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とうとうサテライトを契約してしまった。 

TVなどなくても困らないと思ったが、室内アンテナで画像がはっきりしない音声だけを頼りに結局はザラザラした画像を見るようになっていた。それで一番安い月15ドルの衛星アンテナを設置してもらった。 

工事に来る日に交通事故にあったとか、あらためて来る予定日に向こうの都合でこれなくなったとかいう悪条件が重なったせいで、40チャンネルの契約がHBOなどの映画が見られるチャンネルが20チャンネルほど増えた。ただし3ヶ月の期間限定サービスでそれ以降はこちらから連絡しないとそのまま継続契約が発生するという条件である。 

基本料金のチャンネルは料理番組、議会中継、宗教番組くらいで娯楽番組が少ない。やはりサテライト会社もその辺りのことは考えていて、グレードをアップしてもらい稼ごうという魂胆なのである。 

どんな映画が放映されているのかわからないので適当にチャンネルを回して見ていたら、きのうは日本が舞台のハリウッド映画に遭遇した。かなり途中からなので何故?という疑問は今だに残るが、何故かアメリカ人の男性(30近くに見える男だが)が日本の高校に転校してくる。 

そこには他に白人の女性と、黒人の少年もいる。番長も当然いて、その番長と転校して来た白人高校生(学生服を着ている)と、白人の番長の彼女との恋の鞘当てなどがある。 

そしてその高校生たちが、学校が終わるとフェアレディとかポルシェをかを乗り回して、ドリフトというのだろうか狭い地下駐車場でレースを行ったり、夜の渋谷の街中でカーチェイスをしたりするのである。 

もちろん、コンピュータグラフィックを使ったりの映像でそこまでリアルな映画が撮れたのだと思うが、かなりの予算をつぎ込んだ映画のようであった。 

番長はアジア人だが、日本語を話すときに純粋の日本人ではないことがわかるアクセントを話していた。もちろん、時々日本語も入るが、ほとんどが英語での会話である。 

番長のおじさんというのがスマートなヤクザで登場するたびに白いスーツに白い帽子、首からは長いマフラーをひっけて葉巻をくゆらしている。その役を世界のソニー千葉こと千葉真一が演じていた。かなりお年を召した印象を受けた。 

僕も子供の頃に見た日活アクション映画では東京という都会は銀座や盛り場のイメージしかなかった。現実の東京と映画の東京との違いを知る由もなかったのだった。 

ここらの高校生が日本行きのチケットを買って、休みに東京に行く計画をすでにたてているらしい。二人の男子高校生だが、彼らは東京に車を見にいくのだそうだ。日本人は英語が話せるから問題ないというふうに考えているらしい。 

多分、この映画を見て影響を受けた高校生ではないかと思う。確かに映像はパチンコ屋、マージャン屋、カラオケ、夜の盛り場、カーチェイスできるだけの広い車の少ない通り、高校生のレースに合図を送るレースクィーンのような女子高生などが登場する。 

高校生では現実と映画の区別ができないのは当然であろう。ちょっと前なら日本というと忍者映画のイメージを子供たちは持っていたと思えるが、今は高校生が英語を話せて、放課後はポルシェなどのスーパーカーで地下駐車場や一般道でレースをしているというイメージを抱いているのだろう。 

そうそう、主人公がヤクザの借金取りに出かけたのが銭湯で、借金した役に湯船に漬かる小錦がエキストラで出ていた。しかし、何と言うタイトルの映画であったろう。誰か知っていたら教えてください。 



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2007年09月24日
23:16
さんきゅう 

あんらぎさん、こんばんは。 

「ワイルド・スピードX3TOKYO DRIFT」のようですね。 
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6774 
2006年9月の米国映画になっています。 

車好きの方なら観るかもしれませんが、日本ではほとんど 
話題になりませんでした。 

2007年09月24日
23:38
○ハラ 

あんらぎさん、 
私も知らなかったのでインターネットで調べてみました。 

さんきゅうさんのと同じく、「ワイルソ・スピード(THE FAST AND THE FURIOUS : TOKYO DRIFT)」のようです。 

あんらぎさんの近所の高校生が日本に行くというのは良いですが、良い思い出になればいいですが、どうですかね。 
日本では18才でないと運転は出来ない事は多分もう知っているでしょうね。 

