タイ・インド・ネパール旅日記(4)Yahooブログより転記

ウダイプアー⑯

2007年10月31日20:48   3月15日(日) 
 ホテルまでシヴァが迎えに来てくれて8時発の市内観光バスに乗る。(一人30ルピー) ファウンテン公園、ヒンドゥ寺院、王宮などを見学する。 

 ファウンテン公園ではガイドが手を叩くと池の噴水が噴き出し、また合図を送ると止まるといった具合で、茶目っ気なガイドによるとツアーの最後に種明かしをするとのことだった。 

 王宮の見学後にバスに乗り込もうとするとシヴァが待ち受けていて、今朝彼に僕らがツアー中に頼んでいたインディアン航空の整理券が取れて、しかも番号が5番なので急いで来てほしいと云う。仕方なくガイドに挨拶をして途中でツアーを離れて航空会社の事務所に出向く。 

 シヴァにオート三輪車でインディアン航空の事務所へ連れて行ってもらうと、ちょうど三番の整理券がカウンターで手続きの最中であった。シヴァは運転手兼、僕らの秘書にもなってもらっていたのだった。 

 ボンベイに4日滞在する予定を2日に減らして、その分の日程をカルカッタに持っていった。インド随一の大都市で、あの悪名高いカルカッタである。 

 レイクピコーラホテルで昼食をとる。そこのレストラン兼ロビーの窓から、川向こうにある沐浴場の洗濯風景などが眺められた。 

 食後、シヴァにハウポリーバザー、バープーバザーを案内して貰い、その後野外の舞台で行われた舞踊ショウーを見る。地元の人達もかなり来ていて、コミカルな踊りや、中年女性が頭の上に幾つも壷を重ねながら踊るといった出し物があった。 

 ホテルへ戻る際に、道の脇に荷馬車を止めて火を起こしている一家を見た。ジプシーのように見えたのでシヴァに聞くと何でもない、いつもああやって生活しているアンタッチャブルだとそっけなく答え た。 

 彼によると今朝のツアーのガイドはカーストの上流の出身なのだそうである。ついでながら、彼のカーストも聞きたかったのだがさすがに微妙なことを聞くのはためらわれたので聞かなかった。 

 シヴァには運転手だけでなく、混雑する航空事務所で整理券を並んで取ってもらったり、観光ガイドをしてもらったりと時間の節約を考えると大いに助かった。ホテルへ送って貰い、チップ込みで120ルピー支払う。 


*先ほど、朝日コムを読んだら、スズキがインドで10万ルピー(29万円)の自動車の生産を検討しているというニュースがあった。 
現在の為替相場は1ルピーが2,9円ということになり、僕らがインドを旅行した13~14年前の約3円と全然レートが変ってないのに驚いた。 

でも物価は当時とはかなり違い、あがっているのではないかと思う。

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○ハラ 2007年10月31日 23:14 あんらぎさん、 
私がインドネシアに居た時、扱い商社がチャーターしていてくれた車の運ちゃんはほとんど何もしてくれませんでした。 

ある時など、「オーストラリアへ行け」と日本から言われて、まずは申請書に付ける写真を撮りに行かないといけないと言うので、車の会社に電話して、「あの運ちゃんどこに居ますかね?」と聞いたら、「何とか工場に行ってます」と言うので、「そこから電話して居るんですよ」と言ったら、「ああそうですか、じゃどこに居るか分からないですねぇ」と言うので、困ったなあと思い、流しのタクシーでも拾おうかと表通りに出たら、この運ちゃん、屋台で何か食べてました。 
私の姿を見るなりすっ飛んできましたが、まあ、私達を朝晩工場とホテルに送り迎えしている以外は、どこに居た物やら。 

ただ一つ良かったのは、インドネシア語でないと通じないと言われていたのが、この運ちゃんは英語が分かった事。 

インドネシアを発って、オーストラリアに向かう時、チップを渡しましたが、今となっては「あれはちょっと多すぎたな」と思っています。 

あの運ちゃんに今あったら、いんで寝しあ(いんで=帰って)、じゃ無く、ちゃんと仕事をしろ、と言いたいです。 

その日の内に写真を撮らなければいけないのに、あの運ちゃんが居ない時には、どうしよう? と本当に不安になりました。 
運ちゃんだけに、ドライヴ・ミー・クレージーでした。 あんらぎ 2007年11月01日 06:38 ○ハラさん 
シヴァという若いインド人のオート三輪の男性はやはり町を流して客を探すよりも観光客を乗せて、いろいろ親切にとりはかった方が効率がいいということで観光客である僕らに便宜をはかってくれたのだと思います。 

