無題(1)Yahooブログより転記

ゲンゴノウ

この間、元日本人兵士がウクライナから帰郷したニュースを朝日コムで読んだ。今だにまだ戦争時の旧日本軍兵士が見つかるということにも驚きだったが、彼が日本語をほとんど忘れていたというのも驚きであった。現在81才だから出征時は18才くらいだったのだろうか。

昔、そう20年くらい前だろうか「2週間で字幕なしで洋画が見られるようになる」というタイトルだか、帯の文句に引かれて購入した本があった。

結果は・・・今だにさっぱりである。もっとも字幕なしでも洋画を見ること(誰だって見ることは出来るわい)はできるが、意味を充分に把握できたかというと自信がない。よっぽど集中してスラングもないようなゆっくりした会話の映画ならある程度理解は出来ると思う。ただ、そういう映画の途中でさえ何か他の事に気を取られたりすると(例えば夕飯は何を食おうかとか、友達は今どうしてるかなとか、瞬時にいろいろ頭に出てきたり・・そういう下らないことです)もうその英語の会話の流れを見失ったりする訳だ。

大体、英語を勉強する肝心なポイントは英語脳を作り上げることだとのアドバイスがある。もっとも頭が英語脳なら英語に苦しみ、悩む必要はないのでこれほどあこがれる言葉はない。言葉というのは多分、母親の胎内にいる頃から、外の世界の音やら母親の語りかける言葉を聞いて学習しているのであろう。誕生1年ごろにパパ、ママと片言を話せるようになるにもそれだけの言葉の習得期間があるわけだ。赤ちゃんのそのような真っ白な頭脳に最初に組み込まれるのが言わばmother tongueと呼ばれるその人の第一言語に当たるものだ。

言葉の機能は18才くらいで完成すると何かで読んだ覚えがある。アメリカでもよく例に出されるのが、元キッシンジャー国務長官のエピソードである。18才の時にアメリカに移民した彼の強いドイツ訛りの英語アクセントは有名なのだそうだ。それに較べられるのが、彼の2~3つ年下の弟で彼の英語の発音はネィティブと変わらないそうである。

英語のネィティブスピーカーであるアメリカ人の家内と出会ってから今年で20年になった。特に込み入った議論や会話をした覚えはないので僕の中学、高校で習った英語でもこれまで差し支えなくやってこられた。まあ一般的に夫婦というのは会話がないものなので、嫁さんがネィティブだろうと英語能力にはあまり関係しない。さらに3年前から実際に英語圏の中に投げ込まれて今だに英語を勉強しているわけだが、とても英語脳になる気配も、素振りもないのに愕然とするのである。

日本語を離せなくなったウクライナに住む元日本兵、やはり18才頃という言語機能の確立する以前にロシア語との出会い、日本語を使えない環境、そういうものが作用したのだろうと思う。それにしても「すべて運命です」という言葉の意味は重い。

  

僕は今、週2回(合計5時間)の英語の無料レッスンを受けている。
去年の9月にワイオミング州から引っ越して間もない頃、
ひと月近くモーテル住まいをしながら借家を探していた。

そのときに訪ねたアパート群
(郊外に2階建ての建物が集合していて、共同のプールやテニスコート、
ランドリー室、娯楽室、コンピュータルームも付属、中庭などが余裕を持って造られていて、
家賃は日本円で6~8万円))
の下見に行った時の担当者がアメリカ人と結婚したメキシコ人女性だった。

かなりスペイン語訛りの強い英語を話していたが、
もしかして無料の英語レッスンを受けた経験がないかと思い聞いたら
彼女が習った先生のメールアドレスを帰りに教えてくれた。
それが今年の1月の半ばから受講しているレッスンだ。

中国の方が半数を占めるが、フロリダ大学の医学教室を借りているせいか、
生徒も薬学、医学、遺伝子工学、水素エネルギーの研究者などと会話能力はさして高くはないが、
国に戻れば大学教授をしていたりと学習能力かなりは高い方たかと思う。

NYに10ヶ月居たさいもやはり無料の英語レッスンを3ヶ月ほど受けた。
ワイオミングでもコミュニティカレッジの主催する無料の英語教室に半年ほど通っていた。
いづれも初級~中級レベルで英語のレッスン事態はそう高くはなかった。

アメリカには1200万人ほどの違法移民者がいるそうである。
そこからグリーンカード(永住権)あるいは市民権を取った人も含めれば
今でもアメリカは移民進行形の国家と言えそうだ。
そして、そういう違法に入国した人たちにも無料で英語教育を与える制度はあるようだ。
(アメリカが2ヶ国語の国になるのではないかという質問に
ブッシュはすべての国民は英語を話せなければならないと答えていた)

場所によっては受けた英語レッスンの移民者の国籍の比重は違っていた。
NYではロシア系、旧ロシア系の方が多くしかも高学歴の方が多かった。
ミスタードーナツでアルバイトをしていた医者の方もいた。
バレリーナや、ウクライナではラジオ番組を持っていたという歌手、
元バレーボールの女子選手もいた。

