イタリア(Yahooブログより転記)

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2008年11月25日12:13 

この教会の入り口を入って真ん中より少し入り口寄りに左右に奥まった部分がある。その教会の右側の奥まった場所に聖女サンタ・ジータのミイラが安置されている。 

ちょうど眼の高さくらいの場所にガラスの棺に入ってブラウスのようなものを着たサンタ・ジータさんが眠るかのように横たわっている。 

詳しい内容はわからないが、彼女は日本で言えば鎌倉時代あたりに生存していた敬虔なカトリック教徒で慈悲深い方だったそうである。貧しい人たちへ食べ物をエプロンの中に隠して運んでは分け与えていたそうだがある日その食べ物を運んでいるところを役人に咎められた。 

多分、その当時は何らかの理由で施しをすることが禁じられていたのだろう。エプロンの下に隠してあるものを出すように命令されたサンタ・ジータが両手を差し出すと、何とそれは花束に変わっていたのだという。 

他にもキリストが処刑されたときのように掌に釘を打たれたような傷跡が現れたりしたこともあるらしく、それら一連の奇跡からその後聖女に加えられたらしい。 

サンタ・ジータのような完璧なミイラ状の遺骸は珍しいと思うが、イタリアの古いカトリック教会には昔の聖職者の指の骨だとか、しゃれこうべだとかが保存されていて、聖具の中に収められて見物できるようになっていることが多い。 



この教会ではアメリカからやってきた合唱団のコーラスも聞いたことがある。一通り合唱を聞いたあと、メンバーの方が観客席を取り囲むようにして歌ってくれた。眼を閉じて聞いているとまるでサラウンドシステムで聞いているような感覚がしたのだった。 

教会の建物の中も説教や聖歌の声が通りやすいように作られていて、音響効果もよく、絶好のコンサート会場にもなるのだった。 

★この教会の正面の上の方には金色を主体としたキリストのモザイクがあった。ところでサンタ・ジータというのはこの教会の名前ではない。名前を忘れたので便宜上、サンタ・ジータのいる教会とした。いずれ、正しい名前を調べたいと思う。 


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あんらぎ 2008年11月25日 12:15 まだ15枚ほどの水彩画がありますが、切りがいいので10枚で一休みです。また、書くネタに困った頃にでも掲載したいと思います。 恵美 2008年11月25日 13:34 私は、ヨロッパの旅行に行ったら、 
各国の教会を 巡りたいと思ってます! 
教会内の天井や壁に描いてある絵を 見たいし、建物も見たいです。 

教会は それぞれ、本当に美しいです! 
あんらぎさんが、描いた教会も、町の中心に据えて、回りを 
見守っているような気がします。 
私が覚えている、聖女と言えば、先ず、ジャンダルクですね。 
映画を見て、もっと感動しました。 
サンタ・ジータも勇敢な女性だったのですね! 
禁じられた 施しをすることは 勇敢じゃないと出来ませんね! 

だれでも、先ず、自分自身を守ろうとしますもの。。。 風人 2008年11月25日 13:37 あんらぎさんの水彩画と文章の才能に、ビックリです!!! 

才能の豊富さが、羨ましいです・・・・ 

あんらぎ 2008年11月25日 13:44 恵美さん 
ぶはははは、この絵の右下の方にフェルナンド教会という名前を書いてありましたねぇ。気づかなかったです。 

忘却とは忘れ去ることなり、O脚とは蟹股のことなり。 

イタリアでは信仰は抜きにしてもキリスト教文化は生活の隅々にまで染みこんでいますから、ある程度のことはどうしても好奇心から学ぶことがありました。 

サンタ・ジータさん、手品師だったのかなとか思ったりしましたが小柄な女性でやせて(ミイラだから当たり前ですが)、それでも顔つきというか輪郭から気品の漂う女性でした。 

信仰が思いがけない勇気を与えてくれるということは確かにあるのでしょうね。 ○ハラ 2008年11月25日 13:55 あんらぎさん、 
キリスト教は仏教に比べれば積極的に慈悲をうたいますね。 
救世軍とか貧乏人への炊き出しとか。 