日本でもけっこう帰国子女も居て、英語ペラペラな人に会えれば問題無いですが、ナンクルナイサァ~、で無計画で行くと、こんな筈では無かった、となるかも知れません。 

本当に行く、となれば、ホーム・ステイの形を取るか、宿泊先の確かなところを探すでしょうから、心配無いかも知れません。 
まあ、案ずるより産むが易し、と言いますから、若いうちに行けるところは行った方が良いですね。 
イチャリバチョ~デ~、で行けますかね。 

2007年09月25日
08:05
あんらぎ 

さんきゅうさん 
さんきゅうでーびる。 
映画公開に関して一覧表があったり、かなり詳しい情報の解説があって、とてもわかりやすいサイトですね。早速お気に入りに登録しました。 

シリーズ三作目、アメリカで逮捕を免れて日本駐留の父親を訪ねて東京に来た設定という訳だったんですね。そこのところを知らずに見ていて、なぜ日本の高校に転校してきたんだと疑問でした。 

車好きの若い人たちには人気のシリーズのようです。案外、日本のコミックが原作ではないかという気もしてきました。日本が背景でなければすぐにチャンネルを変えていた筈ですが、思わずのめりこんで、レースシーンは解説とおりに手に汗にぎり、アドレナリンが出てましたね。 

2007年09月25日
08:23
あんらぎ 

○ハラさん 
日本では免許は18才からですよね。ですから、この映画の設定そのものが間違っています・・というより出演者とくに主人公は30くらいに見えたので落第を10年以上繰り返していたら辻褄はあいますな。 

アメリカは16才か17才が免許交付年齢ですね。昔は日本も軽免許で360ccのホンダとかスバル360ccとかの免許が16才から取れる時代もあったんですが・・ 

今のアメリカの高校生あたりの若い世代の日本のイメージは映画、さらにもっとも影響のあるのはMANGAいわゆるコミックやアニメが大きいようです。NYの高校のコミッククラブではアニメで日本語を覚えたという生徒の話題の記事を見かけたこともあります。 

ワイオミングで日本語を教えた高校生も日本に留学したいという意向を持っていて、やはりアニメで日本文化に接したのがきっかけのようでした。本屋さんに行けばMANGAコーナーがあり、日本の漫画の翻訳ものがずらっと並んでいます。 

昔の漫画とかなりの変化があるようで、もう僕が手にしても関心は湧いてこない絵のタッチになってますね。 

日本に行く予定を立てている高校生はやはり映画の影響で、車のレースやスーパーカーを見たいのが一番の動機みたいですよ。まあ、親が許可して送り出すのでしょうから、それなりの計画や宿泊先などもちゃんと考えているのだと思います。 

こちらの高校はスクールバスと月極駐車代を払って車で通うかみたいです。最上級生になると借りた駐車スペースに自分でイラストやペイントを描いてもいいそうです。 

欠席したり、何か問題があるとすぐに親へメールなどでの連絡が行くシステムになっているようですが、やはりドラッグなどの問題はあるみたいですね。ちなみに近くの高校では妊娠女性徒が全校に20人程いて、少し授業に遅れるなどの便宜を図ってもらいながら授業を受けているそうです。

  

アルバカーキ-のモーテルに3ヶ月ほど住んでいた3年半ほど前に先日書いたエル・ランチョ・ホテルに一泊した。 

ホテルの部屋はそれぞれ俳優の名前がついていて、僕らが泊まったのはスーザン・ヘイワードという名の狭い部屋だった。翌朝ハウスキーパーが開けたドアから覗いた向かいのアラン・ラッドと付いた部屋は2~3倍以上の広さがあるようだった。 

名前はスーザン・ヘイワードでもその女優が実際に泊まった部屋という確証はない。トイレのドア脇の柱には昔風の古い栓抜きが付いていた。それを取り付けているねじの頭は潰されていて、客に持っていかれないような工夫なのだと思った。 

