2007年12月09日23:49 3月30日(水)
朝4時45分、モーニングコールで起床。5時半運転手のファルクが迎えにくる。ガンジスの沐浴をボートの上から眺める予定である。
早朝の少し冷気の漂うガンガー(沐浴上)界隈では通りの上で草の茎を噛み潰してブラシ状態にしたものを使って歯を磨いている者、その茎を売り歩いている者、道端に落ちている牛糞を手でこね回している女性達がいて、中には軒下でまだ寝ている人達もいるが、朝の活気は早くもみなぎっていた。
沐浴場の入口付近は身体障害者や、物乞い、物売りですでにごった返している。12才位の少年がすでに岸辺で僕らを待っていてボートを漕ぎ、ガート(沐浴場)を案内してくれる。ガートは階段が川に吸い込まれるようについていてその階段を下りて水に入れるようになっている。
ボー トの上から沐浴している人たちの様子や、ガンジス川の風景を眺めようという観光客たちで早朝にもかかわらずすでにかなりの数のボートが川には浮かんでいた。
ガンガー(沐浴場)の両端にはそれぞれ火葬を行う場所があり、薪を用いた火葬だと2000ルピー(6千円)以上の経費がかかるが、焼却炉でガソリンを使うとたったの100ルピー(3百円)で済むという説明を少年は何気なくしてくれた。
観光客らしき人の中にも水着でガンジスの水の中に漬かるものも居るが、水は手をつけるのもためらわれるほど茶色く濁っている。それに火葬した後の遺灰もそのままこのガンジス川に流すというし、時には遺体がそのまま上流から流れて来ることもあると聞いていたので、いかに聖なる川とはいえどもヒンズー教徒ではない僕ら部外者にとっては地元の人たちが体だけでなく、口の中までもその川の水ですすいでいるのは信じ難い光景だった。
突然ボートの下からスッーと人の体が浮いてきたときは一瞬ハッとしたが、それは泳いでいるインド青年が素もぐりで浮き上がってきただけであった。眼が合うと照れ笑いしていたが、紛らわしい事はしないでいただきたい。
(僕らをボートで案内してくれた少年はその後日本に戻ってTVのドキュメンタリーに出ていたのを見かけた。彼の家族は長い事ガンガーで貸しボート屋を営んでいるのだそうだ。今や20代半ばの青年になっているはずで、やはり今でも家業に精を出しているのだろうか。他にも死期が近いことを悟った老人たちがガンガーを目指してやってきて宿泊する場所などが撮影されていた。)
<<前の日記へ あんらぎの日記一覧へ 次の日記へ>> コメントコメントを書く ○ハラ 2007年12月10日 00:38 あんらぎさん、 私がインドネシアに行った時、工場がジャカルタの町の東の端っこにあったのですが、その関係で工場の近くのホテルに泊まっていました。
そのホテルの前には大きな湖があり、中程では水上スキーをしており、湖畔では体に石けんを塗って体を洗っている人たちが居ました。
また、近くの、家が固まっている所では、スコールの時に、トタン屋根の一カ所から落ちてくる雨水をシャワー代わりに体を洗っている人を見ました。
この湖は茶色では無かったですが、よくやるやあ、と思って車で通りすぎていました。
インドの茶色い水の聖なるガンジスで体を洗ったり、歯を磨いたり、と言うのは日本のテレビでは見た事がありますが、現地、ハイデラバッドではさすがに見ませんでした。 ハイデラバッドにガンジス川は流れていないからなんでしょうが、それにしても茶色い水で体を洗えるというのは宗教のせいなんですかねえ。
体を洗っている傍を死体が流れて行く、などと言うのは想像が出来ません。 日本の各都市も空襲後はそうだったんでしょうし、沖縄や広島、長崎も被爆した人が火傷して川に飛び込み、そのまま溺れ死んで流れて行くと言うのがあった事は想像できますが、戦争が無くなった今、普通の川を死体が流れて居て、その傍で体を洗うというのは何とも図太い神経でないと出来ませんね。
もっとも、私の母親は原爆投下後、2日して広島市内に入って妹を捜したそうですが、その時会った被爆者や川に浮かんでいる馬や人間の死体を見ても特別ビックリしなかったそうです。 慣れって恐ろしいですね、それとも、インドでの考え方は、人はいつか死ぬのだから、当然の光景なんですかね。 あんらぎ 2007年12月11日 03:10 ○ハラさん 死体をどう見るかはこれもその人の思想、文化が大きく反映しているでしょうね。 平和で文化的、生活水準もある一定以上の国、社会では遺体は大体大切に扱われるものかと思われます。
それが、チベットのように鳥葬が行われる文化では、僕らの視点から見ると残酷な儀式に思えますが彼らにはそれが神聖なことなのでしょう。
インドのヒンズー教徒はやはり死後はガンジス川に違背を流してもらう事があの世に行けることだという思想があるので、死期が迫った老人は家財、遺産をすべて小屋孫に処分して放浪しながらガンジスにたどりつき、そういう施設で死ぬのを待つ人もいるそうです。
スペインの新聞には密入獄に失敗した浜辺に打ち上げられたモロッコ人の写真や、頭から血を流して車の運転席にいるけが人の写真などが載ってました。日本ではそのような写真は避けるのが当たり前であり、死者の姿は忌み嫌われています。人間の体を魂の抜けた単なる入れ物だと見るか、その国や人種の思想感も大きく影響しているような気がします。
僕は怖がりなので、とてもじゃないですが死体を直視、直面することはできません。非日常の世界、たとえば原爆投下後の広島市内を妹探しでさ迷った○ハラさんのお母さんにしても神経が図太いわけではなく、その当時の状況がそれに耐えられる神経を一時的に形作っていたのだと思います。
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