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2009年02月28日21:38 2月24日(火)那覇市民会館大ホールで『ありがとう 筑紫さん』お別れ会が行われたそうです。 

その後引き続き第二部「うた供養・語い供養」も行われたようです。 
http://www.rbc-ryukyu.co.jp/rnews.php?itemid=20846 

PCを持ってなかった頃、東京での生活の長いワタクシには割と沖縄の基地問題や生活、芸能、文化を筑紫さんは自分がキャスターをしていたニュース番組で伝えてくれた骨太のジャーナリストでした。 

沖縄が日本に復帰する以前の1968年からしばらく朝日新聞の特派員として沖縄で記者生活をしていた時期があるようで、その頃に沖縄の音楽や文化に魅せられたそうです。 

自身がキャスターをしていたニュース番組の中でも「りんけんバンド」や「ネーネーズ」などをよく紹介してくれて、その番組によってワタクシも彼ら彼女らの存在を知った次第です。そういう訳で沖縄の文化人、芸能人、アーティストとの親交も深く老後は沖縄で過ごしたいと語っていたようです。 

そういった経緯から生前、筑紫さんとの親交のあった歌い手たちが集まって見送る会をなされたようです。特にすでに解散した「ネーネーズ」が歌を歌われたというのは筑紫さんも喜ばれたのではないでしょうか。 

「テーゲー」 ネーネーズ 
http://www.youtube.com/watch?v=nap-HZvtoVA&feature=related 

Youtubeには「黄金の花」夏川りみさんの歌がありましたが、会場では初代ネーネーズが最後に唄ってくれたそうです。 
http://www.youtube.com/watch?v=sqRCIurkigk&feature=related 


沖縄の基地問題を取り上げた、時事争論の中で「沖縄はアメリカの植民地というだけでなく、日本の植民地でもある複雑な二重構造の中に置かれている」と発言していたことが深く印象に残っています。 

画一的でない、多様性を重んじる姿勢がニュースを伝える単なるジャーナリストという枠を超えて沖縄の人間にも愛された稀有な方だったように思います。 

合掌。

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風人 2009年02月28日 22:10 仰るとおりで、 
沖縄を愛した筑紫哲也さんでした! 

反権力の本物のジャーナリストが、 
居なくなったことは、 
本当に残念で仕方ありません!! 

合掌!!! 
千之家(せんのや ) 2009年02月28日 22:10 1968年 筑紫さんが 沖縄赴任なさってきたとき 私の businessの office が すぐ近くで よくお会いしました。 

この お別れ会 同席した マイミク 「かつぼたつ沖縄」さんが 一部始終を 記録してくださいました。ぜひごらんになってください。 

http://blog.netlink.ne.jp/katubotatu/4806-comment.html 

かつぼたつ沖縄さん マイミク 待たないと満席です。残念ですね。 
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=10212303 
  Gandhi-Ganjee 2009年02月28日 22:16 あらゆる問題で権力につかず、弱者(沖縄はその中で大きな存在)の側に立つジャーナリスト。その姿勢に、共感していました。(野球は広島カープファン。久米宏もそうだったか) ○ハラ 2009年02月28日 23:24 去年、石垣に行った時、図書館や本屋に筑紫さんの写真がありました。 

私が沖縄のいろんな音楽を知ったのも「ニュース23」からでしたし、筑紫さんが沖縄を世間に広めた功績には計り知れないモノがあると思います。 

名誉県民の価値は十分にあると思います。 あんらぎ 2009年03月01日 09:36 風人さん 
政治・経済・国際問題と多岐に渡って取り上げてはわかりやすくニュースで検証までしていた姿勢が忘れられないですね。 

それに文化・アートに関しても深い造詣のある方だったように思います。ほんとうに残念です。 あんらぎ 2009年03月01日 09:40 千之家さん 
筑紫さんが1968年から沖縄特派員として滞在なされたそうですが、千之家さんはそれに先立つこと1967年ですから1年先輩ですね。しかも千之家さんはそのままずっと沖縄滞在を続けられてますね。 

筑紫さんと同時期に道ですれ違いがあったというのは面白いです。 

勝ぼたさんは僕のマイミクさんになっていただいております。一度、1000人いたマイミクさんをすべて解約して、さらにあらたに募集なされたようで、その時にたまたまマイミクさんになっていただきました。 

