タイ・インド・ネパール旅日記(7)Yahooブログより転記

タイ・インド・ネパール

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カルカッタ②

2007年11月25日23:36 3月25日(金)の続き 

 昼間はじっとしているだけでも汗がしたたりおちるほどうんざりする暑さである。そんな暑さの中を、歩道にゴザを敷いてその上に身体の自由が利かない男性が放り出されていた。直射日光を浴び、体をくの字にして、指もひん曲がり白眼を剥いて小刻みに震えている。その足元には小さな缶が置かれていて、幾許かの小銭が入っていた。  

 ゴザの上にいる本人には意識があるようにも見えなかった。きっと近くに誰か歩行者に気づかれないように世話、監視している人がついていて物乞いをさせているのだろう。重度の障害者かそれこそ病人である。これほどまでの凄まじいパフォーマンスはないように思えた。 

 地図に載っている政府直営店を探すのに、パーク通りから人力車に乗る。だが車夫にもそれが見つけられずに1キロ程走ったろうか。32ルピー支払って降りる。ホテルからのタクシーが10ルピーもしなかったので人力車は割と良い稼ぎになるものなのかもしれない。(*カルカッタの日雇い仕事が20ルピーだと聞いていたのでかなり効率のいい仕事かも知れない) 

 とにかく暑いのでまたしても近くにあったファイロウン・ホテルに入り水分補給と称してビールを飲む。ミネラルウォーターの中にはうまい具合に栓をして普通の水を詰めて売られているケースもあるとガイドブックで見て以来、外ではもっぱら水分はビールで取るようにしている。地元の人には免疫や慣れでどうということもない水が旅行者には大事に至る場合があるそうである。 

 シャワーを浴びるときにうっかり水を飲み込んでしまい、肝炎になった話や、プールで泳いだせいで病気になっただの、氷入の清涼飲料水や野菜サラダを食べたら具合が悪くなったといった類の話は枚挙にいとまがないくらいである。旅先では特にインドのように衛生状態があまりよくない所では用心に用心を重ねるに越した事はない。 

 休憩後、道を聞いたついでに露店でカセットテープを売っている少年から30ルピーでシダー演奏のテープを買う。そこから再び人力車に乗り、レーニン・サラニマーケットへ行く。時折、ACデパートと看板の出ているのは、冷房完備の店というサインだとのこと。 

 帰りにビールを買おうと思い、酒屋はどこかと店の人などに聞くのだが適当な指示で迷ってしまった。通りすがりの親切な50才位の紳士(パートナー出身でコンピュータ関係の仕事をしているとのこと)にビールとミネラル・ウォーターを売っている店に案内して貰う。 

 タクシーがなかなか捕まらないので、オベロイ・グランド・ホテルへ行って客待ちのタクシーに乗る。運転手はメーター制なのに通常の4~5倍の50ルピーを要求してきた。自分はオベロイホテル専属のタクシーで夜は帰りの客を乗せてはいけないことになっているので往復料金を貰うことになっていると言うのが彼の言い分であった。ところがホテルへ着いたら、僕らが降りるのと入れ替わりに他の客を乗せて走り去って行った。敵ながらあっぱれというしかない。 

ホテルの部屋で先ほど買ったビールを飲もうとしたら、栓の部分に錆びがついていたので飲むのをあきらめる。瓶の栓が錆びつくということはビールなら完全に賞味期限を過ぎているのは間違いない。

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○ハラ 2007年11月26日 00:35 あんらぎさん、 
またまたインドでしてやられましたね。 
人の好さそうな客だと思うと、運ちゃんもふっかけるんでしょうか。 

それにしても通常の4~5倍とは法外な。 
取れる所からはしっかり取ろうという運ちゃんの魂胆が見え見えですね。 
インドの運ちゃんに引導を渡す手は何か無いんでしょうか。 あんらぎ 2007年11月26日 01:01 ○ハラさん 
4~5倍吹っかけた値段が50ルピー、日本円で150円です。 
法外ととるか、安いと受け取るかの分かれ道ですね。インド人には法外な値段なんでしょうが、東京の初乗り料金が650円もするところから来た旅行者にはそれでも格安なんです。ですから、それでい~んどと思うしかないですね。 

でもルピーを使っていくうちに円の基準からそれて感覚がルピーになってくるとやはりぼられたとか高いなどと思うようになってくるのは不思議です。

  

