那覇市の天久外人住宅街を抜けた頃から、町の風景が一変してしまった。 アメリカ式のドライブインレストランといい、 バルサンは自分がどこか外国の町に迷い込んだような気分になっていった。
町の名前も天久からアジャ(安謝)、A&Wのあるマチナト(牧港)、さらに浦添市に入ると ジッチャク(勢理客)、タクシ(沢し・・しは山編に氏)、メカル(銘刈)と 名前まで一風変ったものになっているのだった。
バルサンが牧港の米軍補給基地界隈を飛行していたときである。 夥しい人の群れが上の部分が有刺鉄線に囲まれた基地を囲んで 奇声をあげている現場に差し掛かった。
少し様子をみていると、どうやら糸満で老女が米軍車両にひき逃げされたり 具志川で女子高校生がキビ畑に連れ込まれナイフで米軍兵士に刺された事件や 交通事故の処理にかんする米軍の差別的な沖縄人への対応への抗議デモのようだった。
その抗議は割りと静かな大衆運動に見えたが、 中にはヘルメットをかぶり、鉄条網に毛布をかぶせてその上を乗り越えて 基地内に突入しては待ち構えていた米軍兵士に捕えられる学生風の一団も見受けられた。
どうやらその近くには実質的に沖縄を統治しているUSCAR(米民政府)の 建物があるのをバルサンは察したのだった。 バルサンはその光景を間のあたりにして、どこか静かな場所はないかとあたりを見回した。
1号線というアスファルトの4車線の道路を挟んで住宅街になっていて、 さらにその東側には与儀の民家にいた時と同じような 緑色の畑が見えていた。
バルサンはとりあえず、その方向へと飛び去った。 バルサンが見た畑というのは与儀や国場にも多い、サトウキビの畑であった。 バルサンはサトウキビが刈られた畑でその切られた部分から 甘い水分をたっぷり味わったことを思い出していた。
太い竹のような節のある植物で皮は割と厚くて硬いのでそのままの姿では とうていゴキブリ族の歯の立つものではないが、 時々、収穫時に鎌で切り取られた部分に染み出た甘いジュースをバルサンは味わったことがあった。
バルサンはまだ収穫時ではないので、甘い蜜のようなサトウキビにはありつけなかったので 住宅街へと羽をのばしたのだった。
バルサンが着いたのはまだ多くの民家が建設中の安波茶団地であった。 建売住宅のようで、バルサンはその中のまだ完成には程遠い 屋根の葺かれてない住宅の中に忍び込み、一晩をそこで過ごすことにしたのだった。
住宅の居間と思われる場所で横になりながら葺かれていない屋根を通して見える 夜空の星を眺めながらバルサンはまだまだ遠いであろうヤンバルの森を思い描いたのだった。
[解説]
USCAR 復帰前1972年5月15日以前、沖縄県を実質的に支配していた アメリカ民政府の呼び名でUSCAR (United States of Civil Administration of the Ryukyus) 通称ユースカーと呼ばれていた米国民政府のこと。
牧港 那覇を越えたあたりの地名で琉球に漂着した源為朝が本土への帰れる日を 待ちわびたという伝説?から待つ港、待ち港、牧港となったといわれる。 USCARのあったところでもあり、このあたりから沖縄中部までの米軍基地が始まる。
安波茶団地 高校のクラス会で酔った友人をウチナーおじさんはもう一人の友人とタクシー で送っていったことがある。その友人の家はその頃開発中の安波茶団地内に あった。建売り住宅の立ち並ぶ場所で、バルサンとウチナーおじさんたちとは 友人を無事、家まで送ったあとで途方に暮れ、 奇しくも同じ屋根のない工事中の家に泊まったと思われる。
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コメント(8)
あはは。わ~いい。やったね。^^みんな、友達にも、話してて話題になってるんだよ~。姉妹も楽しみにしているので、よろしくお願いします。 宣伝も、ありがとうございま~す^^
2006/11/30(木) 午後 4:25返信する
あ、ちなみに、1969年生まれなので、ギリギリ生まれてますよ。 浦添市が、ド田舎で、小川や、沼、などいろいろあった頃に育っていますので、バルサンのお話は、思い出とだぶるんですよ^^
2006/11/30(木) 午後 5:03返信する
沖縄のねぇーねぇは復帰の時に3才じゃ、沖縄でドルを使っていたという記憶はもちろんないかも知れないね。僕の高校のクラスにも仲西中学の出身者がいて、浦添ではボンネットバス(箱型のバスではなく前の方がボンネットになっている古い型のバス)、確か東陽バスにまだその頃はあって(もう珍しくはなってたけれど)田舎~イナカ~てからかわれてたなぁ。沖縄自体が変ったけれども浦添も随分変っただろうね。
2006/12/1(金) 午前 8:31返信する
ドルは、覚えてるよ。幾ら、教えてもらっても、1セントで、チョコレートが、何個買える。???ってのが覚えきれなくて、・・・円に変わって、ピカピカの穴あきは、5個アカジンは、1個と覚えた記憶が有ります。^^3歳児の時・浦添に越した、夜帰宅時畑の真ん中の、ボコボコ道を(パイプライン)車で通って・・・ちょくちょくパンクして、手をつないで、夜の暗い道を家族で帰った楽しい^^(両親は、大変だったと思うが)きおくもありますよ。昼間は、市場の中で、育っているし。だから、いっぱいだぶるんですよ^^
2006/12/1(金) 午後 0:05返信する
3才の記憶があるというのは凄いね!パイプラインなんてのもしゃれた名前になっているからわからんかったが、姫ゆり通りから興南高校の脇を通っていたゲッチャイ道だったよぉ。そうか那覇の市場も小さい頃からなじみなんだ。
2006/12/1(金) 午後 0:13返信する
バルサン物語、復活おめでとうございます! なかなかディープな沖縄物語でコメント少ないですが、毎回欠かさず拝見しております。 ウチナーおじさんの記事はウチナー口の勉強にもなるさぁ~。
2006/12/1(金) 午後 10:08返信する
バルサンは共演者が少ないせいか、それともゴキブリで嫌われ者のせいかお友達も少なく、登場するキャラクターが極端に少ないのがちょっとやばいですね。オキちゃんではボギーやらヒージャーやら人間もたくさん登場したので賑やかでコメントも書きやすかったかも知れないですね。まあとにかく無事、ヤンバルまでの冒険を面白くしたいと思うさぁ。デージナトーン(大変だぁ)!
2006/12/2(土) 午後 2:37返信する
貰っていきますよ~^^っわ~いいい^^ウキウキ
2007/5/18(金) 午後 6:34返信する