モンゴルが1924年に独立する時、仏教の清とキリスト教のロシアのどちらに助けて貰おうかと考えて結局キリスト教のロシアに従い、社会主義国になったようです。 

そう言う意味では仏教はキリスト教に比べて冷たい、と言う事でしょうかね。 あんらぎ 2008年11月25日 22:38 風人さん 
ありがとうございます。 
水彩画はほんと塗り絵みたいな初歩的なもので、時間が経ったら割りといい記念になったかなという気がしています。文章はうまくなりたいですね、願望です。 あんらぎ 2008年11月25日 22:54 ○ハラさん 
宗教的なことはよくわかりませんが、仏教(日本でのこと)とキリスト教とではチャリティや社会奉仕という点に関して言えば、キリスト教に軍配が上がるような気が個人的にはしています。 

仏教は哲学的で求道精神、自分の宇宙を作り上げるというかそんな感じがしますし、実際のお寺なども祭祀宗教で普通に生活していたらお寺との関係はお葬式のときのお坊さん、お墓の手配とかそれくらいではないでしょうか。お寺が中心になって災害時の援助や寄付行為を行ったという記憶があまりないです。 

その点、キリスト教は慈愛、他への愛を説きますね。さらにそれを実行している熱心なクリスチャンもいます。現に街中には教会だけでなくスリフトショップのように人から寄付された物品を売ってその収益をホームレスの方や孤児、災害にあった人々をサポートするシステムがあります。そこで働く人たちもボランティアの方々です。 

どうも坊さんというとすべてがもちろんそういう訳ではないでしょうが、お布施や法事で坊主丸儲けの世界をイメージしてしまいます。 

戒名に位階があり、値段が違うというのも疑問に思っている方です。ただ、名前をつけるだけで何十万円というお金が動きますからね。それに父の葬式に来てもらったお寺からは毎年寄進の振込用紙が届くようになってました。 

無償の行為、ボランティア精神はキリスト教に特徴的なものかも知れません。社会とのつながりもそれを通した意義のあるものが多いような気がします。宗教、信仰という観点からはすれましたが、どことなくそういう思いがやはりどうしてもありますね。 ○ハラ 2008年11月25日 23:43 あんらぎさん、 
なるほどねぇ、そういうものですねぇ。 

日本で、昔は災害に遭った時、家を無くした貧乏人は行く所が無くて、広いお寺の境内などに寝起きをさせて貰って、「有り難や、有り難や」と感謝していた気がしますが、最近は災害に遭うと行く所は公園や学校の体育館ですからねぇ。 
そのくせお寺は宗教法人ですから無税なんでしょ。 

その点日本でも、教会などは炊き出しをしたり、救世軍があったりして普段から助けている気がしますねぇ。 

地獄の沙汰も金次第、坊主丸儲け、三途の川を渡るのも銭が六文要りますからね。 
これが無いと仏教面、いや、仏頂面になるようですね。 れもん 2008年11月26日 01:34 水彩画の才能もあったんですね 
さらっと描けてしまうなんて羨ましいです。 
夏休みの絵の宿題を思い出しました 

GoogleMAPの航空写真でルッカを見てみました! 
城壁で囲まれているのがよくわかります。 

残りの水彩画も楽しみにしています あんらぎ 2008年11月26日 06:30 れもんさん 
さらっとしか描けないのです。(苦笑) 
もうちょっとこう重厚さを出したいのですがねぇ。 

ルッカをGoogleで見ましたか。楕円形にきれいな形で城壁が残ってますよね。これもさすがにイタリアでもこれだけ完璧に保存しているのは珍しい貴重な町だそうです。 

単調に楕円形に城壁があるだけでなく、所々に出っ張りがありますね。その出っ張りから城壁を登ってくる敵に向かって背後、あるいは横から攻撃をするように考えられているのですね。さらに昔はその城壁の周りは水をたたえたお堀で囲まれていたそうですから、なかなか攻めるのは難しかったのではないかと思います。 

そうですか、楽しみにしていただけるとは心強いです。残りの水彩画はちょこちょこ小出しにしますね。

  

