身辺雑記(Yahooブログ転記)

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嫌いな食べ物

月曜日の晩に英会話クラスに出かけたら、先生の誕生日だということでクラスメイトのコロンビア女性がケーキにろうそくを立てていた。ドットという愛称のドロシー先生の85才の誕生日だという。 

この方はケンタッキー州に息子一家がいるが、夫を5年ほど前に亡くして以来一人暮らしをしていて、もう一人の先生であるジェーンさん(この方も85才くらいで、目が悪く夫のカール86才と一緒にやってくる)に誘われて英語のボランティアになったのだそうだ。 

週に何度かは病院で面会に来る人たちへの案内係りのボランティアもしているそうで、高齢ながら自分で車も運転している。2週間ほど前に風邪を引いて休んでいるときにジェーンさんから聞いて知ったのだが、5年ほど前から癌を患っていて闘病中でもあるらしい。だがジョークはよく言うし、精神は若々しい。 

何かのきっかけで嫌いな食べ物は?ということで一人ずつ答えることになった。 

ワタクシはいたってこういう質問には弱い。好きな食べものと聞かれてもとりあえず答えられることは答えられるが、もうどうしようもなく好きだというものがない。嫌いな食べ物はと聞かれても大体は食べられるので、これも答えるのに難儀する。 

その日はニカラグアの女性、コロンビア人のカップルと女性、先生が3人いた。ニカラグアの女性は魚が嫌いだと答えていた。匂いが駄目らしい。寿司は食べられるかと聞いたら、他のコロンビアの人たちも嫌いだとのたまった。 

ワタクシが二度と食べようと思わないものといえば、イラブーという乾燥海蛇を戻して昆布などと煮込んだ沖縄料理が苦手である。匂いがきついし、肉が少なくトゲが多い。一度食べて、もう結構だと思った。それにビートというイギリスの根菜も駄目だ。プリンとメニューにあったので注文したこれもイギリスのレストランで出てきたものも羊か豚の血を腸詰にしたもののようで食べたくない。 

小さい頃に食べさせられたという犬肉も食べようとは思わないが、犬肉だというと彼らには相当なショックを与えることになるので、言いたい衝動に駆られて喉元まで出かけたが控えた。琉球料理のイラブーも説明がややこしそうである。 

それで、ウサギ肉が嫌いだと答えた。どうしてかという質問には、ウサギ肉は食べるととてもおいしいけれど、食べた後に罪悪感を抱いてしまうからと答えたらクラス中が大笑いになった。 

これは小学校の頃に近所のおじさんがウサギを絞めて、皮に小さな穴をあけてそこから竹筒でプープー口で吹いて空気を入れパンパンにした後でカミソリでスパッと皮を剥ぐのを見たせいだろうと思う。 

イタリアはウサギ肉をスーパーで売っていて、皮を剥がれた因幡の白ウサギ然としたものがショーケースの中に並べられているが、あれほどふわふわ、ふくよかそうに見えるウサギも皮を剥がれるとやせていてエイリアンのように見える。 

絶対、ウサギ肉だけは食べないと気をつけていたのだが、イタリアに着いた最初の晩にレストランで注文したミートソーススパゲティに使われていたひき肉がウサギ肉だったと気づいたのはかなり後になってからだった。それ以来、自分から注文したことはないが何かの折に何度かウサギ肉を食べる羽目になった。肉はうまい。うまいが、可哀想。可哀想だがうまい。 

カールさんはひな鳩の肉が嫌いだと答えて、奥さんに作って食べさせたこともないのにどうして嫌いなの?と突っ込まれていた。子供時代にやはり鳩が可哀想だと思いながら、実家で食べていたのだそうだ。それから日本の小魚の踊り食いのことを聞いてきた。今86才になる彼は終戦後横須賀に駐留していたことがあり、多分踊り食いを見聞したものと思われる。 

ワタクシは踊り喰いなるものは食べたことも実際に見たこともない。活き作りというさしみの食べ方もちょっと残酷ではないかと個人的には思う。 

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恵美 2009年02月13日 09:41 私は、 
好きな食べ物は、野菜と果物。 
魚と肉は、少しだけ、食べます。。。 
世界中の食べ物、いろいろ、あるけど、全部、食べてみたこと無いので、どうかな。。。 
臭いのは、ためですね。(魚と肉の料理には、臭みを取り除く 
ようにして、料理します。) 

