ニューヨーク(Yahooブログ記事転記)

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3年前,ニューヨークに住んでいた頃の出来事。 

NY野村證券のお抱え寿司職人がバイキングで寿司を握るというので食べに行ったことがある。寿司のほかにもいろいろ洋食もテーブルに並んでいたが、実地に寿司を握るコーナーには人だかりが出来ていた。 

一応バイキングであるから、自分の皿を手に取って並ぶ。そしてその皿を寿司職人さんに渡して何を握ってくれと伝えるのである。 

僕の前には40代の巨大な黒人女性がいた。さて彼女の番になったが、彼女は自分の皿を持ってなかった。僕は割と親切である。「どうぞこの皿をお使いください」と申し出たのである。彼女の寿司を握っている間に僕は別の皿を取りに行こうと思ったのだった。 

すると、彼女の返事は「ノー、他人の手が触れた皿は汚い」と答えたのである。確かに手で持ってはいたが、特に皿の上を手で撫で回したり、つばをつけたり、皿を持つ前にトイレに入り手を洗ってこなかったという事実はなかったように思う。ましてトイレに行ったにせよ、トイレットペーパーが破れて少し・・が手についていたなんてことが彼女に分かる訳はない。 

彼女は自分で皿を取りに行き、その間僕も含めて僕の後ろの人も30秒ほどだが彼女の戻ってくるのをその間じっと待っているしかなかった。 

彼女は皿を二つ抱えて戻って来て、寿司職人にすべてのネタの寿司を握るようオーダーした。かなりの量になったが、彼女の体格に見合って(120kgくらいはありそうだった)きっと、食べられる量だったのだろう。 

さて、僕の番が来た。佐藤さん(寿司職人の名前)と僕は眼があって、苦笑いした。そこは言葉ではなくお互いにこの出来事をいかにもうんざり・・といった風情で了解しあったのである。 

僕も、一通り握ってくださいとお願いしたら、佐藤さんは「そんなには食べられないでしょうから、ほかのは刺身にしましょうね」と言って、一人前の寿司を握り、さらにすべてのネタを刺身のまま皿に盛って渡してくれたのだった。 

僕はこの出来事に関して実は腹はたっていない。ただただ、アメリカ人の自己主張の強さを垣間見たような気がしてちょっと得したような気分でもあった。さらに彼女のその押しの強さの何十分の一でもあればと思うことしきりでもあった。 

それ以来、そのようなタイプの人には出会ってないから、誤解されても困るので彼女の行動は自己主張の強いアメリカ人の中でもやはり例外中の例外だと断言しておこう。

"American's self insistence" 

It happened in New York when I lived there three years ago. 

I went to lunch buffe for eating sushi that a retainer of Nomura Shouken's sushi shef made it. There were many kind of foods on the tables, but there were long line at sushi corner. 

That was a buffe style lunch so we had to take own dishes to the line, and orderd what kind of sushi we liked. 

There was a big African American woman infront me. When her turn came, but she didn't have her own dish. So I offered kindly to her " Please use this dish." My idea was that I would go to get another dish for me while the sushi shef making her order. 

But, she said to me," No, thank you because you touched it already, so that dish is dirty." Ofcourse, I had the dish in my hand, but I didn't touch surface of the dish, I didn't spit my saliva on it, or I didn't go toilet and din't wash my hands before the line. If I went to the toilet, how she knew something attached my hands because when I used toilete paper, the paper was torn or so. 

She went to get her own dishes, so we had to wait her for about 30 seconds quietly. 

She came back to the line with two dishes, and ordered all of ingredients sushi. It was a kind of big amount, but she could have eaten them all ; she was a big woman about 120kg. 

Then, my turn came. I made eye contact with Mr. Sato that his name,and smiled grimly each other. There was no words but we could understand each other with inspiration and expiration, both of us were sick of it. 

I oredered sushi all of kinds of ingredients to him, he answered, " you can't eat all of sushi, so I make sashimi for you." He made sushi for one person's portion and put sashimi on the dish too. 

I didn't get angry about the woman's attitude actually. Indeed, I was happy to glimpse the strong attitude of American. Far more, I wanted to have such kind of pushing by myself. 

I have never met such kind of person since that lady I met there, so before you take it misunderstanding I want to declare that that person's attitude was a very special case among the Americans. Her attirtude was a very exceptional.