約束の時間にはきっちり現れて名前がシヴァだけにしばしば重宝していました。1日チャーターしたような感じで120ルピー(360円)ですから、航空券の整理券を取って貰ったりの雑用も考えると信じがたい安さですね。その頃なら物価は10分1以下だったのかも知れません。

  

ウダイプア-⑮

2007年10月29日23:45  3月14日(月) 

  朝11時半頃に、インディアン航空の事務所にフライトの変更のために出かける。しかし、中は混雑していて時間がかかりそうなので、あきらめて外に出る。 

 外にはオート三輪車の客引きが待ち構えていた。シヴァと名乗り、体の大きい22才のなかなかの好青年である。彼にレイクパレス・ホテル(007の映画に登場した湖の中に浮かぶ島にあるホテル)まで乗せてもらい、そこで昼食を取り、その後政府観光局まで送って貰う。 

 タイミングが良く政府観光局出発の2時発のバスツアーに参加する。 
    バスツアー費用(一人70ルピー) 

 ウダイプア-郊外の古戦場(16世紀半ば、ムガール帝国との戦い)を見学する。マハラジャの忠実だった名馬の戦死したとされる場所や、首の谷と名付けられた場所等を案内される。 

 ウダイプアー郊外は砂漠の様なところである。ツアーバスの車内から色鮮やかなサリーを着た女性達がザルに盛った土を頭に載せて運び、道路補修をしているのを見かけた。 

 民族衣装のサリーはそのまま女性の作業衣にもなる訳で、そのゆっくりとした優雅な動きは肉体労働をしているというよりは舞いでも踊りだすように思えた。 

もっとも炎天下での作業なので動作はどうしても緩慢にならざるを得ないのだろう。実際は砂漠の様なカンカン照りの陽ざしを浴びてたいへんきつい労働に違いはない。  

 ツアーバスが立ち寄ったヒンドゥ寺院はインド人の参詣者で込み合っていた。カジュラホの寺院と同じように男女別に別れた入り口からお参りするようになっていた。僕もとりあえず男性用の列に並んではみたものの途中で気が引けて女性の列に並んだ家内が外に出てくるのを待つことにした。寺院内には靴を脱いで素足で入る規則なので、早くも足の裏は牛の糞やら埃で真っ黒になっていた。 

 ツアーの帰りも、さらに古いヒンドゥ寺院へ連れて行かれた。しかし、カジュラホの遺跡群をみた後ではその素晴しさに変りはないが、いずれのヒンドゥ寺院も規模が小さく感じられる。 

 寺院見学の途中に見た光景がある。インドの道路には牛が我が物顔で寝そべっていたり、散歩していたりするが、実はそれら野良牛?まがいに見える牛たちにもそれぞれに飼い主がいるようである。 

バスが停車している間に何やらドロドロした飼料を洗面器に入れて戸口に出てきたおばさんが居たが、彼女の牛を呼ぶ声に3~4頭の牛が連らなってやってきた。 

 それら牛たちはいずれもが洗面器の中に首を突っ込もうとするのだが、おばちゃんのシッシッという声におとなしく引き下がっていく。そして自分の飼っている?と思われる牛だけに食べさせるのである。 

町なかにも道端にも牛はよく見かけるのだが、町なかの道路には草も生えてないし、餌の問題をどう解決しているのかこれも謎の一つであったが、どうやら飼い主はちゃんといるようである。それにしてもインドの牛はあばら骨も浮き出たやせこけた牛がほとんどである。 

 これもバスの停車中、バイクにまたがった少年がペンだ、1ルピーだのと窓越しにねだっていた。物をねだる行為は子供たちには一種のゲーム感覚のところもあるようだ。終戦直後に進駐軍のアメリカ兵に「ギブミー・チョコレート」だのチューインガムだのと日本の子供たちもしていたようなものなのだろう。 