「痛風や 通ふうぶった 報いかな」と俳句風に嘆いてみたが、エル・ランチョ・ホテルに宿泊して戻ったアルバカーキ-で初めての痛風発作を経験したのだった。 

原因はホテルに近いインディアンの経営するレストランで豚肉料理を食べたせいである。どうも風味は乾燥豚肉を戻して料理したような感じで、パサパサしてうまくなかったがそのかわりに量が多かった。全部を食べきれずにいわゆるドギーバッグにして貰い持ち帰ったら部屋には冷蔵庫がなかった。 

僕はどうも食べ物とかを残せない、もったいないと思う性格である。よせばいいのに冷蔵庫がないということで寝る前にその残りの豚肉を無理して食べたのがいけなかった。 

普段、外食はしない方だが外食となると子供の頃からいつもはあまり口にしないお肉類を注文する癖がある。その頃は自炊のできないモーテル住まいで小さな電気コンロでお湯を沸かしたり、部屋に備え付けの冷蔵庫とレンジでちょっとした料理くらいはしていたが、とにかく外食や出来合いの食べ物に頼る生活が続いていた。 

ニューメキシコ大学の学食にも出入りできたので、そこのバイキングでやはり肉類を食べ過ぎる傾向があったのも食生活のバランスを崩す大きな原因になっていたようだ。 

おっと、どうも話がついついわき道に逸れてしまった。 
話をエル・ランチョ・ホテルに戻す。 

翌日、チェックアウトを済まして1階ロビーにいると70代の女性とその娘、娘むこの3人が従業員と一緒にロビーから続く閉まっていたバーの中に鍵を開けて入るところに遭遇した。いい機会なので彼らの後について僕らも入ることにしたら、その老年の女性は1950年代にこのホテルで働いていたそうで懐かしさから訪れて、バーの見学を頼み込んだことが判明した。 

玉突き台の位置なども昔と同じだとか、いろいろ懐かしそうに娘たちに話している。二階の回廊の壁には彼女の写った当時の従業員の写真も掛かっていたそうだ。 

女性「私が勤めていたときは、ロバート・テイラーがロケで宿泊していて私はその人の担当だったのよ」 

娘むこ「ロバート・テイラーはキス魔だと言われていたそうですが、義母さんはキスされませんでしたか?」 
(あんらぎ独白・・お前は娘むこという立場ながら、実はよからぬ想像をしておったのではないかいな?「あ~れぇ~!お殿様御無体を・・」「ふふふ、何を今さら。わしの世話を担当するということはそちもとっくに承知のことであろうぞよ」) 

女性「そんなことはないわよ。彼は紳士的な方でチップもはずんでくれたものよ」 

などという会話をしていた。 

スターがスターでなくなった現代、当時のハリウッドスターは彼女にとってまさしく夜空に輝く大きな星だったに違いない。20代の若い頃に勤めていたホテルを訪ねて回顧にふける初老の女性に遭遇したのもいい経験であった。 


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2007年09月19日
20:03
○ハラ 

あんらぎさん、 
ここでまた思い出しました。 

アラン・ラッド。 
シェ~ン、カ~~ム・バッ~~ク~~ですね。 

あんらぎさんが、ワイオミングに住んでいた、と書かれていたので「『ララミー牧場』と、もう一つ何かがあったが、何だったかな?」と、思い出そうとして居たのですが、アラン・ラッドの名前を見て思い出しました。 

私は以前この映画のVHSを持っていました、今はどこに行ったか分かりませんが。 
うちの母親がこの映画が好きで、きれいなワイオミングの景色と、あのテーマ・ソングがお気に入りでした。 
日本では雪村いづみさんが歌った「遙かなる山の呼び声」ですね。 
今でもそらで歌えますよ。 

♪青いたそがれ、山は招くよ、呼んでいるよ♪ 

あ、聞きたくも無い? 失礼しました。 

アラン・ラッドと言えば「シェーン」しか知らない私には、ワイオミングの綺麗な風景とニュー・メキシコのこのホテルはちょっと合いませんが、まあそんな事はどうでもよく、アラン・ラッドが泊まったホテルと聞くだけで親しみが持てます。 

