかつていなかった。シェ-ンのような映画はかつてなかった)
The Gratest Story Of The West Ever Filmed.
(これまで作られたことのない偉大な西部劇)

アラン・ラッド(1913~1964)
5才の時、マッチをいたずらして住んでいたアパートの火事を起こす。高校時代は
水泳でオリンピックまで期待されたが、怪我で断念。ラジオで活躍していたのを
見出される。背は165cmと低かった。
1962年に銃で自殺未遂、1964年にはアルコールと鎮静剤の服用過多で死亡、
自殺と見られている。

ジャック・パランス(1919~現在)
黒ずくめの殺し屋役がよく似合っていた。背が193cmと高く、1940年代は
ヘビー級のプロボクサーだった。

ジーン・アーサー(1900~1991年)
「歴史は夜作られる」でクラーク・げーブルと共演。声はかすれ声で、蛙の声と
言われたらしい。「シェ-ン」が最後の映画出演。

ブランドン・デ・ウィルベ(1942~1972年)
子役のジョーイを好演。ラストシーンで彼の叫ぶ「シェ-ン、カムバック」
の声が山にこだまするシーンは最高。交通事故で30才で亡くなっている。

写真は「シェ-ン」の舞台になったグランド・ティトン公園の山々

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アメリカの悲惨なルーツも数々ありますね・・・広大な土地・開拓・・・幼い頃、父に見せられた映画・・・「COME BACK SHANE!」言葉が脳裏から離れません。ゲスブにコメント入れました!ありがとうございます。削除

2006/8/2(水) 午後 5:01yuy*h*mek* ]返信する

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アラン・ラッド主演「シェ-ン」を初めて見たのは1970年代の後半で
東京は大塚にあった大塚名画座だった。

この映画は1953年製作で日本では53年、62年、70年、73年、75年と
リバイバル上映されたらしい。
映画を観る前からなんとなく観た気がしていたのは
僕が小学校の頃に一回り年の離れた姉がその主題歌を
口ずさんでいたせいかも知れない。

江利チエミが歌っていたと思っていたら雪村いづみが歌っていたようだ。

「遥かなる山の呼び声」

 青い たそがれ
 山が招くよ 呼んでいるよ
 広い草原に 陽は落ちて
 胸にせまる はてない悩み
 山が 呼んでる
 夢もあこがれも 山の彼方
 暗い草原に ただ一人
 馬を飛ばし 何処までゆくのか
 わたしゃ無宿の 渡り鳥だよ
 さすらいの はてはいづこ
 遠い山の あの呼び声に
 今日も 誘われてゆく

There are trails I’ve never seen
And my dreams are getting lean
And beyond the sunset
There are brand new thrills
And a new dream or two
May be just one star away
I must obey the call of the far away hills


『シェーン』のロケ地は、ワイオミング州西部に広がる標高2000メートルの高原
グランドティートン国立公園だそうだ。

ワイオミングに住んでいた頃にイエローストーン公園に行った。
その際に立ち寄った所がジャクソンという町だった。
ハリウッドスターも多く訪ねるというスキーのリゾート地でもある。

そこの民俗資料館に立ち寄ったら、
そこの敷地に掘っ立て小屋がトレーラーにつながれて置かれていた。
こちらから聞くまでもなく、館内の人からあれが「シェ-ン」に使われた小屋だと説明された。
映画の撮影後、資料館敷地に移動したのだろうが、
このあたりが「シェ-ン」の撮影地だったとは知らなかったので正直言って驚いた。

「シェ-ン」はそのジャクソンにある高校のグラウンドで主に撮影されたと係りの人は言っていた。
多分、グラウンドにセットを作り、グランドティートンの山並みを背景に撮ったのだろう。
(続く)

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元プロのボクサーで大柄な悪役の良く似合う方でしたね。87才は天寿をまっとうしたものと思います。ご冥福をお祈りします。削除

2006/11/11(土) 午後 0:54anr**i2hi*o返信する

  

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子供ながらにアランラッドの早撃ちにはしびれた覚えがあります。削除

2007/1/11(木) 午後 10:57Ken-san返信する

  

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こんにちは。
先日、街を歩いていたら、玄関に
映画「シェーン」のポスター(看板)を貼ってある家がありました。削除

2008/5/16(金) 午後 10:46kemukemu ]返信する

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借家の玄関の前に樹齢80年ほどの大木が生えていた。
過去形になったのは旅行をしている間に大きな木の枝が折れて落下
、隣の家の車庫を塞いだので切り取られたせいである。
隣家から警察に連絡が行って、警察の方から大家には連絡が来たらしい。