沖縄の情報を面白おかしく、かつ真面目に伝えていて多くのファンがいらっしゃる方ですね。お別れ会の詳細がわかりました。ありがたいことです。 あんらぎ 2009年03月01日 09:46 Gandhi-Ganjeeさん 
最後に筑紫哲也さんのニュースを見たのがかれこれ8年前になってしまいました。とっさには「ニュース23」という番組名も思い出せなかったです。 

肺がんで入院して、その後手術もうまくいったというのを読んだ覚えがあったのすが残念です。 

彼が「ニュース23」の最後の出演となった日のYoutubeがありました。 
その中で 
「ジャーナリズムとは大きな権力の監視役である。 
1つに流れやすいこの国の中で、少数派であるのを恐れない。 
多様な意見を紹介することで、自由の気概を作ること・」 

と語っていましたね。まさに真のジャーナリスト魂だと感嘆しました。非常に惜しい人を失くしたと思います。 あんらぎ 2009年03月01日 09:50 ○ハラさん 
おっしゃるように、名誉県民として讃えていただきたいですね。 
沖縄問題に関しておざなりなニュース報道の多い中で、筑紫哲也さんの取り上げる問題は基地や政治問題だけでなく、庶民の暮らしに根ざした深いところでの取材報道があったように思います。 

特派員時代の経験がやはり深く沖縄に接するチャンスを与えてくれたのは沖縄にとっても幸いでしたね。 TORATONTON 2009年03月07日 22:34 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 千之家(せんのや ) 2009年03月07日 23:45 ネーネーズ 13年ぶりに あの舞台でやった 「テーゲー」 
ミミに残って 離れません。 
○ハラさんも 覚えてくださいませ。 

http://taru.ti-da.net/e762093.html 

http://video.aol.com/video-detail/-/3405798415 あんらぎ 2009年03月07日 23:47 TORATONTONさん 
日本の右傾化に鳴らしていた惜しい方が亡くなられましたね。これからも天国で日本の行く末を見守っていていただきたいと思います。 
合掌。 あんらぎ 2009年03月07日 23:48 千之家さん 
千之家さんもそうですか。あの強烈なフレーズ「テーゲーぐゎーやさテーゲー」というのが耳に焼き付いて困っています。 

何かしようとすると、つい耳の奥でそれが響いてきます。 千之家(せんのや ) 2009年03月08日 00:34 「テーゲーぐゎーやさテーゲー」というフレーズが耳から離れないのは まったく あんらぎさんとおなじす。。 あんらぎ 2009年03月08日 00:45 千之家さん 
<TORATONTONさん 
日本の右傾化に鳴らしていた惜しい方が亡くなられましたね。 

と先ほど書いたのを、日本の右傾化に警鐘を鳴らしていたに訂正します。まったくテーゲーぐゎーに書いてしまいました。 

♪なんくるないさテーゲーやさ、テーゲーテーゲーテーゲーやさ♪

  

2009年02月09日12:36
夏川りみさんの結婚後初めてのコンサートが中野サンプラザであったそうで、りみさんファンの方が日記に取り上げていた。 

ワタクシも中野サンプラザといえばとても懐かしい。沖縄から一緒に上京してきた高校時代の友人が住んでいたり、行きつけのスナックがあった。中野で飲むと、そういう知り合いの部屋に泊まっていたのだが、徐々に友人達も沖縄に帰っていってある時などは終電を逃して行くところもなく、その中野サンプラザの前の植え込みの中で寝たことがあった。(おいおい、そういう懐かしさかよ) 

りみさんの旦那さんは同じツアーコンサートで一緒に回っているパーカッション奏者の玉木さんという方だそうだ。玉城(たまき)姓なら沖縄にもあるが、この玉木さんは沖縄の人間ではないそうである。 

パーカッションと言えば、5年ほど前にニューヨークで教会の中でコンサートがあって行ったことがあった。そのコンサートはピアノ、バイオリン、管楽器、パーカッションなどの楽器で教会なので舞台の上というより一段高くなったところにピアノやバイオリン、観客と同じ床の上にパーカッションの方がいて、僕はそのすぐそばに座っていた。 