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2008年11月24日10:56 

ルッカの城壁内の道路は狭い。昔の町並みが残された通りはせいぜい馬車がやっとすれ違うことができるか、あるいは人だけが通れるような狭い道ばかりである。 

ルッカの城壁の内部で一番広い道路は・・といえば、意外かも知れないが城壁の上そのものにあるのが一番広くて快適な道路なのである。 

大砲が発明される以前の城壁は単なる石積みやレンガを積んだ壁にしか過ぎなかった。それが大砲での戦闘が本格化し始めると壁の内側に土塁を築き、砲弾が当たっても崩れないように5,6m以上の厚さにした。 

その上に道路が出来たのはいつなのか知らないが、昔はその城壁の道路にも車が走っていたらしい。今はパトカーや清掃車、自転車以外の通行は禁止されていて、周囲4,5kmほどある城壁の上の道路は夕暮れともなるとパッサージャータという夕食前後の散歩者やジョギング、自転車、犬の散歩をする老若男女で賑わいを見せている。 

城壁内の道路は昔ながらに馬車が走れるほどの狭さでしかもほとんどの道路が一方通行になっている。商店の荷物の積み下ろしや警察車、清掃車以外はほとんど走らない。 

イタリア系アメリカ人の知人がレンタカーを借りて郊外に誘われて乗ったことがあった。帰りも家まで送るからというのでアパートの中庭にはそういえば一階のケーキ屋さんの軽トラや清掃車も入ってくるから大丈夫だろうとナビゲーターをしたことがある。 

アパートの前に着くと、昼間は閉まっていたレストランが道端にテーブルを出しているわ(ぶつぶつ言われながら少しよけてくれたが・・)アパートの中庭に入る建物のトンネルに車をかすって傷つけてしまうわ(あくまで運転手の自己責任を暗黙の了解で得てしまったが、申し訳ないと今でも夢に見ようと思えば見れるほど反省している)で散々だった。 

郊外ではすいすい走って運転技術の素晴らしさを発揮していた彼もイタリアの小路には慣れない運転で手こずったようだった。 

僕らも一度、シエナでのことだがレンタカーを借りて2時間も早めに町について、車で中に入ったのが間違いのもとで迷いに迷った(場所は知っているのにたどりつけない状態)あげく、1時間遅れで返却したことがあった。 

イタリアに小型車が多く、バンパーをくっつけるように駐車しているのが当たり前と体自体で実感していたのに、彼の運転技術を信頼し過ぎたのがやはり誤ちだったと思うのである。

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○ハラ 2008年11月24日 12:13 あんらぎさん、 
そう言えば、道はやはり通れる道路以上の幅にはしないですね。 

国の首都で政庁などに続く道だと威厳を見せるために広い道路幅にするでしょうが、それ以外だと必要以上には道路幅は取りませんね。 

広島市も原爆に遭った後、道路幅が広くなりましたが、被害を免れた区域はいつまでも狭いままでした。 

車が今日のように普及する事を考えて無かったのでしょうが、車が来ると何処へ避けようか歩行者が困る道幅で、もちろん離合は山道のようにどちらかの車が離合出来る場所までバックしてました。 

最近は車の普及のおかげで道路も舗装され、道幅も広くなりましたが、そのおかげで、車がそこのけ、の感じで通ります。 
古い街並みには車は合わない気がします、とは言え人が住んでますから便利性で言えば車は必要で、矛盾が出ますね。 風人 2008年11月24日 12:24 城壁の有る都市って、 
不思議な空間ですね! 

中世のヨーロッパの都市国家は、 
不思議な魅力があるんですネ!!! 

あんらぎ 2008年11月24日 22:44 ○ハラさん 
昔からある地域の再開発というのは結構難しいようですね。 
建物や土地の所有権や、歴史的な建物などは文化財に指定されたりと、道の拡張もできないという矛盾を抱えているような気がします。 