何も切り倒すこともないと思ったが、
借家の屋根の上に掛かっている大枝にも空洞が見つかったということで、
僕らが旅行から戻ってくると木はすでに根元からバッサリと切り取られていたという訳だ。

大枝の落下の際に、ケーブルTVの線も切断されて
3~4日TVもケーブルネットに接続しているインターネットも使えなかった。
TVの異変に気づいたのはケーブル線の工事に来てもらって2週間も後のことで、
これを日本語では「不幸中の幸い」と多分言うのではあるまいか。
もしくは「棚からぼたもち」と言っていいかも知んない。
英語では多分「ラッキー」と言うのだと思う。

つまり、これまで基本料金で20チャンネルほどだったケーブルTVのチャンネル数が
工事に来てもらったところ70数チャンネルに増えたのである。
おかげでCNN、ディスカバリーチャンネル、ヒストリーチャンネル、
コメディチャンネル、TCM(ターナー クラシック ムービー)といった番組まで
見られるようになった。

まあ、そういう訳でアメリカの古い映画が見られるようになったのである。
1940年代~70年代の映画が主に流れているようで、
ハンフリー・ボガードやジェームス・キャグニ-などといった
なかなか日本では見られない古い映画が放映されている。

この間もハンフリー・ボガードとローレン・バコールの映画が放映されていた。
タイトルは忘れたが、身に覚えのない妻殺しの罪で刑務所に送られたボガードが
脱獄、整形手術を受け顔を変え、バコールに助けられながら真犯人を探し出すという映画だった。
そしてその真犯人役がどこかで見覚えのある女優だったのである。

まあ、あまり気にせずにいたらまた別の1945年製の映画で見かけたので
TCMのサイトを調べたらAgness Mooreheadという1900年生まれの女優だった。
経歴を見ると1941年のオーソン・ウェルズ「市民ケーン」が映画デビューとある。
さらにたどっていくと何とTVシリーズ「奥様は魔女」のサマンサの母親役をしていた方であった。

40代以上の方はその番組を覚えていると思うが、魔法を使わないという約束で人間の旦那(ダーリンと呼んでいた)と結婚したサマンサ(エリザベス・モンゴメリー)の引き起こす騒動を描いたコメディだった。柳沢真一の「・・ただ一つ違うことは奥様は魔女だったのです」というナレーションを覚えている方も多いと思う。「奥様は魔女」の放映が1964~72年とあるからロングランの人気番組だったことがおわかりいただけると思う。

彼女は1974年に肺ガンでなくなっている。
そしてその死因になった肺ガンが"The conquerer"という映画の撮影が
ニューメキシコの原爆実験に使われた砂漠で行われたせいではないかという噂があったそうだ。
他の共演者であるジョン・ウェインやスーザン・ヘイワ-ス、
さらに監督のディッカ・パウエルといった人たちの死も
それに関連していると言われているらしい。

そういえば20年程前に広瀬隆か隆一という名の著者だったと思うが、
ジョン・ウェインの死が原爆実験のあった砂漠での撮影に起因している
という本があったように記憶している。
「奥様は魔女」の母親役の方の死もそれが原因だったとは意外な驚きであった。

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「ジョン ・ ウェイン は なぜ 死んだ か」 広瀬 隆 著 1982年ですね。ジョン・ウェインの肺ガンの原因が被爆なのかどうかははっきりしてないようですが、あり得る話のように思えますね。 アガサ・ムーアヘッドの日本語サイトです。 http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=38977削除

2006/7/27(木) 午前 10:37anr**i2hi*o返信する

  

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スティーブ・マックイーンの死因もそう言われていたような‥‥、削除

2006/7/28(金) 午前 9:21kan*m*270 ]返信する

  

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ジョン・ウエィンもマックイーンも肺ガンでしたね。そして二人ともガンであることを知りながら最後の最後に彼ららしい映画を撮り終えてました。ジョン・ウエィンが確か「ラスト・シューティスト」という映画でマックィーンはタイトルは忘れたが、賞金稼ぎの役だったのを覚えています。病気をおして撮影した俳優の執念を感じました。削除