長い少し白髪の入った髪の中年のやせたアジア人女性で、あとでパンフレットを見たら日本人だった。演奏はほとんどピアノ、特にバイオリンが中心でほんの時たまパーカッションが用いられていた。 

すぐそばなのでその手の動きが手に取るように眺められた。太鼓を掌で叩いた後はそっと親指の背を端の方から太鼓の真ん中あたりまでスーッと引きながら振動をそっと鎮めて音を消すのである。なかなか高度なテクニックだと思った。 

そのとき、ワタクシがもし音楽家になるのならパーカッション奏者がいいと一瞬思ったものだった。 

結構長い演奏時間のうち、パーカッションの出番はほんの少しだけであった。バイオリンやピアノは出ずっぱりであったが果たしてお給料はそれぞれの楽器で格差があるのであろうか? 

もし一緒だとしたら、これは最高に嬉しいことだ。だが、やはりバイオリンなどはコンサートのない日でも最低一日に4時間ほどは練習していないと腕が落ちるとか言われている。もし同じお給料ならこれはワタクシの良心が許さないであろう。ワタクシならコンサートが終わった後にピアノやバイオリン奏者を食事に誘ってご馳走する。ああ、あのパーカッションの方はいい人だという噂が広まり、また次の仕事へと発展していくに違いない。パーカッション奏者にはそういう訳で人あたりのいい人が多いのではなかろうか? 

しかし、実働時間からいったらパーカッションよりはシンバルの方が効率が良くはないだろうか?シンバルなんて大体曲のクライマックスでジャンジャンと打ち鳴らしてこれまでオーケストラが延々と地道に築き上げてきたものを一瞬にかっさらっていってしまう。これだけ注目を浴びる楽器もないではないか。 

バイオリンなんて一日に4時間も練習するというが、シンバルだってプロともなればやはり一日に4時間くらいの練習はしなくちゃならない。しかしジャンジャンシンバルを叩いているだけで練習と言えるのであろうか?隣近所から苦情が来るのではないだろうか。 

まあ、こう考えてくるとパーカッションにもシンバルにもそれぞれ一長一短がありそうだ。でもりみさんのような方の心を射止めるのにはパーカッション奏者のパッションの方に分がありそうである。 


○ハラ 2009年02月09日 17:31 あんらぎさん、 
りみさんが玉木さんとの結婚を決めたのは、玉木さんが周りに好かれる人柄、それとりみさんより酒が強かった事らしいですよ。 

玉木さんなどプロのパーカッション奏者は別ですが、音楽を始めるのに一番気楽に始められるのは打楽器です。 

ピアノも打楽器ですが、これは鍵盤楽器ともされていますのでここでは省くとして、太鼓などの打楽器は取っ掛かり易い代わりに、飽きるのも早いです。 

音楽は二次元で、メロディー楽器の場合はの高さ(上下方向)と長さ(左右方向)がありますが、太鼓などのリズム楽器は高さがありませんからその分楽で、メロディー屋さんでも基本的なリズムは出せるはずです。 
リズム楽器は単調になる事を補うために違う音程の太鼓を置いておいてそれらを叩く事で音の違いを出したり、ミュートしたり、太鼓の皮を滑らせて音を変えてみたり。 

その代わり、リズムだけなので楽器というモノがどうしても要るわけではありません、木でもドラム缶ででも叩けばリズム音が出せます。 

ロック・バンドの場合だと、割合、メロディー楽器の奏者からは安く見られがちなので、リズム屋さんになるには強い精神力が必要です。 

つまりリズム楽器担当は、”打たれ”強く無いとやって行けないのです。 ミミオルカ 2009年02月09日 21:09 中野サンプラザと言えば、いまではコンサートホールとして知られていますが、 
元はと言えば、「全国勤労青少年会館」が正式な名称で、旧労働省の雇用促進 
事業団が勤労者福祉施設として建設したもの。 

ここには、研修施設や相談センター、図書館などが併設されていたが、ここの 
ホールが都内では日比谷野外音楽堂や日本武道館と並んで、若者の文化の発信 
地として人気があり収益性も高いことから、もとの機能の廃止後は、中野区を 
含む第三セクター「株式会社中野サンプラザ」が運営を開始し、文化複合施設 
としてホテル・結婚式会場の運営、カルチャーセンターの開催、スポーツ施設 
の運営などを行っているそうです。 