アメリカも、高齢化社会、80過ぎた人たちが、ボランティアもしているそうで、日本も、同じでしょう! 
世界一の長寿国ですから。。。 Nao san 2009年02月13日 10:46 その血入りのソーセージはブータンといいます。 友人の勧めでパリのレストランで食べる事になり・・・・口まで持って行き、 生臭い。どうしよう!!! 
仕方なく少しだけもぐもぐ。 あわてて飲み込みましたが 1日中血の匂いがしていました。南アメリカの人々も食べますよ。 
2度と食べたくない料理の筆頭です。 

甘えびの生きたお刺身。 銀座の中華の有名な料理店。御招待で これも又 飲み込みました。口の中でぴくぴくした感じで罪の意識が大きくて美味しいかどうかわかりませんでした。 やっぱり残酷ですね。 

私はかなりヴェジタリアンに近い食事をしています。 
かえるもウサギもジビエも駄目です。 

海の蛇!!!犬!!!! 
やっと”ごうや”を食べてみた私です。沖縄へ行ったらよくうかがってから口にする事にします。 
上原麻実 2009年02月13日 10:46 恵美さん、 
そうはいっても、沖縄でも寝たきり老人が多いんですよ。 
いくら長生きでも、長期間をベッドで過ごされてもねぇ・・・・ 

イラブ汁はまあ、食べられますよ。 
不味いのは、調理法のしかたが拙いだけ。 
丁寧にやれば、上品な味になれるんですが。 あんらぎ 2009年02月13日 10:55 恵美さん 
僕はもともとは肉類は好きな方だと思います。和食中心のバランスのいい食事をしていた頃は何ともなかったのですが、やはり肉類が安いので少し偏食気味になったのでしょうね。5年前に最初の痛風発作に襲われました。 

最後のは2年前ですが、これまで3回も痛風に襲われています。そしてよく考えるとその時期はやはり肉類を多くたべてバランスの悪い食事をしていたようです。 

今は気をつけて、野菜を中心とした食事を心がけています。 

どうも年配の方たちのボランティアは日本に比べるとアメリカ人の方が多いような気がします。キリスト教会に所属しているとそういう機会も多いことが要因にもなっているとは思いますが、ボランティア精神がやはり強いお国柄のようですね。 あんらぎ 2009年02月13日 11:00 Nao san 
犬を食べさせられていたというのは随分昔の食糧事情の悪い頃の話です。今の沖縄では犬を食べる人は皆無に等しいと思いますよ。メニューにもないのでご安心ください。 

僕が犬を食べさせられたというのが発覚したのは12年ほど前に92才で亡くなった叔母の納骨式で、そこの嫁さんに僕ら兄弟が大きいのはお母さんが一生懸命育てたからなんでしょうね、などと言われて気を大きくした母は、「はい、もう何もない時代でも犬の肉を食べさせてましたから」なんて答えていました。 

カレー肉とか、何かにこっそりと混ぜて食べさせていたみたいですね。大家族でしたし、まあ世間一般が貧しい時代で犬肉(赤犬)を売るお店が市場にあって、やはり豚やその他の肉に比べると安く売られていたみたいですね。 

沖縄料理も進化していて、かなりおいしいですよ。 あんらぎ 2009年02月13日 11:12 上原麻美さん 
僕が食べたイラブーは母が料理したものでした。カツオブシみたいに肉が固くて、魚の骨みたいのがたくさんありました。匂いもちょっときつかったですね。 

料理の上手でなかった母が作ったイラブーだったからまずかったということもきっとあるでしょうねぇ。 

最近の沖縄料理も全般的に上品になっているような気がします。お店で食べるようなおいしいものというより、母親の作った沖縄料理の日常の献立を食べていただけですからねぇ。探せばおいしいものが一杯あると思いますね。 

沖縄そばも昔よりはどこの店のものでもおいしくなってますね。今の人たちの舌が肥えて、さらに料理人の腕も格段に上手になったせいかと思いますね。 

また、僕が沖縄に住んでいた頃は沖縄料理屋という今あるような沖縄料理のメニューを出すお店も高級料理屋以外にはなかったと思います。20才で沖縄を出てますので、もちろんそういう高級なお店で食べるということもなかったですね。 

長寿でも寝たきりでは長寿を喜んでいいのかよくわからないですね。今の医療はお年寄りをなかなか死なせないだけの技術がありますから。大体、もう治る病気ではないと言われて入院してもお年寄りは病気の進行も緩やかなので大体1年くらいは入院生活をした後亡くなるケースも多そうですね。 ○ハラ 2009年02月13日 12:00 あんらぎさん、 
私め、生まれも育ちも広島ですが、牡蠣は大嫌いです。 
小さい時にあたったので。 

