2008年11月25日12:13
この教会の入り口を入って真ん中より少し入り口寄りに左右に奥まった部分がある。その教会の右側の奥まった場所に聖女サンタ・ジータのミイラが安置されている。
ちょうど眼の高さくらいの場所にガラスの棺に入ってブラウスのようなものを着たサンタ・ジータさんが眠るかのように横たわっている。
詳しい内容はわからないが、彼女は日本で言えば鎌倉時代あたりに生存していた敬虔なカトリック教徒で慈悲深い方だったそうである。貧しい人たちへ食べ物をエプロンの中に隠して運んでは分け与えていたそうだがある日その食べ物を運んでいるところを役人に咎められた。
多分、その当時は何らかの理由で施しをすることが禁じられていたのだろう。エプロンの下に隠してあるものを出すように命令されたサンタ・ジータが両手を差し出すと、何とそれは花束に変わっていたのだという。
他にもキリストが処刑されたときのように掌に釘を打たれたような傷跡が現れたりしたこともあるらしく、それら一連の奇跡からその後聖女に加えられたらしい。
サンタ・ジータのような完璧なミイラ状の遺骸は珍しいと思うが、イタリアの古いカトリック教会には昔の聖職者の指の骨だとか、しゃれこうべだとかが保存されていて、聖具の中に収められて見物できるようになっていることが多い。
この教会ではアメリカからやってきた合唱団のコーラスも聞いたことがある。一通り合唱を聞いたあと、メンバーの方が観客席を取り囲むようにして歌ってくれた。眼を閉じて聞いているとまるでサラウンドシステムで聞いているような感覚がしたのだった。
教会の建物の中も説教や聖歌の声が通りやすいように作られていて、音響効果もよく、絶好のコンサート会場にもなるのだった。
★この教会の正面の上の方には金色を主体としたキリストのモザイクがあった。ところでサンタ・ジータというのはこの教会の名前ではない。名前を忘れたので便宜上、サンタ・ジータのいる教会とした。いずれ、正しい名前を調べたいと思う。
<<前の日記へ あんらぎの日記一覧へ 次の日記へ>> コメントコメントを書く あんらぎ 2008年11月25日 12:15 まだ15枚ほどの水彩画がありますが、切りがいいので10枚で一休みです。また、書くネタに困った頃にでも掲載したいと思います。 恵美 2008年11月25日 13:34 私は、ヨロッパの旅行に行ったら、 各国の教会を 巡りたいと思ってます! 教会内の天井や壁に描いてある絵を 見たいし、建物も見たいです。
教会は それぞれ、本当に美しいです! あんらぎさんが、描いた教会も、町の中心に据えて、回りを 見守っているような気がします。 私が覚えている、聖女と言えば、先ず、ジャンダルクですね。 映画を見て、もっと感動しました。 サンタ・ジータも勇敢な女性だったのですね! 禁じられた 施しをすることは 勇敢じゃないと出来ませんね!
だれでも、先ず、自分自身を守ろうとしますもの。。。 風人 2008年11月25日 13:37 あんらぎさんの水彩画と文章の才能に、ビックリです!!!