あの三角形の形状は、近隣への日影を配慮して決められたもの。 

ところで、夏川りみが歌っている「愛のチカラ」は、我らがミヤギマモルさん 
の作詞ですよね あんらぎ 2009年02月09日 21:17 恵美さん 
僕は最近音楽はYoutubeで聞くことが多いですね。音質はそうよくないかも知れませんが、なにしろ映像も一緒でああこんな人が歌っていたのかとか昔ラジオから流れて聞いただけの歌にもあらたな発見があったりしますね。 

夏川りみさんも僕が日本を離れてからブレークした歌手ですが、マイミクさんにはりみさんのファンクラブの方がいてその情報からやはりYoutubeで姿や歌声を知りました。とてもいい声で歌う歌の内容もいいですよ。 
あんらぎ 2009年02月09日 21:33 風人さん 
中野によく飲みに行ったのは学生時代から20代の後半にかけてですね。 
当時は沖縄料理屋といえば、「琉球酒館」「ハイビスカス」?(池袋の「みやらび」に勤めていた八重山の女性がしていました)それとかなり早くに廃業した食堂ぽい飲み屋の「琉球」というのがあり、これはマスターは沖縄の方ではなかったですが、安いので僕ら友人の行きつけになってました。 

「山原船」は新里愛蔵さんの経営のお店ですね。大学の文化祭にゲストで三線とマンドリン奏者を呼んで沖縄民謡を演奏してもらったことがありました。お店も僕が中野に行かなくなってからオープンなので一度だけ覗いたことがあるきりでした。 

その近くの「なでしこ」というスナックがママさんは岡山の方でしたが、やはり沖縄の人のたまり場になっていてそこで草野球チーム「ドリンカーズ」というのを作っていました。その当時の甲子園出場の常連高、豊見城高校のOBも何人かいて江戸川河川敷草野球大会で1位になったことなどありましたね。 

新井薬師に行く商店街を抜け切ったところに沖縄居酒屋があり、その開店祝いには那覇市役所から出張できた友人に連れられて行った覚えがあります。中野、高円寺界隈には今はかなりの沖縄料理屋、スナックがあるようですね。 あんらぎ 2009年02月09日 21:38 ミミオルカさん 
中野サンプラザの8階にある図書館、その下の「ヤングプラザ」には中野に寄るとよく行ってましたね。 

7階の「ヤングプラザ」には将棋などをするコーナーと共に全国の地方新聞を閲覧できるコーナーがありました。そこで時折懐かしさから沖縄地元の新聞を読んだりした覚えがあります。 

まだPCが普及するずっと前のことで、今みたいにどこからでも情報が手に入るという時代ではなかったですから、ホームシックを解消するのと沖縄の情報を手に入れるということで重宝したものです。 

男性は夏川りみさんファン、女性はミヤギマモルさんファンの方が僕のマイミクさんには多いですね。なんでかねぇ? あんらぎ 2009年02月09日 22:27 ○ハラさん 
知らぬ同士がお皿叩いてチャンチキおけさぁ♪ 
ですからね。リズムを取ると言うのは割りと誰でもできて、しかもその場にいる人たちとの連帯感、共感を覚えやすいものなんでしょうね。 

ワタクシも楽器一切できないのですが、沖縄スナックではサンバ(三板)というカスタネットみたいな薄い板を三枚合わせたリズム楽器で割りと器用にカチカチ鳴らせます。そうすると踊り出す人もいますねぇ・ 

赤青黄色のてんとう虫がサンバに合わせて踊り出す♪ 
ではなくて、 
赤青黄色の酔っ払い顔たちがサンバに合わせて踊り出す♪でした。 バックアイ 2009年02月10日 04:39 >>草野球チーム「ドリンカーズ」というのを作っていました。 
ネーミングのすごさに感動してしまいました。 
宮古んちゅも多かったのかな?と想像してしまいました。 
うちのダンナがいた草野球チームはMoFo'sでスラングのMother F・・・に 
語源があるという、全くおふざけ極まるチーム名でした。 
20数年前の当時のユニフォームはまだ大事に健在です。 