沖縄の那覇も新都心というかつては米人住宅地の広大な跡地にできたせいか、まったくの更地に計画的に作られたようで人気もそこへ移っているようです。 

旧那覇市市場界隈は駐車場問題や、道路が狭くて朝夕のラッシュアワー時は大変込み合うようです。 

車ではなくそういう旧市内では人力車タイプの自転車とか、足の弱い人のためとか観光客のために便宜がいいようなやり方も考案されてきてはいるみたいですね。狭い旧市内あたりだと全面車の乗り入れは禁止して、荷物の運搬車、公共バスやミニバス、そういう自転車の人力車あたりだけにしてみるのも一つの手かも知れないですね。 あんらぎ 2008年11月24日 22:48 風人さん 
やはり地元で長いこと生活している人たちは慣れているせいか、そう不便を感じないのかも知れないですが、車が市内に乗り入れできないというのもいい、悪いは別にしてユニークですね。 

そういう不便さを受け入れてまで、古都を保存していこうという意識は考えたら凄いものがあるような気がしてきました。住民の意識や協力がなければ到底できないことではありますね。 

そういう眼に見えない努力が中世のままの町の佇まいの魅力を醸し出しているのは間違いないようです。

  

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2008年11月22日03:23 

ローマでは結構歩いた。 

コロセウムの壁のえぐられたような無数の小さな穴が何なのか気になった。同じローマ観光の写真本が日本語版は英語版の2倍していた。同じ人、同じ店で売っているのが不思議だった。 

結構な数の野良猫がコロセウムの周りには棲息していたのも興味深かった。(おいおい、もうちょっと歴史的、文化的な遺跡に感動したりした方がええんでないかい) 

とにかくローマは遺跡が多い。 

郊外の民家の庭からも近い席、じゃない地下遺跡が見つかったというニュースもよく載っていた。ある男、自分の家の庭にローマ時代の貴族の家らしき遺跡を見つけてしまった。この男、当局には届けないで自分で勝手に掘り返しお皿やコップなどを日常的に家で使っていて、条例違反で逮捕されていた。曰く「届けると自分の家なのに自由にできないから」だとか。 

ローマンフォーラムだとシーザーが暗殺された際「ブルータスお前もか」と雑誌ブルータスの廃刊を予言した場所なども残されていた。そういう歴史的な事件が実際に起こった場所などに立つとやはり感慨深いものがある。 

日本だとまだ卑弥呼も現れない、神話以前の時代だろうか。朝鮮半島から稲作を携えてやってきた弥生人が、ネイティブジャパニーズの縄文人を北へ北へと追いやっていた頃なのだろうか。

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恵美 2008年11月22日 04:17 あんらぎさん。 
やっぱり、ヨロッパの歴史だけじゃなくて、 
東洋の歴史や 文化にも、さすが、詳しい知識を 持っていますね! 
○ハラ 2008年11月22日 06:53 あんらぎさん、 
そう言えば、私が昔団体旅行に入ってポンペイに行った時も日本語版の説明本がありました。 

へそ曲がりな私は英語版を買いましたが、他の人は争って日本語版を買っていました。 

他の人が英語版を買う私をいぶかって「日本語版もありますよ、日本語版を買わないの?」と言ってましたが、私は「日本に帰って日本語版では東京かどこかで買ったと思われるから英語版にします。イタリア語版では分からないし」と言うとその人は「ふーん、なるほどねえ」と相槌を打ってました。 

まあ、日本語版があるという事は訪れる日本人が多いという事ですね。 
ヨーロッパを好きなん人は私の周りにけっこう居ます。 

カルロス・サンタナに「哀愁のヨーロッパ」という曲がありましたが、アメリカ人、日本人、共にヨーロッパに憧れるんですねぇ。 
これも無いモノねだりでしょうか、原っぱよりはヨーロッパの方が良いですねぇ、確かにぃ。 あんらぎ 2008年11月22日 07:21 恵美さん 
歴史に詳しいわけではないですね。大雑把なだけです。 
自分で行ったり、見聞した場所はやはりどうしても現代だけでなく昔はどうだったろうという好奇心は芽生えますが、詳しく知ろうという努力が欠けますね。 

大雑把に眺めて、ほんとうに興味が湧いたらもう少し詳しく調べるとほんとはもっといいですね。年号などもかなり出鱈目ですから。 あんらぎ 2008年11月22日 07:36 ○ハラさん 

サンタナ「哀愁のヨーロッパ」 
http://jp.youtube.com/watch?v=Hdi0NGswSAo&feature=related 

懐かしいですね。「ブラックマジックウーマン」にこの曲、サンタナの代表的な曲で昔よく流れてましたね。原題はEuropeだけみたいですが、そこに哀愁という日本語が付け加えられてますね。 