何回か食べてみた事はありますが、やはり不味いと言うか気持ち悪いです。 

台湾に行った時、食堂に入って何か麺を食べようと思い、麺の文字の上に漢字が付いたメニューの札が並んで居て、その中から、適当なのを頼んだらこれが牡蠣が上に載った麺でした。 

注文する前に、一緒に居た同僚に「牡蠣以外は何でも食べる」と言っていたので、同僚は大笑いでした。 

虫編に可、この「虫可」の文字、これは牡蠣ですのでご注意ですよ。 
まったく、選りに選って嫌いなモノを頼むし、同僚には笑われるし、旅の恥でした、「旅の恥は牡蠣捨て」って言いますよね。 あんらぎ 2009年02月13日 12:53 ○ハラさん 
牡蠣食えば 鐘が鳴るなり 三点鐘 
キンコンカンコン、キンコンカンコン、キンコンカンコン♪ 

僕も生牡蠣は駄目ですが、牡蠣フライはおいしいと思います。 
虫編に可でカキとは書ききれませんが、とにかくこの虫という字がカギですね。気をつけたいと思います。(といっても僕は生以外の牡蠣は食べれますが)

    

父の命日

2009年02月09日11:47 きのう2月8日は父の13回忌だった。 

85才の高齢だったのでいわゆる天寿を全うしたといえるかも知れない。急性白血病と診断されて医者には2週間くらいですので覚悟してくださいと言われてたが、年寄りで病気の進行が遅かったせいか1年4ヶ月ほど入退院を繰り返して亡くなった。 

特に治療というのはしなくて、血小板が足りなくなったら輸血する。2,3週間入院して少し良くなったら家に戻る。また1,2週間ほどで病院で同じような手当を受ける・・というのを繰り返しながら段々入院している日が長くなっていった。 

「何も悪いこともしてないのに何でこんな病気になったのかな?」と不思議がっていた。本人には病名を最後まで告げてなかったのだが、自分ではわかっていたのかも知れない。 

自分自身も年を取るに連れ、段々死というものに対して冷淡になっていく。他人の死を悲しむ自分もいるが、それよりも死というものが自分にもやがて訪れるものだという実感の方が強くなってきたようだ。 

自分の知りあいの父母も大体が高齢ですでにどちらかが亡くなっていたりあるいは両親とも亡くなられた方が多い。 

まあ、これも自然の摂理で順番ということなのだろう。

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○ハラ 2009年02月09日 12:08 あんらぎさん、 
私の父は2月22日、ゾロ目の覚えやすい日にちに亡くなりました。 
因みに母親の命日は6月6日です。 

不謹慎かとも思いますが、私の場合、父親が死んでも何とも思いませんでした。 
母親が死んだ時にはガックリ来ましたが、父親は元気で金を稼いでくれば良い、の感じでした。 
子供をあまり構わなかったし、無口だったと言うのもありますが、私の父親への印象は薄いです。 

奇しくもあんらぎさんのお父さんと同じ月に亡くなったわけですが、母親が先に逝ったので寂しくて後を追ったのでしょうか。 
私がこんな事を書いているのであの世でチッチッと舌打ちをしているかも知れません。 恵美 2009年02月09日 15:42 > 
85才の高齢だったのでいわゆる天寿を全うしたといえるかも知れない 

本当に、そう思いますね。 

聖書ヘブル9:27 
「そして、人間には、一度死ぬことと死後のさばきを受けることが、 
 定まっているように。。。」 
聖書ローマ6:23 
「罪から来る報酬は死です。しかし、神がくださる賜物は、私たちの 
 主イエス・キリストにある永遠の命です。」 
聖書ローマ3:23 
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることが 
 できず。。。」 
あんらぎさんは、読んだことがありますか? 
あいさいおじさん 2009年02月09日 18:31 あんらぎさん 

あんらぎさんには個人的にレポートしましたが先月22日夜11時20分、母親が92歳で7年間の入院生活の末に眠るように逝去しました。翌日の1月23日が上の娘の結婚記念日でしたのでばあちゃんの命日と一緒じゃ悪いかな、と思ったのでしょうか、日にちの変わる寸前で逝きました。母には私と二人の娘がいましたが、だれよりも涙を流したのは私のカミさんでした。嫁、姑の問題が全くなかったわけではないけれど、毎日のように病院に通って面倒をみてきたカミさん(すでに父母とも他界しています)にとって義母はほとんど実母として投影していたのではないでしょうか。出棺のあいさつのときその感謝の気持ちを述べさせてもらいましたがその時に初めて涙が止まらなくなりました。○原さんのいうとおり、父の時には起きなかった感情です。 