 夜の7時に出発地点の観光局へ戻る。そこには約束通り、僕らの帰ってくる時間に合わせてオート三輪車の運転手シヴァが待っていて、ホテルまで送って貰う。

  

2007年10月27日22:56  3月13日(日)の続き 

 ホテルをチェックアウトした後、王宮の近くにある市場を歩き回る。日曜日は閉まっている店が多いと聞いていたが、果物や野菜などを売る露店や日用雑貨を扱う店などは開いていて、かなりの人出でごったがえしていた。 

通りにミシンをだして何か縫っている人(意外だが男性がほとんどである。)、往来の中に椅子をひとつだけ出しただけの散髪屋、包丁研ぎ、建物の壁のない二階部分(平屋の屋根とも言える)で営業している歯医者(当然、表から良く見え、サリーを来た中年女性が大きく口をあけて治療中だった。)スイカや瓜のたぐい、ジュース、水うりの屋台等が並んでいる。 

 道端で顔中黒いアザだらけの子供を抱いた物乞いの母親に、ホテルの部屋から持ってきた備え付けの石鹸、歯磨、歯ブラシ、室内用簡易スリッパ6足、クッキーなどを詰めたビニール袋を手渡す。ホテルの部屋にあったサービスの品はまとめてビニール袋に入れて物乞いに与えるようにしている。その日、一度でも誰かにバクシーシを与えると、他でせがまれても前に誰かにやったからもう充分だという言い訳の心理操作でもある。 

 タクシーでジャイプール空港まで120ルピー(約26キロメートル)。ジャイフォー経由でウダイプアーに飛ぶ。 飛行機に乗り込む前に飛行機の脇に置かれた自分の荷物を自分で確認して指示しないとスタッフは荷物を貨物室に積み込まない。経由地のジャイフォーでもそれをやらされる。多分テロ防止のためなのだと思う。パキスタンとの国境にあるカシミール粉争等もあって、治安のチェックが厳しいのだろう。 

 ラクシュミ・ヴィラ・パレス・ホテルには夜の9時に到着。やはり王宮のゲスト用に作られた建物がホテルに改造されたもので湖の見渡せる小高い丘の上にある。

  

2007年10月26日19:40  3月13日(日) 

  昨夜チェクインするときに宿泊費の中にコンチネンタルの朝食が含まれているという了解を得たがチェックアウトの時には朝食代まで請求されていた。クレームを付けるとマネージャー室に連れて行かれて説明する羽目になった。 

 フロント担当の中年の男性は家内の説明の途中に"You told a lie."といったとかで家内もかなり頭に来ている。英語でいうところの嘘つきとは思った以上の激しい非難の言葉なのである。同席したマネージャーも家内の説明に最後は納得のいった様子だったが、一言の謝罪もなかった。 

 町で見かける一般庶民は愛想も良く、気質も穏やかそうに見受けられるが、特権グループというか上の方に所属する階層の者達はなにやら取っ付きにくい感じがする。特に官憲、役人などは人を見下したような態度が眼につく。インドではすでに建前上は廃止になっているそうだが、カーストという階級制度でがんじがらめになった社会が長く続いたせいなのかも知れない。 

*最初の説明と勘定書きが来た時とでは様相が違うことは何度かあった。観光案内ハイヤーなども時間制で幾らだと納得していると請求書には余分な金額が付け加えられていたりした。それはハイヤー料金にプラス車が走った距離数に対する金額の請求だったりした。 

中にはそれを黙って払う人もいて業者はそれで余分に儲かるという事なのだろうが、僕らはクレームをつけて最初に約束した料金しか払わないようにした。もっとも実際に接する運転手にはそれなりに別にチップを渡していた。前もっていろいろ内容をチェックしないと余分な料金を払わされる破目になりがちである。 

*ニューデリーでは交通警官が交差点を渡る荷車引きに早く渡れという意味なのか、拳で殴るのを見かけた。荷車引きはカーストから言えばかなり下の階層ということなのだろうが、権力の横暴を目の当たりにして日本だったら通報すれば警官の首が飛ぶのにと腹立たしかった。

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○ハラ 2007年10月27日 00:51 あんらぎさん、 
日本も戦前と、戦後しばらくはこんなモンだったのではないでしょうか。 