パーカッションは小5から大学1年までやってました。 
合同練習はすっごく時間が余りましたが、他の人たちの演奏を聞いて勉強する大事な時間でもありましたよ。 

叔母の知り合いがシンバル奏者ですが、大変厳しい練習だときいています。1回でも練習を欠席すると、次の人(ポジション待ち)をさっさと上げるとか。 
人数に限りのあるオーケストラですから、1回1回が真剣勝負だそうです。 
お給料は(別のオーケストラの話ですが)他の楽器の方と同じだそうですよ。これは日本のある番組でいってました。 
あんらぎ 2009年02月10日 12:55 バックアイさん 
「ドリンカーズ」スナックの常連で作った名前ですから、まるっきりそのままのネーミングでぴったりですね。監督は糸満の人で、後に自分でもスナックを中野で経営してそのお店の名前が「フルカウント」でした。 

今みたいにメールのある時代ではないですから、僕が中野界隈から姿を消してそれっきりになってますねぇ。 

パーカッションを学生時代にしていたということはバンド部所属だったのですね。音楽演奏はそれぞれの器楽担当者が集まって作り上げるものですから、それぞれの担当楽器のどれを欠いても完成しないですね。チームで作り上げていく、その凄さと大変さがありそうですね。 

シンバルもシンバルだけをジャンジャン鳴らしても練習にはならないのでしょうから、やはりその曲の流れの中で持ち場について鳴らさないと意味がないのでしょうね。一回一回が真剣勝負というのもわかる気はしますが、そこで片方を落っことしたり、空振りをしたりするとドリフのズンドコ節になっちゃいますね。シンバル奏者も一笑、いや一生仕事が回ってこなくなり、不幸のズンドコ、いやどん底に落ち込みますからほんと真剣でなければ出来ない商売ですね。 

そういうストレスも抱えているのでやはりお給料はバイオリンやピアノ奏者と一緒ということなのでしょうか。ちょっと考え違いしている気が自分でもわかっているのですが・・

  

2008年09月08日21:10 白ブリーフに未来はあるの? 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=600884&media_id=58 

下着も時代とともに変わる。 

ワタクシの小学校時代は木綿のトランクスに脇には黒い線が何故だかついていた。ごわごわした肌触りですぐにしわくちゃになった。 
さらにパンツの紐が黒いゴムひもで腰のあたりにゴムの痕がついてかゆくなったものだ。 

中学に入ると体育の先生が、鉄棒の指導ついでにサポーターなるものをつけるがいいとご宣託した。逆上がりの際に、ハミチンが覗いたのだろう。 

そのアドバイスに従って、サポーターなるものが何なのかわからないまま商店街へ出かけて初めてブリーフなるものに行き当たった。 

それ以来、15年ほど前までは白のブリーフ愛好者であった。というより習慣的にはき続けていたというべきか・・ 

それが15年ほど前にイギリス人女性と結婚している方の自宅パーティへ行ったことでワタクシの下着に革命的なことが起こったのであった。 

そのパーティは日本人、外人の方と15人ほどのこじんまりしたパーティでそのカップル以外は初めてお会いした方々だった。食事も済み、お酒も入った頃にそこのイギリス人女性と結婚している日本人とその友人が余興をするからということで男性は別の部屋に集められた。 

彼らの余興というのはパンツ一丁になってバリ島の踊りだという「ケチャ」の儀式を輪を描いて踊るものだった。彼らはあうんの呼吸で何度もその余興をしていたようだった。その時、彼らの履いているパンツがトランクス、ボクサータイプのものだったのである。 

ブリーフの白の下着だったワタクシはそのケチャダンスに参加するのをためらい、結局は断ったのであった。きっと付き合いの悪い奴だと思われたに違いない。 

それ以降、ワタクシは自分のこれまでの信念を曲げてトランクス派に改宗したのである。 

なお、肌ざわりのいいグレーか黒のメリヤス系のトランクスが好みである。(これは非常の際の水着代わりにもなる)メリヤス系のトランクスはワタクシの父も愛用していた覚えがあるが、当時はトランクスとは呼ばず、確か猿股という愛称であったと記憶している。 