ポークは私は脂ぎった感じがして好きでは無かったんですが、アメリカ滞在中にポーク・チョップを食べてみて、脂身が無ければかえってパサパサしていて、これはこれで美味しいと思い始めました。 
豚は捨てるところが無いそうですね、豚肉は嫌いと言う人が居ますが、トンでもない話ですね。 

2007年09月19日
22:13
あんらぎ 

○ハラさん 
焼いた肉で思い出した映画があります。あっ、焼いた肉ではなく炊いた肉です。たいたにく、たいたにっく「タイタニック」 

シェ-ンのロケ先はワイオミングのイエロー公園に近い、テトン・ナショナルパークの山々だそうです。ジャクソンという町の高校のグラウンドで主に撮影されたと聞きました。映画はカメラワークでどうにでもなるものなんですね。 

僕も「遥かなる山の呼び声」は雪村いづみの歌で覚えています。一回り年上の姉たちがよく歌ってました。実際に映画を観たのは上京して大塚名画座でかなり後になってからでした。

  

イメージ 1 イメージ 2 イメージ 3

イメージ 3

ニューメキシコ州ギャロップにあるエル・ランチョ・ホテルは1937年にコメディ俳優のD.W.Griffithの兄弟によってオープンした。1930年~50年代にかけてAllan Ladd ,Betty Hutton ,Jackie Cooper ,Jane Wyman ,Paulette Goddard ,William Bendix,Ronald Reagan, Spencer Tracy, Katharine Hepburn,Kirk Douglasそのほかにも多くのスターが映画撮影のために宿泊している。 

現在はナショナルヒストリックサイトに指定されていて、今は旧ルート66号線沿いを訪れる観光客に開放されている。建物はレンガや丸太、石で作られた古い南部のプランテーションスタイルである。 

一階にある暖炉のある広いロビーを囲むように2階に回廊が巡らされそこから各部屋に行けるようになっている。ロビーにはバッファローや動物の剥製が飾られていて、2階の回廊の壁には当時ロケのために宿泊した俳優のサイン入り写真や、従業員の写真が飾られている。 

下記の映画など多くの映画がエル・ランチョ・ホテルを司令部にして作られたそうである。 

The Bad Man, an MGM film starring Wallace Berry & Ronald Reagan in 1940; Sundown, a Wanger film starring Gene Tierney in 1941; Desert Song, starring Dennis Morgan in 1942; Song Of The Nile, starring Maria Montez & Jon Hall in 1944; Four Faces West & Colorado Territory, both starring Joel McCrea in 1947-48; Streets Of Laredo, starring William Holden & William Bendix in 1948; Rocky Mountain, starring Errol Flynn in 1950; Big Carnival, starring Kirk Douglas in 1950; Raton Pass, starring Dennis Morgan in 1951; New Mexico, starring Lew Ayres in 1950; Fort Defiance, starring Dane Clark in 1950; Fort Massacre, starring Joel McCrea in 1957; A Distant Trumpet, starring Troy Donahue & Suzanne Pleshette in 1963; The Hallelujah Trail, starring Burt Lancaster & Lee Remick in 1964. 

*写真と文はネットサイトからの引用である。そのホテルの近くにはニューメキシコ州の赤茶けた岩山や荒野が広がっていて、西部劇映画のロケーションにはぴったりの場所であった。ハリウッド映画の有名コメディアンの兄弟の経営ということもあり、映画関係者とのコネもあったのだろう。 