前にも何度か書きましたが寺山修二のことば 
「生が終わって死が始まるのではない、生が終わって死も終わるのだ」 
Man is mortal、ケセラセラ、でんなぁ。 








あんらぎ 2009年02月09日 21:03 僕の父は大正元年生まれですが、確か大正は9月に明治から変更になったので正確には明治生まれということになりますね。 
先の戦争でもガマ(洞窟)の中に毒ガスを流されても生き残っただけ運が良かったと思います。その時になくなっていたら三女以下の子供たちは生まれてなかったです。 

亡くなる直前には子供達一人ずつに手を取って何か言い、割と淡々と意識不明になりました。僕と握手したときは目を開けにくそうにしてましたが、僕だと確認すると言葉ではなくてそっと握手した手の中で指を使って何か秘密のサインらしきものをしてくれました。言葉数は少ないですが、割とにこにこしてユーモアのあるタイプでした。 

姉も言ってましたが、なぜか母親が亡くなったのがショックが大きいというのはやはり母親は実際に子供を産んでくれたという動物の本能、生理的なものが母親にはあるせいなのでしょうかね。 

4年前に亡くなった母の臨終と葬式には間に合わなかったせいもあるでしょうが、まだ死んだというような気がしません。 あんらぎ 2009年02月09日 21:06 恵美さん 
聖書をすべて通して読んだことはありません。 
まあ、どちらかというと僕の死生観は古い沖縄の古代宗教の中にそこはかとなくあるような気がします。 

<聖書ローマ6:23 
「罪から来る報酬は死です。しかし、神がくださる賜物は、私たちの 
 主イエス・キリストにある永遠の命です。」 

この罪から来る報酬は死です・・というのはどことなく僕には受け入れられない感じがあるのも事実ですねぇ。 あんらぎ 2009年02月09日 21:13 あいさいおじさん 
僕の母親が大たい骨骨折で入院した病院に、同じ大たい骨骨折であいさいおじさんのお母様も入院していたという奇遇の出会いがありましたねぇ。 

ふくよかなニコニコとなさったお母様のお顔を覚えています。 
その後、僕の母親はリハビリセンター行きを拒否して、びっこを引きながらも家に戻りそれから3年後に風をこじらせて約1年間の入院生活の末に亡くなりました。 

あいさいおじさんのお母様はそのまま7年もの間入院生活、介護生活に入られてご本人も大変だったでしょうが、あいさいおじさんも、特に奥さんの方は毎日の介護生活をしていて大変なご苦労をなさったと思います。 

奥さんはなかなか人には出来ないことをずっとなさっていた訳ですから大変なことです。ほんと頭があがらないですね。お母様も感謝なさって天国へ旅立たれたことと思います。 

92才の長寿はこれはもう祝福とも言えますね。ご冥福を祈ります。 

両親とも旅立ちを看取ると、やはり自分にもいつかその日が来るということが実感として感じられることがありますねぇ。 TORATONTON 2009年02月09日 22:36 偲ぶお心がご供養かと存じます。 

私の父も、骨髄の病で亡くなりました。 
今年七回忌をしなくては、というところです。 
秋に発病して、お正月は無理といわれましたが、 
春の桜をみて、夏になくなりました。 
存命中に、もっとあんなことやこんなことを 
してあげればよかったと思っています。 
あんらぎ 2009年02月09日 23:37 あれもしてやれば良かったとか、もっといい治療法がなかっただろうかとどうしても考えがちになるのは確かですね。 

僕もそうお墓や仏壇の前に行くことは物理的に出来ませんが、こう心の中で思い出したり偲んだりすることも供養の一種かも知れないですねぇ。 

今は入院して点滴だの輸血だのをしてもらうと、不治の病で直らないと言われても割合半年から1年くらいは病院生活をしたのちに亡くなるケースが多そうですね。ホスピスという概念が父母の入院中に心の中に浮かんでいたことを思い出します。 バックアイ 2009年02月10日 04:20 私の母は1月8日、父は1月28日、最近亡くなった義父は1月3日、と 
1月は命日が多かったです。 
2月は私にとってはじめての肉親の死で9日が祖母の命日でした。 

私も死を常に意識して、「では、今何をすべきか」と逆算して 
生きているつもりです。それは悲観的な生き方ではなく 
自覚した且つ楽観的な生き方です。 
長く健康で生きることが私にとっても目標ですが、 
短くても自分の精一杯のことをまっとうできれば 
それはそれですばらしいとも思います。 恵美 2009年02月10日 05:00 あんらぎさん。 
ここで、「罪」と言うのは、自分自身が、罪を、犯した事では、 
ありません。 
私たちは、最初の神の子として、造られたアダムの子孫ですから、 
アダムが、神様のおきてに、背き罪を犯した、その罪を生まれながら、 
罪の遺伝子を、受け続いたからです。 