ブランドや値段にはこだわらない、いや値段にはこだわる。ちなみにワタクシの愛好しているのはダイソーブランドである。 

毛茶箪笥、いやケチャダンスがYoutubeにありましたので追加します。 

http://jp.youtube.com/watch?v=cB0njDZECYg&feature=related

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○ハラ 2008年09月08日 21:31 あんらぎさん、 
白いブリーフ? 
私の周りでは、白いブリーフなんか履いている人は居ませんよ。 
それどころかブリーフを履いている人が、片手にも上りません。 

まあ、私が年寄りと言うこともあるかも知れませんが、白いブリーフねぇ、まだあったんですねぇ。 
ブリーフケースならけっこう見た事あるんですけどねぇ。 あんらぎ 2008年09月08日 22:58 ○ハラさん 
昔、沖縄ではMade in U.S.Aの白のブリーフが全盛だった時代がありましたね。なぜかアメリカから安く入ってきていたようです。高校時代の水泳や体育の着替えでは大体が同じブランドの白のブリーフだったと思います。 

ブリーフはいかにも下着だという感覚がしますね。トランクスはその点、下着とはいえども短パン感覚になれます。水着を持ってないのに水に浸かりたいとか、ゴミだしにもトランクスにTシャツだとそう不自然でないので、不精してそのままゴミを出したりしています。 

「白いブリーフ」 
恋人よ 僕は履きます 
廃れていく 白いブリーフを 
黄ばんでいこうとも君からの贈りもの 
履いて履いていくつもりだ、 
いいえあなた たとえ黄ばむことがあったら 
私はブリーチしてほしいのよ 
あなた最後の一人になっても 
ねえ黄ばんだとしても白いブリーフ履いてください 
白いブリーフ履いてください 

(大田裕美の「木綿のハンカチーフでお歌いください)」 ○ハラ 2008年09月08日 23:46 あんらぎさん、 
ビリー・バンバンの「白いブランコ」か、ズー・ニー・ブーの「白い珊瑚礁」で来るのかと思いましたが、「木綿のハンカチーフ」とは意表を衝かれてしまいました。 

確かにブリーフでは表に出られませんね、海水浴でも下着のパンツ、トランクスで水浴びしている人は見た事ありますが、ブリーフの人は無いですね。 

いい大人になっても未だブリーフを履いて居るようだと、もう先が短いんじゃないでしょうか、「brief life」って言いますモンね。 あんらぎ 2008年09月09日 02:19 ○ハラさん 
なるほど、「白いブランコ」ですね。これもいけますね。 

君は覚えているかしら あの白いブリーフ 
風に吹かれて一人で揺れた あの白いブリーフ・・ 
(乾いたんなら早く取り込めっちゅうの) 

「白いサンゴ礁」 
青い海原 群れ飛ぶカモメ 
心惹かれた白いブリーフ 
(これだとどことなく薔薇族系になりますね) 

「木綿のハンカチーフ」も最後の歌詞の部分は 

都会の絵の具に染まらないで履いてて 
染まらないで履いてて♪ 

の方が良かったですねぇ。 ○ハラ 2008年09月09日 04:04 さすがあんらぎさん、 
次々と出ますね。 

すると、チェリッシュの「白いギター」とか岡本敦郎さんの「白い花の咲く頃」なんてのも替え歌に出来そうですね。 

とは言ってもあまり歌を出して来ると「いい加減に白い!」と怒られそうなのでちょっと控えた方が良いですかね、下着の話だけに、はき違えてました。 あんらぎ 2008年09月09日 04:34 ○ハラさん 
ケチャダンスがYoutubeにあったので追加しました。 
ビデオとはいえ、初めて見ました。まあパンツ一丁になってやるほどのものでもないような気がしました。 

アンダーウェアーの話だけにアンターイャヤーといわれそうですね。

  

2008年09月06日13:31 大麻疑惑 処分方針に疑問の声 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=599320&media_id=2 

スペインでは大麻は合法的薬物である。 

小さな小屋で行われたフラメンコショーを見に行ったら、中は立ち見だけで白い煙が充満していた。後ろの方で見ている人たちがマリファナを吸いながら見ていたのだった。 

僕自身もその煙の中で小一時間ほどフラメンコを見ていた。小屋を出て帰る際に少し気分がいつもと違うことに気づいて、これはマリファナの影響かなと思った。 

長距離電車の4人掛けのボックス席に30代の男性が入ってきたかと思うと、胸のポケットから煙草のようなものを取り出して吸い始めた。それは煙草ではなく彼が吸っているのはマリファナだった。 