最近なくなった懐かしいものというベスト10には原っぱが入ってましたねぇ。ほかにも駄菓子屋とかあって1位は公衆電話でした。いずれも哀愁が漂いますねぇ。 

あんらぎ 2008年11月22日 07:49 http://jp.youtube.com/watch?v=9ALoTdvYdhQ お別れ公衆電話 

松山恵子、おけいちゃん2006年に69才で亡くなられていたのですね。

  

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2008年11月20日03:47 

ルッカという町は最終的には15,6世紀に完成したという城壁に囲まれた町である。 

その城壁内のほぼ中心にあるのがサン・ミケーレ教会である。 

教会正面のファサードの天辺には三体の天使の像が置かれていて町を睥睨している。天使の胸あたりには昔は本物の貴石を埋め込んでいたそうだが、今でもそれにとって変わられた模造の石がはめ込まれていて角度によっては太陽の光に反射するのが見られる。 

この教会のすぐ近くのアパートを借りて住んでいたが、来た当初はその教会の鐘楼の鐘の音に驚いて飛び起きたものだった。しかし慣れというのは恐ろしいものでしばらくするとその音が苦にならなくなっていた。 

教会の広場側の外壁には昔の人が描いたと言われる落書きなども残っていた。そこの広場で市場を開いたりしたこともあるらしい。広場の真ん中には銅像が立っていて、何故かいつもその頭の上には鳩が一羽決まって足を休めているのだった。 

その銅像の人物の名前は忘れたが、僕らの時々通ったカフェでアルバイトをしていたジョイアという女学生のご先祖らしかった。 

家内がジョイアの家に誘われて遊びに行ったら、城壁内にある建物で家の中の壁にはフラスコ画が描かれていたらしい。ジョイアそっくりの女性の絵があるので誰なのかと聞いたら、その絵の人物も彼女の遠いご先祖様だったらしい。 

建物の概観を勝手に変えることは条例で許されず、遠い昔からの町並みそのままに生活している。もちろん建物内部は近代的に改装している家もあるが、台所に昔のかまどをそのまま残して板を渡してコンロを置いているお宅を見たこともある。 

東京や沖縄のように年がら年中、どこかが変化している町と違ってお店に飾ってある100年以上前の写真と現在の町並みが少しも変わらない町というのも変な気分ではある。 

しかし、その石畳と石造りの町並みはなぜか気分を落ち着かせるのだった。

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○ハラ 2008年11月20日 06:30 あんらぎさん、 
町並みが変わらない、と言うのは観光客には良いかも知れませんが、住んでいる人に取ってはどうなんでしょう。 

萩にある桂小五郎や高杉晋作の家、小浜島にある「こはぐら荘」。 
萩の方は庭を見せたりして何とかやっているようですが、電球一つ換えるにも許可がいるとか。 

「こはぐら荘」は、個人の家なので入らないでください、と外観のみの許可。 
ヒンプンがあるので真正面からは見えませんが、向かって左側に塀の切れ目があり、中を見ようと思えば見られます。 

これら上記は個人ですが、町全部が古いままでいろ、というのは不便極まりない気がします。 
町が古いからと言って、住んでいる人は新しいはずなのですが、何か思わず「あなたレオナルドに会った事あります? レオナルドってダ・ヴィンチですよ」と聞いてみたくなります。 あんらぎ 2008年11月20日 11:08 ○ハラさん 
確かに古い建物というのは実際はエレベーターもないしお年寄りには住みにくいものかも知れないですね。 

もっとも内部は改装して現代的に便利のいいように住んでいる人たちもいるようなので、一概には言えないかも知れません。 

外観をとにかく変えてはいけないみたいですね。メリット、デメリットいろいろあるようですが、実際のルッカの城壁内の建物の所有者は実際にはほとんど住んでないのかも知れないですね。フィリンゴ通りという町一番の人出の多い通り沿いは土産物屋、レストラン、カフェ、花屋などが並んでますが貸し店舗のようですね。 

住宅も僕らが借りていたようにアパート形式にして長期滞在者や旅行者に貸しているケースもかなりありました。 

この家並みの景観をどう保存継承していくかは、観光ということからも重大なことかも知れないですね。竹富島は珊瑚石の塀や白い砂を敷き詰めた通り、赤い屋根瓦などが結構残っていましたが、現在はどうなんでしょうか? 