リンゴの種を、植えれば、リンゴの木が育ち、リンゴの実を 
結びます。柿や、梨の実は結びません。 
それと同じく、 
罪の種をもって生まれた人間は、目で見て罪が現れなくても、 
すでに、生まれながら、罪の種が、魂の奥深くに、存在するのです。 
それに、気付く人々は、先ず、先祖の罪から、悔い改めて、 
購われて、天国を望みに置くのです。 
罪は、神の一人子、主イエス・キリストが、十字架で、すべての 
人類の罪を背負って、支払ってくださいました。 
主イエスは、ご自分の血潮で、万民を買い取り、勝利したのです。 
だから、主イエスを信じるだけで、天国のパスポートを、手に入れる 
わけです。 
これが、クリスチャンの特権であり、喜びなのですね。 

この真理を知れば、「罪から来る報酬は死です・・・」という事に、 
威圧感もなくなるはずですね。。。 
神様は、『愛』ですから、私たちの愚かな考えも、幼い幼稚ぽい 
ところも、愛し、良い、正しい天の知恵を与えてくださいます! 
長々と、失礼しました。。。 
分かち合いたいでしたので。。。 
しかし、沖縄の古代宗教を、こよなく愛する、 
あんらぎさんのような人が、居るから、沖縄も永遠に、美しい島国として、物語られるでしょう。。。ね! あんらぎ 2009年02月10日 13:01 バックアイさん 
自分の両親が死んじゃうことはないとずっと思っていた時代があったんですがねぇ。やはり死んじゃってからああ、自分の親といえども死んじゃうことがあるのかとがっくりきましたね。 

イタリアあたりの古い教会の入り口ドアの上付近には髑髏のマークにMemento Morte(間違っているかも知れませんが,メメント モルト(死を忘るるなかれ)」という文字が彫られてますね。 

常に死を意識しながら生をまっとうせよ。ということでしょうか。短い生きている時間をそれこそ大切にしろという意味にもなるのだと思います。

    

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2009年02月11日12:00 

ワタクシ専用の車は1982年に製造されたビューイックのスカイラークである。 

家内の従兄弟の奥さんの叔母ご夫婦の所有していた車で「べッツィ」という愛称まであり、ワタクシもその名前を継承して「べッツィ」と呼んでいる。 

書くときりがないので端折るとその車の持ち主は3年前に92才で亡くなられて、それを相続した従兄弟の奥さんからTVや椅子、ナイトテーブル、食器や多量の缶詰つきで300ドルで購入したものである。 

亡くなられた女性は若かりし頃は髪型のモデルをしていたことがあるそうで、その写真や老後の写真も見せてもらったので、かつての持ち主のイメージは持っている。 

高齢の方の所有していた車なのでそれほど距離も走ってなく、エンジンは割りとしっかりしている。しかし去年の11月に走っているとメーター類が突然ゼロを指したまま動かなくなった。 

ちょうど、従兄弟の奥さんが心臓発作で入院している時だったので、ちょっとした因果を感じた。かなりの確率で危ないと聞いていたのだが、その後無事に退院できたので何かその車のメーターが身代わりにでもなったのかなという感じを少し覚えたものだ。 

スカイラークとは雲雀(ひばり)のことである。だが、その車は雲雀のくせに雲雀ではなくて蜂が住み着いている。ワスプという大きな蜂だ。 

運転中に蜂が車内を飛び回っていて窓を開けて解放したことがあった。その後、家に戻って車を駐車して外に出ると一匹の蜂が飛んできて閉めた窓ガラスの隙間から下の方に潜り込んでいくのを目撃した。 

再びドアをあけると目にしたのが写真の蜂の巣である。 

原因はほとんどその車を使ってないからであろう。しかし、ほんと変なところに巣を作るものだ。駐車する位置を少し変えたら、蜂自体はいなくなったので、巣はまだそのままにしてある。 

郵便受けの中には蜘蛛が住み着いている。かまぼこ型のメタルで作られた郵便受けで、閉めると密閉されて出入りができないのではと思っていたら、床に小さな穴があいている。そこから出入りしているのではないかと思う。

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Nao san 2009年02月11日 12:33 我が家のポストにはリザート(トカゲ)が住んでいます。 
夏の炎天下は暑いのできっとどこかに隠れ場所があるのでしょう。 
同じ発想で少し扉を開けておくのですが。 