相席の人も何も言わない。やがて、その男は目をつぶって別の世界へ出かけたようだった。 

自分で吸ったわけではないが、たまたままわりの空気にマリファナの成分が漂っていてそれを間接的に体内に取り入れた場合でも検査結果は陽性反応が出るかと思う。 

まあもっとも日本国内でそういうマリファナがおおっぴらに吸われている場所に行ったということはそれはそれで大きな問題になるのは間違いないとは思うが・・

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千之家(せんのや ) 2008年09月06日 14:21 尿検 北の湖理事長もする必要がありますね。 
内館さんもなさったほうがよろしいかと。。 ○ハラ 2008年09月06日 16:31 あんらぎさん、 
受動喫煙も検査では陽性になると言ってましたが、検査とは怖いモノですね。 

細かく細かく調べて行けば、マリファナの成分が何万分の一あるから陽性だ、となるのでしょう。 

スポーツそれにオリンピックでもドーピング検査に引っかかるから、うっかり風邪薬やスポーツ・ドリンクも飲めないようです。 
陸上競技や水泳競技などは記録自体が何百分の一秒更新したから世界一だ、と言うのですからもうあまり人間の目は宛になりません。 

そこへ行くと、サッカーだの野球だの柔道だの体操だのは審判員の目を頼りにファウル、減点を取っています。 
中には「あの判定、おかしいんじゃないの?」というのがあります。 

器械を信じるのか人間を信じるのか、スポーツの世界も公平に、もっと人間を信じて、マシンなって欲しいと思います。(で、どっちやねん?) あんらぎ 2008年09月07日 00:12 千之家さん 
もう国民皆尿検精度にしたらいいですね。その際には病検も兼ねているとありがたいですね。 
日本も結構、マリファナくらいの軽い麻薬は高校生あたりでもやるようになってくるのでしょうかね。アメリカの高校生の多くは体験しているかも知れないですね。 あんらぎ 2008年09月07日 00:18 ○ハラさん 
相撲界の大麻疑惑は後追いニュースを見てないので、単に最後の言い訳として知らないうちに誰かが吸っている空気を吸ったかも知れない・・という言い訳ができるのではないかと思って書いたものです。 

実際、スペインのフラメンコの踊りを見ているときにマリファナの匂いが漂ってましたし、フラフラメンコにはならないまでもちょっと妙な感覚を覚えたのも事実でした。 

足立区の近所の喫茶店でもマリファナの匂いがしたことがあり、近所を歩いていてマリファナ特有のにおいが家の中から流れているのに遭遇したこともあります。 

高校時代にアメリカ人の黄ナンバーの車をヒッチハイクして郊外のビーチとかにちょこちょこ行きましたが、運転しながら吸っているアメリカ人もいましたね。煙草かと思ってましたが、煙はあまり出さない、手巻きということでその匂いは高校時代に嗅いだことがあり、すぐにわかります。

  

2008年08月07日11:42 時差があるのでフロリダはまだ8月6日である。 

きょうはというより、日本時間の8月6日午前8時15分、広島上空で原子爆弾が炸裂、多くの犠牲者が出た。 

20年ほど前の長期出張で広島市に滞在していた際に原爆ドームから原爆資料館と見学した。炭化した弁当箱のご飯、肉体は蒸発してコンクリートに影になっただけの痕跡・・ 

惨状を伝える写真や資料の数々を見た覚えがある。 

そういうものを見たのだが、今だにやはり広島の原爆の惨状を伝えるものとしては僕には漫画「はだしのゲン」の方が心に迫るものがあるのである。 

フィクションとノンフィクションの境目で原爆投下後の焼け野原を家族を探してさまよい歩く中沢何さん(名前を失念)の漫画の方が心に訴える力が大きいというのも何か不思議である。 

けさ、Yahooメールの迷惑フォルダーをチェックしていて、埼玉婦人会からのお知らせやその他のジャンクメールと一緒に東京の友人からのメールが交じっていた。 

婦人会からのお知らせにも興味があり、とてもクリックしたい衝動に駆られるのだが、そこは理性で押さえ友人のメールを受信フォルダーに移動した。最近、このように友人からのメールやmixiからのお知らせメールさえもが迷惑フォルダーに振り分けられるようになって困っている。 