カルカッタ①

2007年11月22日22:05 

  3月25日(金) 
 九時過ぎに起床。窓から向かいに見える森のようなものは動物園だそうだが、動物の居るような気配が一向にしない。時折、道を人力車が走っていくのが見える。オート三輪車でもなく三輪自転車でもない明治時代に日本人の発明した車夫が曳いて客を乗せる正真証明の人力車でとうとうカルカッタにやってきたのだという実感がふつふつと起こる。 

 チョンギー通りの政府観光局へ行って、明日のデイツアーの予約をする。朝8時から5時頃までのバスツアーである。そこから歩いてインド博物館へ行く。入場料一人2ルピー。 

 1時から3時頃まで仏像やヒンドゥ教の美術、 彫刻、インド各地の生活や風俗習慣、各地方の民族衣装といったものなどを見てまわる。インドなどと一口にはひっくるめられないほど、様々な人種や民族があることに驚かされる。言葉も細かく分類すると何千種類にものぼるらしい。様々な民族がインド大陸に侵入しては複雑な階層を形作ってきたのだろうと思う。 

 カルカッタの目抜き通りニューマーケットやリンゼイ通りを歩き回り、近くにあったオベロイ・グランド・ホテルで休憩ついでにビールを飲む。暑いときは熱いお茶を飲むのがほんとはいいらしいが、汗をかいたあとのビールがうまい。市販のミネラルウォーターにも注意をというガイドブックを読んだせいで栓をちゃんとされたビールの方が安心感があるせいでもある。 

 僕らの隣の席に日本人のグループが座っていた。京都祇園の料亭の経営者という70代の人が、熱い時の紅茶の飲み方を3人の若い女性に講釈している。熱くてカップから直接飲めないときは受け皿に少しずつこぼしてそれを飲むのがコツだそうだ。 

 女性3人は四国から来た日本の旅行社のアショカ・ツアーという一行らしい。スピーカーを通して日本語でそのツアーの出発のアナウンスがあり、彼らはお茶を飲まないまま慌ただしく出て行った。分刻みのスケジュールに追われ紅茶の飲める温度まで冷めるのを待つゆとりも受け皿にこぼして飲む余裕もないようであった。 

*写真はアメリカでインドレストランの前にディスプレイされていた三輪自転車。装飾は写真のような派手さはないが、インドでよく見かける乗物は三輪自転車、ミニカーのような車体のオート三輪車、それにカルカッタでみかけた車夫が曳く人力車などであった。

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○ハラ 2007年11月22日 23:01 あんらぎさん、 
そう言えば不思議に思っていたんですが、沖縄料理には冷たい物が無いですね。 

先日の八重山旅行でも、ぜんざいと飲み物は冷たかったですが、料理となると焼き肉とかおでんとか八重山そばとか熱い物ばかり。 

昔の琉球の人はざるそばのような冷たい物は食べてなかったんですかね。 
暑い時に熱い物を食べると余計汗が出るので、どうも私は苦手です。 
冷たい物が出ると、ホットします、何のこっちゃ。 あんらぎ 2007年11月23日 13:08 ○ハラさん 
確かに暑い日には冷たい飲み物や食べ物がすんなり体の中に入りますね。 
熱射病で倒れた人に暑い日は熱い物がいいといって熱いお茶とかを飲ませたら逆効果でしょうしね。 

でも暑いからといって冷たい物ばかり取っていると体に良くないいう昔からの知恵があって、何事もほどほどにということではないでしょうか? 

沖縄では熱い物はアチコ-コーといって確かに冷たかったり、ぬるい食べ物よりはありがたがる傾向がありますね。多分、冷蔵庫もなかった昔は食中毒にかかる確率が高かったので、食事は料理したすぐ後とか、しばらくおいといたのでも暖めて殺菌して食べるというこれも昔からの知恵だったのかも知れないですね。 

魚も天ぷらとかフライにして食べる方が多いのもやはり食中毒を恐れていたせいかも知れません。 

よく、沖縄の食堂の壁のメニューには「冷やし物一切」という文字があります。それは冷やしぜんざいとか、カキ氷、みぞれ、冷やしたコーラやジュースのことです。一切とは言っても冷やしそばとか冷やし中華とかはあまり見かけないと思います。 