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2007年09月19日
17:44
○ハラ 

あんらぎさん、 
映画を私はあまり見ていません。 
まあ、それでも、ジェームズ・ボンド物とか歴史物の映画は割合見ましたが。 

あんらぎさんのこのメニューの中で「遠いラッパ」のタイトルとトロイ・ドナヒューの文字を見つけ懐かしくなりました。 

私が中学生の時、初めて買ったレコードと言えば、ジョージ・マハリスの「ルート66」と、このトロイ・ドナヒューの「恋のパーム・スプリングス(Live Young)」でした。 
「ルート66」の方はジョージ・マハリス自身が好きなのではなく、曲が好きだったのですが、「恋のパーム・スプリングス」はトロイ・ドナヒューのかっこ良さ(レコード・ジャケットの赤いスーツ、赤いネクタイ、金髪で目が青く、いかにもアメリカ人という感じ)に憧れて買いました。 
もちろん、曲も好きでしたが、やはり歌っている人のかっこ良さが先でしたね。 

スザンヌ・プレシェットはきれいなオネェチャンと覚えていて、その後「ネヴァダ・スミス」か何かの映画で見ましたが、声がおばぁみたいな声でガッカリしたのを覚えてます。 

もっともこの二人が出演した「パーム・スプリングスの週末(Palm Springs Weekend)」の映画は私は見ていません。 

私は映画より音楽、レコードの方を一生懸命聞いていたので、映画のタイトルを見てもあまりピンと来ません。 

映画はむしろ後になって淀川長治さんの出演されていたテレビ番組で見た物が多いのですが、主題歌の音楽は強烈に覚えている物があります。 

2007年09月19日
18:47
あんらぎ 

○ハラさん 
僕も映画を系統だてて見ている方ではありません。子供の頃は今と違い、ビデオもない時代ですから映画は盆と正月に観るくらいのものでした。 

「ルート66」はおぼろげに覚えています。トロイ・ドナヒューもかろうじて名前を知っているくらいです。ジョージ・マハリス、スザンヌ・プレシェットも知りませんん。 

その後、上京して池袋の文芸座とか、大塚名画座、飯田橋の佳作座、銀座の並木座とかそういう名画座で結構古い映画をよく観るようになりました。

  

http://br.youtube.com/watch?v=MKTMs5Kq38s&mode=related&search=



昨日、図書館で借り受けたDVDを観た。 
"Nothing Sacred"という1937年製作の古い映画である。 
その女性の主人公が現在でも映画やTVに出ても不自然さを感じさせない雰囲気を持った女優なので気になって検索したら、1908年生まれのCarole Lombardという1942年に飛行機事故で亡くなった女優だとわかった。 

しかもクラーク・ゲーブルの最愛の奥さんだった方で、その死は夫のクラーク・ゲーブルに後々までも深い悲しみを与えたとあった。 

映画は古いニューヨークの空撮シーンや田舎の町の住宅街(現在もその頃の家並みは結構残っている)が写っていて興味深いものでもあった。 

テクニカラーのコメディ映画で、なかなか楽しめる、70年も前に作られたという古さを感じさせない映画であった。 


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2007年09月18日
22:11
Gordonmac 

キャロル・ロンバードはいい女です!クラシック・ビューティ 

2007年09月19日
00:41
○ハラ 

あんらぎさん、 
キャロル・ロンバードの事を知らなかったので、ウィキペディアで見てみました。 
コメディエンヌと書いてありましたが、コメディアンだったのですか? 

どうも私が年寄りだからそう思うのかも知れませんが、最近のテレビにしても映画にしても、いわゆる男優とか女優とか言う人より、その辺のどこにでも居るような人が出ている気がします。 

昔の俳優さんは近寄り難い感じの美人とか颯爽とした感じの男とか、ある意味エリートと言うか、選ばれし人、みたいな人が役をやっていた気がするのですが、今は何か近所の誰ちゃんが出ているから見よう、の、映画と言うより、ホーム・ヴィデオの延長戦の感じがします。 

ああ、映画は遠くなりにけり。 

2007年09月19日
00:45
Nao san 

素敵な音楽をありがとうございました。 

キャロル.ロンバート 映画は見たことがありません。 

飛行機事故のことはなぜか知っていました。 ひょっとするとクラーク.ゲイブルについてのアーティクルの中で読んだとおもいます。 


2007年09月19日
05:21
あんらぎ 

Gordonmacさん 
ほんとうにとてもきれいで知性的な感じの美人ですね。 
両親はイングランドとスコットランドの出身らしいですから、Gordonmacさんとは系統的に一緒ですね。 

