2009年02月09日12:36 夏川りみさんの結婚後初めてのコンサートが中野サンプラザであったそうで、りみさんファンの方が日記に取り上げていた。
ワタクシも中野サンプラザといえばとても懐かしい。沖縄から一緒に上京してきた高校時代の友人が住んでいたり、行きつけのスナックがあった。中野で飲むと、そういう知り合いの部屋に泊まっていたのだが、徐々に友人達も沖縄に帰っていってある時などは終電を逃して行くところもなく、その中野サンプラザの前の植え込みの中で寝たことがあった。(おいおい、そういう懐かしさかよ)
りみさんの旦那さんは同じツアーコンサートで一緒に回っているパーカッション奏者の玉木さんという方だそうだ。玉城(たまき)姓なら沖縄にもあるが、この玉木さんは沖縄の人間ではないそうである。
パーカッションと言えば、5年ほど前にニューヨークで教会の中でコンサートがあって行ったことがあった。そのコンサートはピアノ、バイオリン、管楽器、パーカッションなどの楽器で教会なので舞台の上というより一段高くなったところにピアノやバイオリン、観客と同じ床の上にパーカッションの方がいて、僕はそのすぐそばに座っていた。
長い少し白髪の入った髪の中年のやせたアジア人女性で、あとでパンフレットを見たら日本人だった。演奏はほとんどピアノ、特にバイオリンが中心でほんの時たまパーカッションが用いられていた。
すぐそばなのでその手の動きが手に取るように眺められた。太鼓を掌で叩いた後はそっと親指の背を端の方から太鼓の真ん中あたりまでスーッと引きながら振動をそっと鎮めて音を消すのである。なかなか高度なテクニックだと思った。
そのとき、ワタクシがもし音楽家になるのならパーカッション奏者がいいと一瞬思ったものだった。
結構長い演奏時間のうち、パーカッションの出番はほんの少しだけであった。バイオリンやピアノは出ずっぱりであったが果たしてお給料はそれぞれの楽器で格差があるのであろうか?
もし一緒だとしたら、これは最高に嬉しいことだ。だが、やはりバイオリンなどはコンサートのない日でも最低一日に4時間ほどは練習していないと腕が落ちるとか言われている。もし同じお給料ならこれはワタクシの良心が許さないであろう。ワタクシならコンサートが終わった後にピアノやバイオリン奏者を食事に誘ってご馳走する。ああ、あのパーカッションの方はいい人だという噂が広まり、また次の仕事へと発展していくに違いない。パーカッション奏者にはそういう訳で人あたりのいい人が多いのではなかろうか?
しかし、実働時間からいったらパーカッションよりはシンバルの方が効率が良くはないだろうか?シンバルなんて大体曲のクライマックスでジャンジャンと打ち鳴らしてこれまでオーケストラが延々と地道に築き上げてきたものを一瞬にかっさらっていってしまう。これだけ注目を浴びる楽器もないではないか。
バイオリンなんて一日に4時間も練習するというが、シンバルだってプロともなればやはり一日に4時間くらいの練習はしなくちゃならない。しかしジャンジャンシンバルを叩いているだけで練習と言えるのであろうか?隣近所から苦情が来るのではないだろうか。
まあ、こう考えてくるとパーカッションにもシンバルにもそれぞれ一長一短がありそうだ。でもりみさんのような方の心を射止めるのにはパーカッション奏者のパッションの方に分がありそうである。
○ハラ 2009年02月09日 17:31 あんらぎさん、 りみさんが玉木さんとの結婚を決めたのは、玉木さんが周りに好かれる人柄、それとりみさんより酒が強かった事らしいですよ。
玉木さんなどプロのパーカッション奏者は別ですが、音楽を始めるのに一番気楽に始められるのは打楽器です。
ピアノも打楽器ですが、これは鍵盤楽器ともされていますのでここでは省くとして、太鼓などの打楽器は取っ掛かり易い代わりに、飽きるのも早いです。
音楽は二次元で、メロディー楽器の場合はの高さ(上下方向)と長さ(左右方向)がありますが、太鼓などのリズム楽器は高さがありませんからその分楽で、メロディー屋さんでも基本的なリズムは出せるはずです。 リズム楽器は単調になる事を補うために違う音程の太鼓を置いておいてそれらを叩く事で音の違いを出したり、ミュートしたり、太鼓の皮を滑らせて音を変えてみたり。
その代わり、リズムだけなので楽器というモノがどうしても要るわけではありません、木でもドラム缶ででも叩けばリズム音が出せます。
ロック・バンドの場合だと、割合、メロディー楽器の奏者からは安く見られがちなので、リズム屋さんになるには強い精神力が必要です。
つまりリズム楽器担当は、”打たれ”強く無いとやって行けないのです。 ミミオルカ 2009年02月09日 21:09 中野サンプラザと言えば、いまではコンサートホールとして知られていますが、 元はと言えば、「全国勤労青少年会館」が正式な名称で、旧労働省の雇用促進 事業団が勤労者福祉施設として建設したもの。
ここには、研修施設や相談センター、図書館などが併設されていたが、ここの ホールが都内では日比谷野外音楽堂や日本武道館と並んで、若者の文化の発信 地として人気があり収益性も高いことから、もとの機能の廃止後は、中野区を 含む第三セクター「株式会社中野サンプラザ」が運営を開始し、文化複合施設 としてホテル・結婚式会場の運営、カルチャーセンターの開催、スポーツ施設 の運営などを行っているそうです。
あの三角形の形状は、近隣への日影を配慮して決められたもの。
ところで、夏川りみが歌っている「愛のチカラ」は、我らがミヤギマモルさん の作詞ですよね あんらぎ 2009年02月09日 21:17 恵美さん 僕は最近音楽はYoutubeで聞くことが多いですね。音質はそうよくないかも知れませんが、なにしろ映像も一緒でああこんな人が歌っていたのかとか昔ラジオから流れて聞いただけの歌にもあらたな発見があったりしますね。