南の国は他所からクール人にホットな心でホット一息つけるように熱い物を提供するのであります。親コーコーならぬ旅人の体調を気遣った旅人コーコーでアチコーコーな食べ物を出されるのです。(と思いましょう)

  

2007年11月21日22:55  3月24日(木)の続き 

 5時半に空港へ行く。8時25分離陸、10時半カルカッタ着。機内で隣合わせの男(アリフ、マドロス出身35才位)と会話を交す。彼は現在家族とサウジに住んでいて、出張でカルカッタへ行くところだそうである。ファミリーで貿易関係の仕事をしているとかで、裕福な家庭の様に見受けられた。互いに名刺交換をする。 

 彼によると、一般の会社の事務職で2000~2500ルピーの給料、重役でその10倍位だそうである。しかしインド経済はここのところめざましく発展しつつあるとのことだ。それに彼によればインドは外国人が思うほどには貧しい国ではないとの説を披露してくれた。 

 例えば、日本で10円、20円のお金で何が買えるだろうか。こちらでは15ルピー(約45円)で米が1キログラム買えるし、安食堂では2~3ルピーからメニューがある。つまり、物価と賃金とを相対的に見ればインドはそう貧しい国とは言えないということである。 

 富裕層が何%だとか、中流層が何%だのといった話もしてくれたが残念ながら失念してしまった。それでも彼によると、カルカッタのスラムの状況には凄まじいものがあるらしい。 

 空港からタージベンガルホテルまで30分程かかり、11時半にチェックインする。カルカッタの第一印象は夜ということでかなり静かな感じである。部屋の窓からは道を隔てて木の生い茂った森のようなもの(動物園だった)が見える。

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○ハラ 2007年11月22日 00:42 生まれつき裕福だったり、仕事に恵まれていたりすれば、貧乏なんてする方がおかしい、と思うかも知れませんね。 

ある人にとってはインドは住みやすい国で、ある人にとっては住みにくい国かも知れません。 

日本も格差社会に成りつつあって、仕事に恵まれている人にとってみれば、不況なんてどこ吹く風の話ではないでしょうか。 

片や年収二百万とか三百万とかで暮らしている家族もいるらしいですから悲喜こもごもですね。 
日本は治安が比較的良いですからまだOKですが、治安が悪い所だと自分の虎の子の財産でさえ肌身離さず胴巻きにでも入れて持っておかなければ成らないから大変です。 

外国だと、会った人の印象でその国の印象が決まりますね。 
あんらぎさんはまだこの前に物乞いに会っているから違うでしょうが、観光のバス・ツアーかなんかで良いとこ取りのインド旅行だと、上っ面だけを見てインドもそんなに悪く無いじゃない、と思ってしまうかも知れませんね。 あんらぎ 2007年11月22日 11:07 ○ハラさん 
インドを旅行していて、たとえば牛車に藁を束ねて高く積み上げたのを田舎道あたりでゆっくりと運んでいる男性は現代の車が見えてないのではないかという錯覚に落ち込んだことがありました。 

四次元とかそういうおおげさな感覚ではなく、大昔からの生活をそのまま伝承している人たちが一方にいてさらに近代化した中流、上流階級の人たちがいて、その人たちが社会的な接点もないまま同じインド社会の中でお互いが見えないまま生活しているという感覚です。 

日本で言えば、明治時代や江戸時代の人たちが現代人と一緒に同じ日本という社会に生活していてそれぞれの時代の人たちはお互い同士は見えないというか、外国から来た人たちだけにはどちらも見えるというそんな感じを受けました。 

格差社会というのはそういうお互い同士の接点のないままに社会が構成されてしまうという感じなのかなという気がします。貧乏な階層にはその階層内でしか物事が見えなくなってしまう。上流階級はまた彼らの中だけで家柄とかそういうものに守られながら存在していくといった感じかも知れません。 

日本がそういう社会になるとしたら、一度は一億総中流という感覚を持ちえた社会ですから、犯罪率はかなり凶暴になりつつ高くなるような気がします。

  