僕は昨日、キャロル・ランバードを知ったのですが、Gordonmacさんはすでにご存知だったようでさすがです。 

2007年09月19日
05:27
あんらぎ 

○ハラさん 
ボックも昨日、DVDを見て知ったばかりの女優ですので詳しくは分かりません。 
15歳で舞台デビュー、交通事故で顔に怪我を負ったせいで映画会社との専属契約を切られ、コメディに進出したとありました。 
ルーシー・ショーのルシル・ボールも若い時も結構年取ってからも美人ですが、コメディアンヌとは言え、美人系統ですね。 

僕の見た映画では特にギャグを飛ばして笑いを取るという場面はなかったですが、何となくユーモアが漂っていて好感のもてる女優でした。 

確かに昔はいかにも銀幕のスターという、スターらしきスターがいましたが、現代のスターはどことなくそのへんにも居そうな感じがあるのは確かですね。映画自体もそう面白い物はないし、昔の古い映画に結構みごたえのあるのがありそうです。 

2007年09月19日
05:32
あんらぎ 

Nao san 
キャロルの死後、ショックのせいで失意の日々を送るゲーブルは、戦争に志願して自ら死ぬような行為を繰り返したとも言われているそうです。 

キャロルは戦争国債の宣伝に出かけてロスへの帰りにネバダで飛行機事故にあいなくなったそうですから、ゲーブルが戦争に志願したのもその失意と亡き妻に報いるためだったんでしょうかね。 

ゲーブルはその後、2度も(キャロルとの結婚前にも2度)結婚したようですが、最後は彼女の墓の隣に葬るよう遺言があったそうです。 

よっぽど彼女を愛していたんでしょうね。1976年、この二人を偲んで「面影」(「Gable & Lombard」ゲーブル役にジェームズ・ブローリン、キャロル役にジル・クレイバーグ)が製作されたそうです。

  

「ブラッドダイヤモンド」という映画をレンタルDVDでみた。アフリカの象牙海岸のある国の政府軍とゲリラの内戦とダイヤモンドの採掘の利権、さらに武装ゲリラが村々を襲っては子供たちを誘拐、子供兵士にしている現状を描いた映画である。 

主人公のレオナルド・ディカプリオがたくましい青年に成長、いい味を出している。さらに子供をゲリラに誘拐された父親役のアフリカ人がとてもいい。詳しくは映画をご覧いただきたい。 

2002年にニューヨークに滞在中に移民、亡命者を対象にした英語クラスに参加したことがある。最初からやり直したかったので面接で初級コースを希望した。2週間でバーバラさんという中年のユダヤ系アメリカ人の先生に中上級コースに編成された。 

そのとき、2週間だけだったが同じクラスにアフリカの象牙海岸から来た女性が2人いた。内乱だか、クーデターかで国を逃れてきた人だった。正確な国名を言っていたが、どこだと聞いたら"Ivory coast"の方が分かり易いだろうと答えていた。 

彼女らはフランス語を話し、一人は裁判官、もう一人は警察官をしていたという政治亡命者であった。裁判官の女性の夫は上級クラスにいた。裁判官だったという女性の方はいつも太いゴールドのチェーンをしていて、25人きょうだいだと言っていた。 

僕は普段から割とジョークを飛ばすタイプである。彼女にこれまで何人を有罪判決したのか・・などと尋ねたり(もちろん冗談ぽくです)いろいろ話をした覚えがある。 

その年のクリスマスには彼女らも含めたフランス語圏のアフリカから来た人たちが7~8人でフランス語でクリスマスソング(ノォエー、ノォエーという歌)を歌って見事なハーモニーを聞かせてくれた。思わず涙がこぼれそうなほど美しい歌声だった。 

その当時はアフリカのことに関して知識もなかったし(現在もそうだが)、政治亡命者といっても裕福な人たちだという意識しかなかった。もし、映画のような事態が現実にあるのなら、そして彼女らがそのような国から来ていた人たちだったとしたらと思うと、顔に冷や水を浴びせられたような気分になった映画であった