梅原猛

きのうミクシィのつぶやきに梅原猛が死んだことと、彼の生母は肺結核で子供を産んだら命がないと医者に言われつつ、息子の猛を産んだことなど書かれていた。

 

だから、梅原猛がこの世で思いを残して死んでいった人たちの気持ちを証するのは生母の哀しみが魂の奥底にあるからだ・・と書かれていた。

 

それを読んでなんとなくすっと腑に落ちるものがあった。梅原猛の著書は確か20代の頃に「柿本人麻呂 水底の歌」と「いろは歌の謎」(これは別の人の著書だったかも)それに古代幻視だったかを読んだきりである。推理小説を読むような面白さを覚えた本だったと記憶している。

 

詳細は忘れたがそのいずれかの本で縄文時代の土偶に関する考察を覚えている。土偶はすべて破壊されて埋められていたという。その理由が、縄文人は死んだら行くことになるあの世がすべて現世の反対になっていると考えていたからだという。

 

さらに土偶はすべて妊娠した女性を象ったもので、母子ともに亡くなった妊娠女性を供養したものだという。当時、出産の際に女性と母胎に宿った子供が亡くなる確率はかなり高かったことだろう。

 

梅原猛はその考えをアイヌの言葉や社会の仕組み、死生観を伝えたアイヌ女性の研究書から考えついたそうである。

 

その中で僕がもっとも心惹かれたのが生まれてすぐに亡くなった子供の埋葬方法であった。

 

沖縄では(今もそうかはわからないが)、赤ん坊が亡くなるとお墓に入れない。墓の横に別に小さな墓や塔を立てて埋葬していたという。

 

小学校高学年かにそれを聞いて、赤ん坊だけをなぜ親やご先祖と一緒にお墓に入れてあげないのかと可哀想に思ったことがあった。親より早く亡くなったから親不孝という汚名を着せられてのことだろうかなどと思っていたのであった。

 

それが、梅原猛の説によると縄文人やアイヌの人たちの死生観や早くに亡くなった子たちの埋葬法などを読んで溜飲が下がる気がしたのだった。

 

アイヌや縄文人の社会では妊娠した母子が亡くなると、お腹から赤ん坊を取り出して壺の中に入れて家屋の出入り口に埋葬したという。

 

これは人は死ぬとあの世に行き、しばらくしてまたこの地上に人間の子供として生まれてくるという輪廻思想から来ているという。ところが、生まれたばかりのあるいは死産の赤ん坊たちは生まれてこの世を楽しむこともなく、すぐにあの世に送り返された存在なのだと考えた。

 

それであの世にいくと今度はまたいつ生まれ変わってこの世に戻ってくるかがわからない。それでは可哀想だから壺(子宮と見立てた)に入れて人が踏みつけて通る(セックスのイメージ)家屋の出入り口に埋めて、また早くこの世に生まれてくるのを願ったのだという。

 

多分、沖縄の墓の中に早くして亡くなった赤ん坊が入れない理由もきっとそれに似た考え方があったのかも知れない。実際はどうなのかわからないが、僕の中ではその考え方がぴったりきたのを覚えている。

 

土偶は妊娠した女性の供養だったという梅原猛の考察が、自分の生母も自分を生む際に亡くなったという事実から潜在意識の中で積み上げてきた考察なのだったのは驚きと共に彼の母親に対する思いまで伝わってくるようである。