ワスプはさされると痛いですよ。避けたほうが良いですね。 

そのベッツイ・・・・大事に使ってください。 あんらぎ 2009年02月11日 13:15 Nao san 
蟻の屋内進出にも困りましたが、これは実害があるので殺虫剤を家の周りに撒いたら来なくなりました。 

あと、コオロギやバッタがどこから入るのか時々屋内で見つかりますね。 

蜂の方は車が移動するたびに自分の家が勝手に動いていくことに気づいたのか、巣は空っぽになっています。まあ、魔よけ?として記念にそのままにしておこうと思います。 

蜘蛛の方はこれも実害がないので、そのままほっといて郵便受けを開ける楽しみにしています。巣から出ているときなどは大慌てで白い巣の中に入っていくのですが、透き通っているので本体は丸見えです。もっと巣を厚めに作らないとスッパイダーと思っているかも知れないですね。 ○ハラ 2009年02月11日 13:50 あんらぎさん、 
雲雀も蜂もそして蜘蛛も空を飛びますよね。 

あんらぎさんも飛んでます。 

私も飛べれば八重山上空を飛ぶのですが。 

何回? ハイ、千回(旋回)です。 恵美 2009年02月11日 14:36 家のベランダには、雀が、巣を作って、 
卵を産んで、その卵から、赤ちゃん雀が出て来た時、 
雀の家族は、皆、飛んで行きました! 
可愛いでした!親が未だ、羽のない赤ちゃん雀に、 
一日、何回も、餌を口に持って来て、食べさせてました。 
風人 2009年02月11日 18:10 私も車を余り乗っていないため、 
車のボンネットの上には、 
ハトかカラスの糞が沢山付着することが多いですよ! 

1ヶ月に2回程度のペースでしょうか、 
都内を車で走るのは・・・ 

車は要らないとも思ったりしています・・・ 
借りている月極め駐車料金が、 
23区内はバカにならないし・・・ 
あんらぎ 2009年02月11日 20:12 ○ハラさん 
「べッツィ」に給油していると隣で給油していた車が給油口の蓋をしないまま発進して出て行きました。大回りで出口に向かうところだったので、先回りして合図して停まったところを蓋を締めてあげたら、車から降りてきて感謝していました。 

80台半ばくらいの老人で、僕の車が珍しいというか懐かしくて見とれていたのだとか笑いながら話してました。エアーバッグがないとか、安全面で今の車の規準より規制が緩やかですが、車自体のデザインは今の車のデザインよりはいいような気がしないでもないです。 

これで、空でも飛んだらチキチキバンバンになります。 あんらぎ 2009年02月11日 20:14 恵美さん 
雀にお宿を貸していたのですね。いずれ、雀一家が恩返しにやってくるかも知れないですね。 

すずめが他のすずめにあの人のお宅は親切だから巣作りはあそこでしたらいいよ・・なんてすすめられたりしているかも知れませんねぇ。 あんらぎ 2009年02月11日 20:29 風人さん 
都内23区内の駐車場はバブル華やかなりし頃はアパートが借りられる値段並のがあったりしましたね。 

僕は営業で使わなければならなかったのと、車を購入する前に公団の駐車場が月々1万円のが抽選であたったので車を購入しました。 

東京は公共の交通網が発達してるので車がなくても確かに生活に不便は感じないでしょうね。 

アメリカは、特に地方都市ではバスさえもないところがありますので車はほんとに必需品ですね。銀行にもドライブスルーで車に乗ったままインターフォンでやり取りして、真空パイプの中を書類や現金が行き来するのもあります。スーパーの薬局などもドライブしたまま窓口に行けたりします。 

高齢者の運転者が多いので、ウィンカーを使わずにいきなり右折したりしますね。 

僕専用の車はかなり古いので不安があり、遠出はしないようにしていてどこか遠くへは家内の車を使っています。

    

カールトン昇天

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2009年01月16日08:17 

Subject: IN MEMORIAM, JANUARY 14, 2009, 4:20 P.M. 

いつも動物に関する微笑ましいメールを送ってくれるロス在の女性の方の愛猫が亡くなったようだ。 
詳細はなく、タイトルだけの文字にカールトンの写真が添付されていた。 

事務的な報告のようなタイトルにその深い悲しみが伺える。 

3年前から腎臓病を患っていて、フロリダ大学の獣医学部では猫の腎臓移植をしているらしいから調べてくれと家内に依頼があったりした。かつては確かにやっていたようで、今はしてないことが判明した。 

何度か危ない状態を切り抜けてきたが、去年のクリスマス頃から食欲も失せて窓べに寝そべって動かない状態だというメールは貰っていた。ロスからサンディゴの動物病院も何度も行き来してかなりの費用も費やしたものと思う。 