実際は台風の通り道でもあるし、現代工法のブロック建ての方が台風にも強靭で冷房完備の快適な居住空間が古い家よりも得られる筈ですから。 

もっともルッカのアパートも階段の上り下り(3階程度)がきついといえばきつかったですが、これも運動だと思えば若い時はそう苦にはならないですね。 

町の建物の装飾を見上げながら毎日あらたな発見をする楽しみもありましたし、そういう古い町並みが与える喜びや安堵感というのも捨てがたいのは捨てがたいです。まあ、そう便利さを追求しなければそれなりに生活できるわけですから、結局はそこの住民意識の問題になるのでしょうね。 ○ハラ 2008年11月20日 14:27 あんらぎさん、 
竹富島は町並み景観保存地区か何かに指定されて、昔のまま白い道と赤い屋根のまんまです。 

ただしこれも町内の中だけで、外へ行けばなかなかそうは行かず、現に私はその外側を回って水たまりに何度も靴を突っ込みました。 

外から昔ながらの家や町並みを見るだけなので家の中はエアコンがあるのか、快適なのかは分かりません。 
でも、テレビのアンテナは立ってますからテレビは見られるんでしょうね。 

どうなんでしょうか、竹富島の沖縄風の家、ルッカの石の家、やっぱり先人の知恵が活かされているんではないでしょうか。 
確かに高い建物はエレヴェーターがあった方が住みやすいでしょうが、見た目か住み心地か、これも議論の分かれるところでしょうね。 
もしかしたら、竹富島もルッカも建物のオーナーは地元の人間だとしてもそこには住まず、住んでいるのは地元以外の人間か多いかもしれませんね。 あんらぎ 2008年11月21日 08:20 ○ハラさん 
ルッカの見所もやはり昔から変わらない町並み、古い歴史を感じるという魅力から観光客も集まるのだと思いますが、実際にそこで生まれた人はまた別の感想を持っているかもしれません。 

カフェでアルバイトしていたジョイアさんはカフェのオーナー夫妻(親の代にイタリアからアルゼンチンへ移民して、また戻ってきたカップル)と一緒にメキシコ旅行した際に、そこで出会ったインディオ系のメキシコ人と恋に落ち、そこで子供を身ごもって一緒に暮らしているとか(一度戻ってきたときに会ったら、アクセサリーを浜辺で売り歩く男性だったようで、彼女もその商売をしているとか) 

まあルッカ自体は田舎でもあるし、若い人たちには刺激のない町ということもあるのかも知れません。 

竹富島も青いさんご礁の海と青い空、白い砂浜、それに沖縄の昔ながらの赤瓦の民家のたたずまい・・それが観光のイメージですね。それがなくなるとやはり竹富島の魅力は半減どころかなくなるものと思います。 

それがいつまで保存、継承されていくのか。今の親の世代が亡くなったり、家の所有者が替わって、やはり観光用にそのまま外観は残すという方向になっていくにしても所有権は大方が外部出身者に占められているということになるかも知れませんね。 

資本の論理の時代の波の中でどういうふうに変化していくのか、長い眼で見たらこれも結構厳しいものがありそうですね。

  

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2008年11月17日06:14 

ルッカの城壁から出て1kmほど南に行ったところに東西に約3kmほどの水道橋(アクアドット)が現存している。 

山の裾野から水を引いて18世紀頃までは使われていたらしい。かなり古いものである。道路建設で1箇所4~5mほど遮断されたところがあるが、ほぼ完璧に残されている。 

山の裾野にはその水道橋の基点になる石造りのタンクもあり、そこへ行くと水道橋の上には蓋で覆われた2本の溝があってその中をルッカ市内へと水が流れていたのが一目瞭然に理解できる。 