沖縄に限らず、日本内地でも警官や軍人は民間人を下に見て、俺たちはお前達を守ってやって居るんだ、だから温和しく言う事を聞け、だったんだろうと思います。 

今の官僚だって、エリートでキャリアは民間人どころか大臣だって、どうせしばらく居て代わるんだから温和しく言う事を聞いてる振りをして、適当にやっていれば良いんだ、ぐらいの気持ちではないでしょうか。 

ジョージ・ハリスンが楽器屋に来ると分かったら、楽器屋は値段札を全部外してしまう、と言うのが本に書いてありました。 

どこの国でも、商人に限らず税関の係員でも取れる所から取ろう、としている感じがしますし、上に居る人間は俺たちはお前達とは違うんだ、とつまらないプライドを持っている気がします。 

そんなにプライドが好きなら、プライド・チキンでも食べて寝てろ、と言いたいです。 あんらぎ 2007年10月27日 10:54 ○ハラさん 
権力を持つ側が威張るとか、庶民を見下しかさに着るとかいうのは途上国では往々にしてありがちなことのように思えますね。 

ということは戦前の日本も警官や軍人が威張っていたわけでそういう意味では途上国だったといってもいいのかも知れないです。もっとも現代でも権力や自分の役職の立場を利用して私服を肥やす守屋次官みたいな人もいるわけですから、形を変えて権力との癒着は残っているものなのでしょう。 

それにしても物価のからくりというのは本当にマジックですね。インドでも車や電化製品などはそれなりに高いようでしたが基本的な生活用品や食料品は信じられないくらいの安さでした。もっともそうでなければ日給が20ルピー(当時60円くらい)の安さで日本のような物価では誰も生存できるわけがないです。 

そのからくりを知ったうえで、インドの物価を相手の国の物価に換算してそこの国の物価の値段に近い値段で観光客用に売るということはありがちかも知れないですね。それでも本国よりは安いのでつい購入してしまうというのはあるでしょうが、これも途上国の経済に役立ったとあきらめるのもそれぞれの思いいれでいいのかも知れません。 

10年ちょっと前に、香港のホテルが日本人には欧米人の2倍の宿泊費をふっかけていたことが発覚したことがありましたね。イタリアでもローマのコロセウム前で売っていた日本語の観光案内本は同じ英語版の2倍の値段で売っていました。 

同じ売り子がそれを売っているので見え見えなんですが・・そんなものなんでしょうね。 

物やサービスの値段なんてのはお互いが納得すれば幾らでもいいわけですからその物に対する価値をどう評価するかで値段交渉の勝ち負けが決まるということでしょか。価値を認めて相応の値段にまけさせたほうの勝ちというわけです。

  

2007年10月25日19:06 3月12日(土)の日記の続き 

 7時にホテルに戻りコーヒーラウンジでチキンマサラと云うのを食べる。何のことはない、鳥肉のカレーライスのことだった。インド米はパサパサしているのでカレーには合うようだ。 

隣のテーブルが中国人の一家で、5~6才の子が二人で食事の間中テーブルの下に潜り込んだり、カーペットに寝転がったりして行儀が悪い。親も注意する訳でもなく、あまつさえ母親らしきものまで子供と一緒にカーペットに座り込み子供たちとふざけ始めていた。 

 中華系なので香港か台湾、あるいはシンガポールなのかどうかはっきりわからないが苦笑せざるを得ない。というのもタイの新聞で台湾観光客のマナーの悪さというのを読んだばっかりだったからである。経済の発展と共に海外渡航の自由化で多くの台湾の人達があちらこちらと旅行にでている。でも彼等台湾人の旅行先での振るまいが余り評判が良くないのである。 

 レストランで大声で喋る。酒場で悪酔いしては傍若無人に振る舞う。立ちションする。読んでいるとちょうどひと昔前の日本人を描写したような感じであった。 

日本では経済の成長と共に海外旅行もすでに珍しいものではなくなり、このところ海外先でのマナーというのは概ね身につけてきたように思う。洋式の風呂の水をフロアにあふれさせたり、飛行機に乗り込むとズボンを脱いでステテコ姿になってリラックスする豪傑もいたそうだが、日本人のそういった評判は耳にしなくなって久しい。 