2005年の3月に一度、お宅を訪ねてカールトンとはご対面している。かなり大きな猫で、実は隣の家の飼い猫だった。隣家の夫婦が離婚、女性が家を出て行ったせいで、残された男性があまり面倒を見なくなったらしい。(彼女の言い分だが) 

彼女の家の庭にその猫がよく現れるようになって、あまり面倒を見てない様子なので秘かに家に入れて自分の吸っている煙草の銘柄カールトンという名を付けて飼い猫にしてしまった猫なのである。 

その後、隣の男性は写真つきのポスターを近所に貼って、彼女の家までドアをノックして見かけなかったかどうか聞きにも来たらしい。(おいおい、ちゃんと探して面倒を見ていたのでは・・?) 

旅行好きの60代半ばのカップルであるが、カールトンを飼いはじめてからは猫を放っとく訳にはいかないとそれぞれが別々に旅行するというほどに猫可愛がりにしていた。 

最近では自分の両親が亡くなるよりもカールトンが亡くなるのが悲しいだろうというメールも貰ったばかりだった。(彼女の両親はとっくに亡くなっているのだけれど) 

カールトン(雄猫)去年15才、 享年16才。 
合掌。 

言葉もないので、彼女にはこういうメールを送った。 

I’m sorry I have no words to comfort you. 
Carlton was a very happy cat with you. 
I am deeply sorry. 


たかが猫、されど猫 
この歌が何だかぴったりくる。 

http://www.youtube.com/watch?v=7ExFZ-u4XxM&feature=related 

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Nao san 2009年01月16日 10:18 きれいな猫でしたね。 
カールトンを探していた方。お気の毒に。 

猫は一番住み心地の良い場所を知っているのですよ。 

猫にとっても飼い主にとっても最高な時間が持てたのです。 
カールトンは永遠に彼らの心の中で生きているのです。

ミミオルカ 2009年01月16日 16:28 
この話題に、この曲と映像を選ばれた、あんらぎさんの感性に 
感銘しました。 

めぐりめぐって、いのちはつながっているんですね。 
カールトンのご冥福をお祈りいたします。 
(
I pray for Carlton. Rest in peace)


○ハラ 2009年01月16日 17:33 あんらぎさん、 
カールトンも幸せな一生だったと言えるのでしょうね。 

隣の家の猫なのに自分とこのにしてしまおう、と見込まれたと言うのも運があったのでしょう。 

猫も死んだら天国に行くのでしょうか、それともまたすぐに生まれ変わるのでしょうか。 
全部の猫が生まれ変われるとは思えませんから、中にはひ”まや~”(暇や~)、と言うのも居るでしょうが、ほとんどは次に行かニャ~でしょう。 
(
He is a lucky cat.)

果たしてカールトン、あの世に帰るトンか、別の姿でこの世に帰るトンか。 

あんらぎ 2009年01月16日 21:14 Naosan 
隣の男性もしばらくしてから引っ越していったそうですから、カールトンにとっては引き取られて幸せだったのではないでしょうか。 
気落ちしてこれまで送ってくれていたような動物や面白い話題のメールが途絶えないか気になりますねぇ。 あんらぎ 2009年01月16日 21:18 ミミオルカさん 
この歌がレクイエムにぴったりだと思ったのは献歌として葬儀に歌われている映像を見て、なるほどと思いました。 
夏川りみ「涙そうそう」もいいかと思ったのですが、まだ古いアルバムにはなってないですからね。 あんらぎ 2009年01月16日 21:28 ○ハラさん 
ロスの郊外は本来は雨もほとんど降らない砂漠のような感じのところらしいですね。それをロッキー山脈から流れてくる水を灌漑して、スプリンクラーで緑地帯にしているようなもので、人工的に水を与えないと砂漠に戻ってしまうような土地柄らしいです。 

住宅地にもコヨーテが現れるそうで、そのあたりで見かけるコヨーテは人間の残飯やらペットを餌にして丸まると太っているそうです。カールトンもそのまま外猫としての人生、いや猫生を送っていたらコヨーテに食べられる運命にあったかも知れません。 

コヨーテにとっては運よく餌にありついて、こりゃ、うんめぇ~と喜んだかも知れませんが、猫は七たびだか、九たびだか生まれ変わるといわれているとはいえ、そうそうコヨーテの餌になるのもトンでもないことでしょう。 

腎臓病をわずらって重体に何度もなりながらも発病後3年も永らえたのも飼い主の世話のおかげかでやはり運のいい幸せな猫だったと思います。 

彼女からは猫も5才を過ぎたら保険に入っていた方がいいというアドバイスを貰いました。年齢が行くとやはり猫でも保険に入れないこともあるようで、そうでないと医療費がバカにならないそうです。 