才能の豊富さが、羨ましいです・・・・
あんらぎ 2008年11月25日 13:44 恵美さん ぶはははは、この絵の右下の方にフェルナンド教会という名前を書いてありましたねぇ。気づかなかったです。
忘却とは忘れ去ることなり、O脚とは蟹股のことなり。
イタリアでは信仰は抜きにしてもキリスト教文化は生活の隅々にまで染みこんでいますから、ある程度のことはどうしても好奇心から学ぶことがありました。
サンタ・ジータさん、手品師だったのかなとか思ったりしましたが小柄な女性でやせて(ミイラだから当たり前ですが)、それでも顔つきというか輪郭から気品の漂う女性でした。
信仰が思いがけない勇気を与えてくれるということは確かにあるのでしょうね。 ○ハラ 2008年11月25日 13:55 あんらぎさん、 キリスト教は仏教に比べれば積極的に慈悲をうたいますね。 救世軍とか貧乏人への炊き出しとか。
モンゴルが1924年に独立する時、仏教の清とキリスト教のロシアのどちらに助けて貰おうかと考えて結局キリスト教のロシアに従い、社会主義国になったようです。
そう言う意味では仏教はキリスト教に比べて冷たい、と言う事でしょうかね。 あんらぎ 2008年11月25日 22:38 風人さん ありがとうございます。 水彩画はほんと塗り絵みたいな初歩的なもので、時間が経ったら割りといい記念になったかなという気がしています。文章はうまくなりたいですね、願望です。 あんらぎ 2008年11月25日 22:54 ○ハラさん 宗教的なことはよくわかりませんが、仏教(日本でのこと)とキリスト教とではチャリティや社会奉仕という点に関して言えば、キリスト教に軍配が上がるような気が個人的にはしています。
仏教は哲学的で求道精神、自分の宇宙を作り上げるというかそんな感じがしますし、実際のお寺なども祭祀宗教で普通に生活していたらお寺との関係はお葬式のときのお坊さん、お墓の手配とかそれくらいではないでしょうか。お寺が中心になって災害時の援助や寄付行為を行ったという記憶があまりないです。
その点、キリスト教は慈愛、他への愛を説きますね。さらにそれを実行している熱心なクリスチャンもいます。現に街中には教会だけでなくスリフトショップのように人から寄付された物品を売ってその収益をホームレスの方や孤児、災害にあった人々をサポートするシステムがあります。そこで働く人たちもボランティアの方々です。
どうも坊さんというとすべてがもちろんそういう訳ではないでしょうが、お布施や法事で坊主丸儲けの世界をイメージしてしまいます。
戒名に位階があり、値段が違うというのも疑問に思っている方です。ただ、名前をつけるだけで何十万円というお金が動きますからね。それに父の葬式に来てもらったお寺からは毎年寄進の振込用紙が届くようになってました。
無償の行為、ボランティア精神はキリスト教に特徴的なものかも知れません。社会とのつながりもそれを通した意義のあるものが多いような気がします。宗教、信仰という観点からはすれましたが、どことなくそういう思いがやはりどうしてもありますね。 ○ハラ 2008年11月25日 23:43 あんらぎさん、 なるほどねぇ、そういうものですねぇ。
日本で、昔は災害に遭った時、家を無くした貧乏人は行く所が無くて、広いお寺の境内などに寝起きをさせて貰って、「有り難や、有り難や」と感謝していた気がしますが、最近は災害に遭うと行く所は公園や学校の体育館ですからねぇ。 そのくせお寺は宗教法人ですから無税なんでしょ。
その点日本でも、教会などは炊き出しをしたり、救世軍があったりして普段から助けている気がしますねぇ。
地獄の沙汰も金次第、坊主丸儲け、三途の川を渡るのも銭が六文要りますからね。 これが無いと仏教面、いや、仏頂面になるようですね。 れもん 2008年11月26日 01:34 水彩画の才能もあったんですね さらっと描けてしまうなんて羨ましいです。 夏休みの絵の宿題を思い出しました
GoogleMAPの航空写真でルッカを見てみました! 城壁で囲まれているのがよくわかります。
残りの水彩画も楽しみにしています あんらぎ 2008年11月26日 06:30 れもんさん さらっとしか描けないのです。(苦笑) もうちょっとこう重厚さを出したいのですがねぇ。
ルッカをGoogleで見ましたか。楕円形にきれいな形で城壁が残ってますよね。これもさすがにイタリアでもこれだけ完璧に保存しているのは珍しい貴重な町だそうです。
単調に楕円形に城壁があるだけでなく、所々に出っ張りがありますね。その出っ張りから城壁を登ってくる敵に向かって背後、あるいは横から攻撃をするように考えられているのですね。さらに昔はその城壁の周りは水をたたえたお堀で囲まれていたそうですから、なかなか攻めるのは難しかったのではないかと思います。
そうですか、楽しみにしていただけるとは心強いです。残りの水彩画はちょこちょこ小出しにしますね。
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