 まあ経済の発展と共に人々の意識も洗練されていくと云う訳なのだろう。だがもともとが田舎人なる僕の個人的見解からすればある程度のマナーは守るべきものだが、普段の生活習慣を犠牲にしてまで鬼屈になる必要はないと思う。 

 アジア自体が大いなる田舎なのだ。ここは皮肉を込めてという註つきで、台湾人の健闘を祈りたい。 

*しゃちこばったマナーやエチケットを気にする場は僕は大の苦手である。動作がぎこちなくなりリラックスできない。常識の範囲を越えなければ大体の場はこなせる筈である。その観点からしてもレストランのテーブルの下に潜り込んで遊ぶ子供たちに注意するどころか大人自身も入っていくというのはやはり妙である。どうもアジア系に共通しているような気がするが、親は子を叱れず大体において甘いようである。

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○ハラ 2007年10月25日 19:51 あんらぎさん、 
台湾に行った時驚いたのは、食堂の入り口に残飯入れがあり、そのバケツに客が残した残飯や汁を捨てている事でした。 

腹が減って、飯を食おうと思って食堂に入って行くと、嫌でも入り口のとこにある残飯入れのバケツが目に入り、蓋もしてないので中の汁やらご飯などが浮いているのが丸見えでした。 

これは一つは、ゴミの収集車がユックリ通り、声をかけても止まってくれないと、このゴミが捨てられないから、収集車が来たら、すぐ捨てられるように入り口の所に用意しているのでしょうが、やはり入り口の所にある残飯入れは何度行っても慣れませんでした。 

レストランのマナーはやはりそのレストランの人が注意すべきで、こちらに影響が無ければ我慢すべきかも知れませんが、ボール遊びでも始めてこちらにボールでも飛んでくるようだとやはり困ります。 

可愛い子供に美味しい物を食べさせたい、このレストランでの親の気持ちも分からなくはありませんが、私はやはり、この親にしてこの子あり、と思いました。 
マナーをしつけてから、マナー(また)来てね、と言いたいです。 
クラウン ジョージ 2007年10月25日 21:16 マナーを守らない人は、私は嫌です。 

子供の躾は親がやるべきですね。親に問題ありです。 
親がしっかりしていれば子供もそうなります。 
だらし無い人は子供もそうなります。 

 昔の日本もそうだったかもしれないけど、良くなってきている 
ようですよ。 

世の中の親は頑張ってくれないと、困ります。 
私の親もあまりよくなかったので。、、、、。 

あんらぎ 2007年10月26日 09:48 ○ハラさん 
台湾の習慣みたいになっていて地元の人は平気になっているのでしょうが、食堂の入り口に残飯用のバケツが置いてあると、やはり二の足を踏んでしまいますね。 
でも何となくゴミの収集車というより、養豚業者あたりが残飯の回収をしているような気がします。 

うろ覚えですが、中国では食事の際に食べた鳥の骨などはテーブルの下にそのまま投げ捨てていたとか読んだような覚えがあります。 

イギリスでも床におがくずが撒かれていて、客は煙草や食べ物、ゴミなどをそのまま床に落としてもいいようなパブがありました。これは閉店したあとにおがくずごとそのまま箒で掃きだすようなことを読んだ覚えがあります。 

イタリアのルッカでも女性でも煙草の吸殻を火のついたまま道路の中央に投げ捨てているのを見て、変に思ったことがあったのですが、これは一人乗りの小さなバキュームと回転箒のついた掃除用の小型車が道路をある一定の時間ごとに清掃にやってくるので、かえって道の真ん中に捨てた方が、道路の隅に捨てるより掃除が楽だという合理的な考えからみたいでした。 

ギリシャに行ったことはないですが、美味しい料理だと食べたお皿を床に投げて割る習慣のあるレストランがあるとか読んだことがあります。 

お国が違えばその作法や習慣も様々ですね。東京のレストランでお皿を床に投げたら喧嘩になるのは間違いないでしょうし、弁償させられますね。 

台湾ではレストランで子供はテーブルの下で遊んでもいいという習慣でもあるのでしょうかね? 