なぜ、同じ水道橋の上なのに2本の溝があるのかと聞いたら、1本はミネラルウォーターでもう一本はアクアコンガス(炭酸水)だと答えた地元の方がいた。もちろん冗談であるが、レストランでも水を注文すると決まってセンツァガス(炭酸でない水)かコンガス(炭酸水・・ガスと共にという意味)かと聞かれるので、このジョークは大いに受けた。 

しかし、今だにこれら2本の溝の謎はわからずじまいである。

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風人 2008年11月17日 09:27 過去、初めてドイツで、水をオーダーした時、 
コンガスが出てきてビックリした思い出がありますネ・・・ 

近くの川は白く石灰質に濁っていたなぁ~ 

ユーロの大陸は大古の昔は、サンゴ礁も一部あったんだぁ~?!と・・ 
あんらぎ 2008年11月17日 10:55 風人さん 
やっぱりびっくりされましたか(笑) 
ソーダとかコーラが炭酸飲料だと思い込んでいたので、僕も初めてそれを口にしたときは思わず、「なんじゃ、これ!」と心の中で叫んでいました。 

天然の炭酸水もあるようですから、やっぱり石灰質の地下で長い年月をかけて炭酸が溶け出したのでしょうね。しかし石灰岩といえば珊瑚、やはりあれは珊瑚の一部から溶け出した炭酸なのでしょうか? 

アメリカでもミネラルウォーターとして炭酸水を売ってますが、僕は今だにその無色、無臭の透明なのにガス入りの水というのは苦手ですね。 ○ハラ 2008年11月17日 16:53 あんらぎさん、 
ルーマニアでは炭酸入りが主流だった気がします。 
一緒に行った同僚が泡がでるので「ブクブク」と上手く名前をつけて、日本人みんなでそう呼んでました。 

ルーマニア語では「アーパ・ミネラーラ」ですが、ルーマニア人と喋る時は「Apa minerala」、日本人同士では「ブクブク」でした。 

ネコちゃんが、「日本語ではミネラル・ウォーターを『bukubuku』と言うのかい?」と聞くので、それを他の日本人に通訳したら、日本人は皆笑い、ネコちゃんは「何がおかしいのだろう?」とキツネにつままれたような顔をしてました。 Nao san 2008年11月17日 17:56 私は○原さんのおっしゃる”ブクブク”というペリエーとジュースを混ぜて常に飲んでいます。 

本当は日本の井戸水からのお水が1番美味しいですね。海の近くのお水は美味しくないですが。 

2つの水路。 一方が壊れたり破壊された時のためでしょうか? 
それとも貴族と庶民と分けていたのでしょうか? 

あんらぎ 2008年11月18日 12:13 ○ハラさん 
ぶくぶくとはまた素直な名称ですね。 
炭酸水と言ったら日本人にはどうしてもソーダやコーラがイメージされますし、単に水にガスが入ったのを何と呼ぶのかわかりませんから、共通のぶくぶくという表現はグッドですね。Apa minerarですか、泡ミネラルでもいいですね。 

初めてその泡の出る水を飲んだ日本人は大抵が泡を食ったような表情になると思います。 あんらぎ 2008年11月18日 12:21 Nao san 
ペリエーとも言うんですね。 
家内がこの炭酸ガス水が好きでPublixブランドの2L入りのを常備しています。Seltzerwaterと書かれてますね。 

僕は水道水をチャコールのフィルターを通した水差しに入れたのを飲んでいます。時に、Tonicと混ぜて飲むときなどはいかにもソーダ水という感じになるので、そのときは飲んだりしてますがそのまま味もないガス入りの水というのは今だに苦手です。 

沖縄の水もそういえば硬水ですね。石鹸の泡立ちが悪いのと薬缶を長い頃使っていたら底の方にカルシウムが付着します。でも健康にはカルシウムなのでいいという説もあるみたいですね。 

謎の水道橋の溝が2つある件ですが、なるほどですね。一つが壊れたときでももう一方は水が流れますしね。さらに時折その溝の清掃もしなければならない筈で、その時ももう一つの溝からは水が流れているので断水の心配がないですね。多分、そういうことかと納得しました。 Nao san 2008年11月18日 22:26 Perrierはフランス産でブランド・ネームです。 

それにしても最近の値上がり・・・・ぶくぶくではなくぶつぶつです