2006/7/28(金) 午後 1:02anr**i2hi*o返信する

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自慢じゃないけど、ピーター・フォンダと一緒に映画を観たことある。自慢じゃないけど別に誘い合って行ったわけじゃない。銀座の映画館で”ザザビーズ ビー”というサンダンス映画祭の試写会の招待券に当たって行ったんよ。ほしたら、舞台で、監督とジーンズにタキシードの上着を小粋に着たフォンダが挨拶していた。

まぁ自慢じゃないけど、映画が終わってびっくり。通路を一つ隔てた後ろ席に彼と娘らしき(ブリジットではない)がいたんよ。用意のいい人というのはいるもんで、色紙を差し出しサインをねだる奴がわっと集まって、僕はその後ろからフォンダの後頭部を見ていて、自慢じゃないけれど彼は河童のように頭頂部が禿げてた。

まぁ、自慢じゃないけれど8年ほど前の話。ということで内容はほとんど覚えていない。

きのうケーブルTVのTCM(Turner Classic Movies)で「サヨナラ」という1957年製のハリウッド映画を観た。ミュージカル「南太平洋」を書いた方の小説が原作で戦後の日本におけるアメリカ兵と日本女性の交際、結婚の苦難が描かれている。全編、京都と思われるロケで半世紀前の日本の家屋、風俗、エキストラの人たちを見るだけでも興味深い映画だった。

主演のマーロン・ブランドは前にも「八月十五夜の月」という沖縄の茶屋を舞台にした映画にも出演している。最近の日本を舞台にした「芸者さゆり」や「ラストサムライ」でも目についたことだが着物、家屋、ロケの撮影にかなりの予算をかけているのがわかる。日本人から見たら、ちょっとおかしな場面もあることはあるが、それくらいは目をつぶってもやはりハリウッドの大作は映画の面白さというものを満足させてくれるものだ。

http://tcmdb.com/title/title.jsp?stid=89152 TCM(英語)
http://vintaka.fc2web.com/sayonara.html(日本語)
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=3705(日本語)

  

"March of the penguins"「ペンギンの行進」(仮題)というDVDを観た。南極だと思うが、そこでのペンギンの生態を撮った高質のドキュメンタリー映画である。

遠くからペンギンが一列になって体を揺らしながら歩いているシーンは人間が行進しているようにも見える。地球にはほんとうに不思議な生物がいるものだと改めて思った。

昔、イギリスとアルゼンチンがワールドカップじゃないや、フォークランド島の領有をかけて戦争をしたことがあった。いつだったんだか・・確か鉄の女と異名を取ったサッチャー女子が首相のときだから15年以上前だよね。

そのとき、イギリスのジェット戦闘機が南極近くの島の上を飛んだのだそうだ。その飛行士の目撃証言がトピックで新聞の片隅に載っていたのを覚えている。

ジェット機が彼ら(ペンギンです)の上を通過すると、それぞれのペンギンが一様に空を見上げて、ドミノ倒しのようにパタパタと倒れていった・・という記事だった。

あの燕尾服を着たような格好のペンギンが、空の上のジェット機を見上げる。目線はジェットの軌跡を追いながら、ある角度までくると首が回らなくなりそのまま後ろに倒れる。一匹や二匹ならおかしくもないが、それがすべてのペンギンがパタパタと倒れる様子を想像するとユーモラスで愉快である。

もちろん、映画はそのことには触れていない。ユーモラスに見えるペンギンの過酷な極寒の地での姿を執拗に撮影している。

子供を生むときは水辺から100kmも離れた氷の厚い内陸部へと列を組んで行進、移動する。ひたすら、もくもくと歩いていく。

卵が生まれると最初はメスが卵を抱える。寄り添うように風や寒さをよけて身を寄せている。食事も取らずに卵を足の間とお尻の毛の部分で温めるのだ。その後、オスと卵を抱くのを交代する。

メスはオスが卵を抱いている間にやはり100kmほど離れた元居た場所へ餌を食べに帰っていく。メスが戻ってくるまでの約3ヶ月間、オスはメスと同じように足とお尻の毛の間に卵を挟んで暖めている。その間、食事は一切しない。

無事、卵からヒナが孵る。最初のヒナの食事はオスが胃の中から分泌したものを食べさせている。その後、メスとヒナの面倒を交代して、オスはやはり一列に行進して100km離れた餌場へと出かけていく。

吹きすさぶ嵐の中でも卵を抱えたまま食事も取らず3ヶ月も立ち尽くすオスの生命力は一体どこからくるのだろうか?

何気なく見ていたペンギンの姿がこれまでと違い、崇高な生き物に思えてくる。是非、是非、見て欲しい映画だ。