そういえば、日本人がそばをすするときに立てるズルーっという音は欧米ではとても無作法なことですね。舌鼓を打つということも賎しいものと捉えられるようです。 

そういや、インドでは食事は手づかみでした。まさにいろいろな文化や風習があるものです。最後の頼りはそれぞれの常識ということでしょうね。 あんらぎ 2007年10月26日 09:52 ジョージさん 
確かにマナーは親からマナーぶものですね。 
経済の発展に伴って、余裕がでてくるとマナーもよくなっていくような気がします。マナーも文化ですからね。 

それにしてもマナーというから何かそういう作法があるように勘違いしますが、要は常識の範囲内で他人に迷惑をかけないこと・・これさえ守れば特にマナーや作法などとおおげさに捉えなくても充分だと思います。 

これは他人に迷惑や不快感を与えないという親の教育がやはり大きいかも知れませんね。 あいさいおじさん 2007年10月27日 12:59 親が子を甘やかす、子供のしつけがないがしろになる、という論法ですが、甘やかす、ということで言えばじじ、ばばが孫を甘やかす、なんていうのは親が子を甘やかす、の比ではありません。そのいい例なんですが、先日我が孫あきら君を連れてじじ、ばば3人で江ノ島の水族館に出かけました。東京駅から藤沢まで東海道線に乗るわけですが、男の子の常、鉄道大好きのあきら君のご機嫌をとろうと、グリーン車の二階に乗ったんです。各停なのでむちゃくちゃ高いわけではありません。あきら君はもちろん大喜びです。無事到着して水族館もイルカのショーを楽しんでさて帰路となりました。藤沢の駅に着くとあきら君が言いだしたのです。「二階の電車に乗りたい」。この電車には二階の電車がついてないんだよ、とあわてて説明し、電車が進入してくるときにはあきら君の目線をそらすのに四苦八苦、なんとか普通車両に乗り込むことができました。あきら君がこのブログを読めたとすると、「“各停なのでむちゃくちゃ高いわけではありません。”って言ってるじゃないかぁ」とつっこまれること間違いありません。こどもでも一度おいしい思いをするとそれが当たり前になり、元には戻りにくくなるんでしょうね。防衛省の元事務次官さんのように。こどもは愛情をもって厳しく育てましょう。 

でもまたグリーン車の二階に乗せてあげようかなぁ…。(あいさい&あいそん(孫)おじさんのつぶやき)。 あんらぎ 2007年10月27日 23:09 あいさいおじさん 
あきらくんとお爺ちゃん、お婆ちゃん??で孫孝行ですかぁ。 

僕はこの年になるまでグリーン車に乗ったことなどありましぇん。乗ったとしても顔が真っ緑、いや真っ青になるでありましょう。 

あきらくんはこれから、東京ディズニーランドへ連れてってとかいろいろ子供なりに情報を仕入れてきては甘い祖父母にせがむようになるでありましょう。 

そういうときは是非、浅草花やしきへ連れて行ってそこが東京ディズニーランドだと教えてあげましょう。大体、千葉にあるのに東京ディズニーランドと騙っているのは今問題の偽装工作ではありませんか。 

二階の電車に乗りたいと言っても、行きに一回、帰りにもう一回で二回の電車だよとさとしてあげてください。 

ミートホープが冷凍保存していた冷凍肉を動物園に寄付しようとしたら動物園から断られたというニュースがありましが。いわく、動物たちに味を覚えられては困る・・ 

あきらくん、あきらかにあいそんおじさんに愛想をふりまかれて育ってますですね。 
あいさいおじさん 2007年10月28日 21:50 だからぁ、普通列車(あんらぎさんに分かりやすく説明するには“鈍行列車”がいいですね)のグリーン車はそんなに高くないんですっ。たしか東京から藤沢までの普通車グリーン料金は一人500円でした。でもグリーン車の二階から飛び降りたつもりで乗ったんですっ。こんどあんらぎさんが日本に戻ってきたら東京から藤沢を往復ともグリーン車でご案内します。ボク達は普通車に乗ってますが…。今から500円玉貯金を始めます。でっ、いつか戻れそうですか?  

P.S. あきら君はすでに浦安あおべか繋留地横東京ディズニーランドには家族三人で行っています(じじ、ばばは留守番でした、ちょほっ)。