2007年11月19日09:55  3月24日(木)の続き 

 冷房の効いたショッピングセンターで涼を取った後、オート三輪車でタヤガラヤ市場に行く。三輪車を降りるやいなや赤ん坊を抱えた若い女性達が5~6人ほど一斉に駆けよって来た。いきなりなので無視してやり過ごすが後ろからぴったりと付いて来る様子である。通りには花や、日用雑貨、衣類などを売る店が並んでいたので、彼女らを避けるためにとりあえずその中の店の一つに入って行った。さすがに店の中までは追いかけてこない。 

 家内はついでにそこで口紅を買い、店主とよもやま話が始まった。店主が言うには普通の店には冷房設備はほとんどなく、エアコンが25000ルピーするので普及率もわずか10%以下とのことである。だから冷房の備わった店は他店との差をつけるために店の入り口にACというサインを出しているのだそうだ。 

外へ出ようとすると例のバクシーシ(物乞い)集団が入り口からちらほらこちらの様子を覗き見しているので、店主に訳を話して紙幣を小銭に両替して貰う。 

 すると主人が言うには、彼女らのある者は露店商に高い利子でお金を貸し付ける高利貸しをしている者もいるのだそうである。確かに大変な生活を強いられている事に変わりはないが、正直言ってその話には少し救われた気がしたものだった。 

 店主が手で追い払う素振りをすると彼女らは散っていった。それから外へ出ていくと汚い格好の男の子が駆けよってきたので飴玉をやろうとショルダーバッグのチャックに手をやると、どこにいたのかいきなり赤ん坊を抱えた若い女性が物凄い勢いでこちらに突進してきた。 

 物を乞うにしてはかなり積極的で、僕が汗よけに首に巻いていたタオルを引っぱり何かわめきながらそれを呉れといったジェスチャーで迫ってくる。タオルの一枚くらいやってもよかったと今思うのだが、こちらもそういうふうに迫られるとなぜか反射的に依怙地になって駄目だと拒否のポーズをとったのだった。しかし、彼女も負けてはいない。さらにタオルを引っ張る手に力を入れると強引に奪おうとしてきたのだった。 

 その様子を少し離れた場所から見ていた家内が遂にヒステリックに何やら叫んだらその女性も大声で悪態を付きながらようやく僕らから離れて行ったのだった。 

その後すぐに近くで客待ちをしていたオート三輪車に乗り込みホテルに引き返す。 

三輪車の中でもその出来事はちょっと衝撃的で家内ともお互いにホテルに着くまで口を聞かなかった。その後ホテルでは何てことはない普通のタオルくらいあげれば良かったなどと後ろめたさともつかない後悔に襲われたのだった。 

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○ハラ 2007年11月19日 12:13 あんらぎさん、 
乞食三日やったら止められぬ、と言う言い方がありますが、貧すれば鈍す、ですね。 

乞食という言い方は差別語なのかも知れませんが、努力しようとせず、安易に人から物を貰おうとする行為は差別されて当たり前と思いますし、またその呼び方は当然と思います。 

やはり、あんらぎ夫人のように毅然とした態度が必要で、一つ貰えればもっと良い物を、と調子に乗りますから、無視するのが一番ですね。 

それにしても政府という物がありながら、こういう物乞いを野放しにしているのでは、どんなに文化やテクノロージーが発達しようと、インドという国の品格が推して測れますね。 あんらぎ 2007年11月20日 10:18 カースト的に他に就ける仕事がなくて乞食を代々している人たちなのか。実状がどうなのかやはりよくわからないので何ともいえないですね。 

やはり彼女らは生活の糧を得るために、生き抜くために物乞いをしているのでしょうから、単なる旅行者が気分によって、施したり無視したりするという時点から離れたところでインドという社会の制度にまで言及する問題かと思われます。 

それにしてもバングラディシュはサイクロン被害がニュースで流れてますが、インド文化圏で同じような社会組織なんでしょうが、そういう貧しいところに天災も襲うというパターンが多いような気がします。貧しい故にちょっとした自然災害に襲われてもその対策をしてなかったから被害が増大するという悪循環があるのかも知れないと思ったりしました。

  

2007年11月16日22:32   3月24日(木) 

 昨夜はホテル内の中華レストランで一人で中華そばを食べる。インドで食べる始めての中華料理であった。割と何でも食べられる方なのだが、さすがに久しぶりに自分の体に合った物を食べた気がして満足感がある。食の範囲の狭いベジタリアンの家内は別行動を取り一人でコーヒーラウンジでスパゲッティを食べた。 