夏川りみさんも僕が日本を離れてからブレークした歌手ですが、マイミクさんにはりみさんのファンクラブの方がいてその情報からやはりYoutubeで姿や歌声を知りました。とてもいい声で歌う歌の内容もいいですよ。 あんらぎ 2009年02月09日 21:33 風人さん 中野によく飲みに行ったのは学生時代から20代の後半にかけてですね。 当時は沖縄料理屋といえば、「琉球酒館」「ハイビスカス」?(池袋の「みやらび」に勤めていた八重山の女性がしていました)それとかなり早くに廃業した食堂ぽい飲み屋の「琉球」というのがあり、これはマスターは沖縄の方ではなかったですが、安いので僕ら友人の行きつけになってました。
「山原船」は新里愛蔵さんの経営のお店ですね。大学の文化祭にゲストで三線とマンドリン奏者を呼んで沖縄民謡を演奏してもらったことがありました。お店も僕が中野に行かなくなってからオープンなので一度だけ覗いたことがあるきりでした。
その近くの「なでしこ」というスナックがママさんは岡山の方でしたが、やはり沖縄の人のたまり場になっていてそこで草野球チーム「ドリンカーズ」というのを作っていました。その当時の甲子園出場の常連高、豊見城高校のOBも何人かいて江戸川河川敷草野球大会で1位になったことなどありましたね。
新井薬師に行く商店街を抜け切ったところに沖縄居酒屋があり、その開店祝いには那覇市役所から出張できた友人に連れられて行った覚えがあります。中野、高円寺界隈には今はかなりの沖縄料理屋、スナックがあるようですね。 あんらぎ 2009年02月09日 21:38 ミミオルカさん 中野サンプラザの8階にある図書館、その下の「ヤングプラザ」には中野に寄るとよく行ってましたね。
7階の「ヤングプラザ」には将棋などをするコーナーと共に全国の地方新聞を閲覧できるコーナーがありました。そこで時折懐かしさから沖縄地元の新聞を読んだりした覚えがあります。
まだPCが普及するずっと前のことで、今みたいにどこからでも情報が手に入るという時代ではなかったですから、ホームシックを解消するのと沖縄の情報を手に入れるということで重宝したものです。
男性は夏川りみさんファン、女性はミヤギマモルさんファンの方が僕のマイミクさんには多いですね。なんでかねぇ? あんらぎ 2009年02月09日 22:27 ○ハラさん 知らぬ同士がお皿叩いてチャンチキおけさぁ♪ ですからね。リズムを取ると言うのは割りと誰でもできて、しかもその場にいる人たちとの連帯感、共感を覚えやすいものなんでしょうね。
ワタクシも楽器一切できないのですが、沖縄スナックではサンバ(三板)というカスタネットみたいな薄い板を三枚合わせたリズム楽器で割りと器用にカチカチ鳴らせます。そうすると踊り出す人もいますねぇ・
赤青黄色のてんとう虫がサンバに合わせて踊り出す♪ ではなくて、 赤青黄色の酔っ払い顔たちがサンバに合わせて踊り出す♪でした。 バックアイ 2009年02月10日 04:39 >>草野球チーム「ドリンカーズ」というのを作っていました。 ネーミングのすごさに感動してしまいました。 宮古んちゅも多かったのかな?と想像してしまいました。 うちのダンナがいた草野球チームはMoFo'sでスラングのMother F・・・に 語源があるという、全くおふざけ極まるチーム名でした。 20数年前の当時のユニフォームはまだ大事に健在です。
パーカッションは小5から大学1年までやってました。 合同練習はすっごく時間が余りましたが、他の人たちの演奏を聞いて勉強する大事な時間でもありましたよ。
叔母の知り合いがシンバル奏者ですが、大変厳しい練習だときいています。1回でも練習を欠席すると、次の人(ポジション待ち)をさっさと上げるとか。 人数に限りのあるオーケストラですから、1回1回が真剣勝負だそうです。 お給料は(別のオーケストラの話ですが)他の楽器の方と同じだそうですよ。これは日本のある番組でいってました。 あんらぎ 2009年02月10日 12:55 バックアイさん 「ドリンカーズ」スナックの常連で作った名前ですから、まるっきりそのままのネーミングでぴったりですね。監督は糸満の人で、後に自分でもスナックを中野で経営してそのお店の名前が「フルカウント」でした。
今みたいにメールのある時代ではないですから、僕が中野界隈から姿を消してそれっきりになってますねぇ。
パーカッションを学生時代にしていたということはバンド部所属だったのですね。音楽演奏はそれぞれの器楽担当者が集まって作り上げるものですから、それぞれの担当楽器のどれを欠いても完成しないですね。チームで作り上げていく、その凄さと大変さがありそうですね。
シンバルもシンバルだけをジャンジャン鳴らしても練習にはならないのでしょうから、やはりその曲の流れの中で持ち場について鳴らさないと意味がないのでしょうね。一回一回が真剣勝負というのもわかる気はしますが、そこで片方を落っことしたり、空振りをしたりするとドリフのズンドコ節になっちゃいますね。シンバル奏者も一笑、いや一生仕事が回ってこなくなり、不幸のズンドコ、いやどん底に落ち込みますからほんと真剣でなければ出来ない商売ですね。
そういうストレスも抱えているのでやはりお給料はバイオリンやピアノ奏者と一緒ということなのでしょうか。ちょっと考え違いしている気が自分でもわかっているのですが・・
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