メールによると原爆のニュースを見ていたら、僕のことを思い出したのだそうだ。そして毎日新聞のニュース記事サイトを添付してくれていた。 

http://mainichi.jp/select/wadai/graph/okinawa1945/index.html 
毎日新聞 1945年沖縄 

記事は広島の原爆記念日のことではなく、僕のふるさと沖縄の1945年のアメリカ軍が撮影した戦火の沖縄の写真であった。 

やはりその写真の中でも胸を打たれたのはおばあさんが米兵からキャンディを貰っていたり、幼児が籠の中に入って亀甲墓(米軍は一時期トーチカと勘違いしたという話もある)の入り口で撮影された写真である。 

その様子からは彼らの両親は戦火の中で亡くなられたような気がしてならない。また、少女が米兵の手から水筒の水を飲んでいるショットもやはり胸を打たれる場面である。 

これから広島に続き、長崎への原爆投下、終戦記念日と暑い日とともに63年前の惨禍を思う日が続く。犠牲になった方々の追悼も大切だが、ほんとうに二度と戦争のない平和な日が続くことを祈りたいものである。

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風人 2008年08月07日 14:38 ノーモア・オキナワ! 
ノーモア・ヒロシマ! 
ノーモア・ナガサキ! 

の精神を一生、大切にしたいと、 
心に誓っています・・・・ 

○ハラ 2008年08月07日 19:13 あんらぎさん、 
先日テレビで、長崎への原爆投下後の話を放送していました。 
その中で、投下後一ヶ月位だったか経った長崎を訪れた米兵が撮った写真があり、その米兵は何年か前に亡くなったようですが、死ぬまでずっと、その写真の中の一枚、チョコレートを受け取る、子供を負ぶった少女(14歳ぐらい)の顔が忘れられない、と言っていたようです。 

番組でその少女を追い、長崎市内で探した挙げ句見つかって、教会でレポーターと対面していましたが、76歳になってすっかり腰が曲がってしまった写真の少女は「原爆を落としたアメリカと、チョコレートをくれるアメリカは違うモノだと思って居た」と言っていました。 

人間、戦争時には鬼にもなれば、平和な時には仏にもなれます。 
人間を鬼にしないためにも、平和時の外交手腕がハッキリ大切と言えると思います。 つぐみ@TINGARA 2008年08月07日 22:41 あんらぎさん 
まったく、おっしゃるとおりだと思います・・ 
二度と戦争のない平和な日が続くことを祈ります。 
何をも恨むことなく、ただ平和と美しいこの世を願って、生きていきたいです。 あんらぎ 2008年08月08日 10:13 風人さん 
世界はますます小さくなってます。 
この小さな地球で、人間同士が争う戦争はしてはならないものです。 
人間ひとりひとりが平和を考え、戦争をしないという決意を持てば、戦争の抑止力になりうると思います。 

それは核抑止論よりも強力なものではないかと思いますね。 あんらぎ 2008年08月08日 10:18 ○ハラさん 
そうですよね。 
少女に取っては敵も味方もないはずですね。 

お墓の中でかごに入れられている子供たちにとっても戦争とは何のことかわからないものです。 

チョコレートを受け取っている少女も老婆も、なぜ戦争が起こったのかわからないはずです。 

政治を司るのも人間です。人間は誤ちを犯すものです。外交の見栄や権力を手にしたせいで、国家というもの国民というものがそれぞれひとりひとりが命を持つ人格であることを忘れがちになるのではないでしょうか。 

外交には相手国もあることでそれは一筋縄ではいかないものなのでしょうが、愚かな過ち(戦争)へと国家を国民を導く政治家は国民ひとりひとりが監視しなければいけないかと思います。 

勝手に戦争なんか決めるな!  です。 あんらぎ 2008年08月08日 11:53 つぐみ@TINGARA 

コメントありがとうございます。 

つぐみさんの平和を願う心、命をいつくしむ心が音楽になってほとばしるのでしょうねぇ。 

戦争も憎悪という人の心の中に棲みついたものが増長した挙句に起こるものかも知れませんね。人の心の奥深く染みとおるような、心を和ませる音楽で、平和の心を伝播してください。 

ゆたしくう願ぇさびら・