ワタクシはトラとマヤにはもしカールトンのような状況になったら、あきらめて運がなかったと思いあの世にうらみつらみなく行くように言い聞かせることしかできそうにないです。 

まあ、カールトンも煙草の名前だそうですが煙となって天国に昇天したと思います。 TORATONTON 2009年01月23日 19:47 なくなられたカールトン様のご冥福をお祈り申し上げます。 

猫と腎臓病、よく耳にします。 
うちのねこも、ガンが見つかったのに、腎臓が悪くなっていて手術ができず、なくなりました。 あんらぎ 2009年01月26日 20:55 TORATONTONさん 
オス猫でしたか? 
獣医によるとオス猫は腎臓系統の病気になりやすいと言ってましたね。 
水をよく与えたほうがいいとアドバイスされました。 

ペットとはいえ、一緒に長年暮らしているとやはり家族の一員ですから、つらかったでしょうね。ご冥福を祈ります。

    

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車庫の中の生き物たち編集する 2008年12月21日01:19 
車庫の中の生き物たち編集する 2008年12月21日01:19 

8月か9月だったか、日記に車で蝶をはねたことを書いた。(ミクシィにも自分の書いた日記を検索するシステムがあれば便利だと思うのだけれど) 

もちろん家に帰ってから車のフロントの空気取り入れ口あたりに付着しているのに気づいたのだが、捨てるに忍びず後で標本にでもしようとガレージに山積みにした引越して来た際の手づかずになったダンボール箱の上に置いといた。       

後で取りに行くとその蝶のボディが見当たらなくなっていた。周りを探したのだけれど、結局見つからなかった。 

先日、そのダンボールの箱の整理を思い立って、動かしたら蝶の羽がダンボール箱の下から出てきたのである。羽が4枚だけ、ボディーはまったく見当たらずその痕跡もなかった。 

雲をつかむような話だが、どうやら蜘蛛が蝶の亡骸をダンボールの下に引き込んでボディは食べたようなのだ。蜘蛛はガレージの中に何匹も住み着いている。蟻や黒いボディのコオロギ、バッタもいつの間にか中に侵入してくる。そういえばカブト虫も玄関ドアに来たことがあった。 

蟻は部屋の中まで侵入してくる。蟻専用の殺虫剤を家の外壁廻りにアントゥトロワ(アンドゥトロゥワとアントゥ蟻取ろぅわのシャレです)と言いつつ、プシュプシュと噴霧したのだった。 

★写真は蝶の羽と侵入していたバッタ。蝶はどうやらバイスロイという種類の蝶のようで、一枚色違いに写っているのはその裏側の羽。 
バッタは胴体の形が擬態というのだろうか、グリーンの葉っぱに見えた。バッタは手で掴み、即時退去していただいた。
8月か9月だったか、日記に車で蝶をはねたことを書いた。(ミクシィにも自分の書いた日記を検索するシステムがあれば便利だと思うのだけれど) 

もちろん家に帰ってから車のフロントの空気取り入れ口あたりに付着しているのに気づいたのだが、捨てるに忍びず後で標本にでもしようとガレージに山積みにした引越して来た際の手づかずになったダンボール箱の上に置いといた。       

後で取りに行くとその蝶のボディが見当たらなくなっていた。周りを探したのだけれど、結局見つからなかった。 

先日、そのダンボールの箱の整理を思い立って、動かしたら蝶の羽がダンボール箱の下から出てきたのである。羽が4枚だけ、ボディーはまったく見当たらずその痕跡もなかった。 

雲をつかむような話だが、どうやら蜘蛛が蝶の亡骸をダンボールの下に引き込んでボディは食べたようなのだ。蜘蛛はガレージの中に何匹も住み着いている。蟻や黒いボディのコオロギ、バッタもいつの間にか中に侵入してくる。そういえばカブト虫も玄関ドアに来たことがあった。 

蟻は部屋の中まで侵入してくる。蟻専用の殺虫剤を家の外壁廻りにアントゥトロワ(アンドゥトロゥワとアントゥ蟻取ろぅわのシャレです)と言いつつ、プシュプシュと噴霧したのだった。 

★写真は蝶の羽と侵入していたバッタ。蝶はどうやらバイスロイという種類の蝶のようで、一枚色違いに写っているのはその裏側の羽。 
バッタは胴体の形が擬態というのだろうか、グリーンの葉っぱに見えた。バッタは手で掴み、即時退去していただいた