 昨日は3~4時間の睡眠を取っただけでツアーに出かけたので疲れている。もう少し休みたかったが、11時過ぎにはインディアン航空の事務所へ出かけねばならなかった。これからの飛行機の切符の予約やら、ニューデリーの旅行社へファックスで飛行機が欠航したせいでこれからのスケジュールの変更を頼んだりして12時半頃までそこに居た。 

 その後、博物館へ行く。さすがにヒンドゥ遺跡の彫刻やら、仏教遺跡や仏像などは見応えのあるものが展示されていた。仏像も、ガンダーラ製のは口髭をたくわえた彫りの深い顔だちで日本の仏像のイメージとはまるで異なっている。 

 ブロンズ像のコーナーもあったが、とにかくやたら暑いのと家内が昨夜食べたスパゲッティにあたったのか体調が思わしくないというのでどこかで休むことにする。 

 地図を頼りに、アンナロードのスペンサーショッピングへ行く。デパートをイメージしていたのだが小さなショッピングモールであった。それでも館内は冷房が効いていたのでそこの広場のベンチで休むことにする。 

 しばらくベンチで休んでいると学校帰りだという二人の中学生の男の子が話しかけてきた。裕福な家庭の育ちに見えたがペンか日本のコインをくれと要求された。百円硬貨をそれぞれに一個ずつあげるが不満そうなので30ルピーの価値があるのだと言うときょとんとしていた。とりあえず、外国人には何かねだるというのは子供たちにはゲーム感覚なのかも知れない。  

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○ハラ 2007年11月17日 00:02 7年前、私が東京駐在員だった時、ジェリーの長男のスティーヴの一家5人を東京に招待しました。 

その時、鎌倉へ行って昼食は何を食べようか、と言う事になり、「ウナギが食べたい」と言うのでウナギ屋へ行きました。 
夫婦は鰻重を食べたと思いましたが、子供は白いご飯に天ぷらを注文しました。 
私は気を遣って、子供にはマックかケンタッキー・フライド・チキンなど、アメリカの子供にお馴染みの物を、と思いましたが、両親はジャンク・フードは要らない、と言いました。 

知らない国での食事というのは、頭ではOKでも体が拒否反応を示す事がある物。 
ましてや子供では、どうなんだろう? と思っていましたが、子供達3人はワイワイやりながらご飯に醤油をかけ、天ぷらをつっついて食べていました。 

食の安全が保障されている日本だからご飯や天ぷらもOKなのかも知れませんが、これがインドだったり中国だったりしたらこうは行かないでしょうね。 

海外旅行中、食事で体をこわしては何のために海外へ来たのやら分からなくなりますから、食べる物には注意しないと行けません。 

そう言う意味では、あんらぎ司令官、中尉(注意)が必要ですね。 あんらぎ 2007年11月17日 10:18 ○ハラさん 
確かに旅をしている時に一番注意したいのが健康、それに安全ですね。 

食に関しては、レストランでも氷入りの水は飲まない。(氷自体が怪しい場合があるので) 
屋台では食べ物を口にしない。ちゃんとしたレストランで食事する。 

治安に関してはインドだと1500円くらいからでも宿泊できる宿がありますが、やはり物を盗まれたりするチャンスが大きいように思います。高めでしたが、といっても日本のビジネスホテルくらいの宿泊料でもとマハラジャの別邸がホテルになったところとか、国民宿舎でガードがしっかりしているとかを選んで泊まってました。 

食事は本当に家内はピーナツとか、パン、スパゲッティくらいしか食べなかったですね。僕は現地の料理もレストランで試しましたが・・いかに注意をしてもそれでも運が悪いと何かに当たるということはあるみたいですね。 

僕らがインド旅行をしたのは猿岩石の貧乏旅行などがブームになる前だったと思いますが、40も過ぎてましたし、やはり治安のことが一番注意しなければいけないことだと思ってました。 

食も衛生、安全面からは日本もOKなんでしょうが、一流どころの吉兆あたりでも食材をごまかしたり、賞味期限をごまかしていたりしていたのが発覚するご時世ですから、インドあたりや他の外国での特に旅先では注意に注意を重ねるのは致し方ないことですね。 

まったく、食べていいものや宿泊先の安全などを、知れ、いかんなどと神経を使わないといけません。