アフリカの象牙海岸からの政治亡命者もいた。
女子警察官と女子裁判官(きょうだいが20人いるそうで、金の太いネックレスをいつもしていて
、実家は部族長ではないかと思えた)で祖国の内乱でアメリカへの亡命が認められた方たちだった。

クリスマスのパーティでは彼女らの歌うフランス語のクリスマスソングが
ノ~エ~、ノ~エ~とはもって思わず涙ウルウル状態になりそうで困ったものだった。
その時の総合司会を多分、僕が一番の年上だということで仰せ付けられた。
レベルによっては卒業も兼ねていたので、
生徒すべての国名を一つずつ挙げて欲しいとメモを渡されて
国名を読み上げるたびにその国の方たちの歓声が響いた。

出身地はロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ジョージア、ルーマニア、
ポーランド、エジプト、象牙海岸、コンゴ、ドウシャンベ、
中国、ベトナム、キューバ、ドミニカ共和国、コロンビア、
ブラジル、エクアドルなどだった。
(最後にMars火星から来た人、とジョークを入れた。
図書係りのちょっと意地悪そうな男性アメリカ人がいて、
あなたのことですよとからかったら当人はきょとんとしていた)

エルメスというドミニカ出身の青年からは
ODAで日本が上下水道施設や橋の建設をしてくれたのだそうで、
お礼を言われたことがあった。
自分がしたわけではないのにちょっと誇りに思ったものだ。
ウクライナの男性はウクライナには石油、ガス、木材と資源は何でもある。
それに比べると日本は何もない国なのに何が違うのだろうと問われたこともあった。

そういうこともとっさには答えられない自分に歯がゆさを感じたが、
そういうふうに聞かれるこという意味では日本を誇りに思ってもいいかと思った。

ワイオミングでも僕と同じ時期にクラスが一緒になった
中米の国エルサドルバドル出身の女性がいた。
松岡きっこをさらに濃くした顔の中年女性で、
政府に勤めていた夫がゲリラに殺され、
さらに家族を殺すという脅迫があり
7年前にアメリカに政治亡命してきたのだそうだ。
モルモン教徒のアメリカ人男性と結婚したばかりだと言っていた。(続く)

  

ブログなるものの存在をつい2~3週間前に知りました。
しかも無料で自分のブログが開けるとはおもってもなかったです。

アバタ-とは何かをわからず、クリックしたら
自分を戯画化したアニメが作れるようなので自分に近い?
と思われる画像を表示してしまいました。

但し、髪はそう長くはなく、pepper and salt(ごま塩頭)にアゴがかなり張っていて、
足がもっと長い(嘘、嘘!)です。早い話がちっとも似ていません。(笑)
これも徐々に直していきたいと思います。

つまり超初心者のブログ開設者で、思わずブログに関するメルマガを2つも購読ました。
これから徐々に勉強して使い勝手をよくしたいと思います。

現在、アメリカのフロリダ州アルチュア群ゲインズビルという
フロリダ大学のある人口10万人前後の小さな大学町に住んでいますが、
6年程前には東京の足立区に住んでいました。

地元の英会話サロンに属していて、そのサロンの方との交流がいまだにメールを通してあります。
また東京に戻った際にもサロンに参加してメンバーとの交流を暖めるのを楽しみにしています。
このブログも英語の勉強を含めて、そのサロンレッスンで取り上げられたトピックや
英語の勉強法などに関しても言及できたらと思います。

沖縄の那覇出身です。
20歳からの東京生活それからアメリカ生活は今年4年目に突入しました。
英語の本格的な勉強も40代後半からになります。
そういうことなども含めて、周りの様子などもランダムに書き進めていきたいと思います。
よろしくお願いします。

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はじめまして~☆・・・ヽ(゚・^*)^☆.。.:*・゚☆【祝】ブログ開設☆゚・*:.。.☆^(*^・゚)ノ・・・・マイペースに更新する事が、ブログを長く続ける為のコツです☆これからの素敵な記事に期待してます~♪>d('-^o)☆削除

2006/5/2(火) 午前 1:18- ]返信する

  

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ちょっとまっつんておくんなせえ。あなたが記念すべき第一号です。記念品に何かないもんかね?ないもんだね。うわぁ~またのお越しをお待ちします。削除

2006/5/2(火) 午前 11:20anr**i2hi*o返信する

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内緒

  

はじめに

あんらぎです。
男性ですが、もう自分の年を書くのもはばかれる年齢になってしまいました。
ここアメリカのフロリダ州は4月30日です。
日本時間では5月1日、
何かを始めるには縁起のいい数字かと思います。

2000年2月26日に日本を出て、
海外生活(イタリア2年半、スペイン4ヶ月、アメリカ3年)
いつしか6年以上の歳月が経ってしまいました。

その間にもインターネット、PCの進化は目覚しく
2001年にPCを購入以来もうPCなしでの生活は考えられません。
海外にいながらにして日本の情報を同タイムで知れるということは
とても素晴らしく、便利でまさかこういう時代になるとは考えてもいませんでした。

どういう情報を発信できるかまだ具体的な案も立ててませんが、
自分の生活の中から見えてくるものを中心に気ままに書いて行こうと思っています。
よろしく。