  

2002年はニューヨークに滞在していた。
グリーンカードの申請はパスしていたものの、
911テロの影響らしくまだ手に入れてなかった。 

マンハッタンのハーレームに近い教会で
グリーンカード保持者を対象にした無料の英会話教室があり、
事情を説明したら受け入れてくれた。
10月から翌年の3月ごろまでの半年間を9時から3時ごろまで通った。 

一階は食料配給の窓口もあり、毎朝多くの人がホールに詰め掛けていた。
教室へはそのホールにあるエレベーターで上にあがる。
3階と4階が教室になっていて6クラスほどあった。 

最初は初級クラスに入れられたが、2週間ほどで中級クラスに転入された。
ロシア人、旧ロシア人、南米諸国、カリブ海地方の島の人たちが主なクラスメイトだった。 

中級コースに編入されてすぐに若い女性がちょっと生意気な口の利き方で「
あんた、昨日までこのクラスにいなかったじゃない。新人なの?」と聞いてきた。 

見ると随分若い女性で、あとで知ったのだが
グルジア人の19才のマッカという少女だった。
やせた背の高い少女で、年配者を年配者として
敬意を表することを知らないのかと思ったが、
まあこれは英語の表現自体がタメ口に近いせいと
英語を勉強中ということでそのニュアンスを知らないせいだったとわかった。 

クリスマスの近づいたある日、グループに分かれてクリスマスソングを歌うことになり、
ウチナーおじさんと、マッカとルーマニアから来たというおばさんの3人は
廊下に椅子と共に出されて渡されたプリントの「ジングルベル」を練習した。 

その時期のニューヨークはかなり寒くなっていた。
ウチナー-おじさんは家から弁当を持ってきて食べていたが、
マッカはいつも自動販売機のコーヒー一杯だけがランチだった。 

「若いのにお昼を抜いてお腹がすかないのか」と聞いたら、 
国では学校でお昼を食べないで3時過ぎに家に戻ってから食べていたから平気だ。
弁当を持ってきて食べても良かったのだけど、多くの生徒が持って来なかった。
寒いのにストーブもなく、寒いよ、ひもじいよと言いながら学校が終わるのを待って、
皆急いで家に帰っていた・・と答えた。 

ジングルベ~ル、ジングルベ~ル鈴が鳴る ♪ 
ちょっと大人びた少女だったが、その歌を歌うときは無邪気さが覗き見えた。 

ジングルベル、ジングルベル ♪ 
僕も半ばヤケクソ気味にその少女の少し外れた音程に合わせて
大声でその歌を歌ったのだった。 

クリスマスが近づきジングルベルの歌が流れてくると、
ウチナーおじさんはキリスト教徒でもないが、
(多神教徒として、キリストも認めている)
胸の中に希望と喜びの歌声が響いてくる。 

一人の少女を通して2002年は良いクリスマスに恵まれたのである。

  

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オキちゃんとキャンヒージャー捜査官が
ニューヨークにいるということなので、
そこで撮った不思議写真を紹介しようと思う。

写真はエンパイアステートビルと
クライスラービルを背景にした縮緬のテディベアである。

種を明かせば、この縫いぐるみはウチナーおじさんの友人の奥さんの作である。
それをいただいたお礼にという訳ではないが
当時、フランス映画で「アメリー」というのがあった。

その映画の中でかなり変わった女性が主人公で
元気のない父親を励まそうと彼女の父の庭に置かれていた人形を盗み出し
世界を旅行している友人たちに頼んで現地で一緒に写真を撮ってもらい、
それを父親に送ってくれるように頼むといういたずらをしていた。

ウチナーおじさんも割りといたずら好きなタイプである。
で、早速そのテディベアを使って写真を撮り、
友人に送った次第であった。

そのテディベアを作ってくれた方は何を隠そう
あの、大和おじさんの奥さんなのである。

  

良人

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ニューヨークの地下鉄で見かけた良い人。
4年前のことである。

こういうふうにはっきり人の性格や
良い人か悪い人かがわかれば便利だとは思う。

  

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ニューヨークの地下鉄は落書きだらけで汚いし危険だという悪評が高かったのは、それほど昔のことではない。初めてNYに旅行で出かけてタイムズスクエアーから地下鉄に乗ろうと階段を降りかけたら、途中の階段に人糞があったので、引きか返した経験がある。1989年のことだったと思うが、そのときに地下鉄に乗り損ねたので、比較ができないのが残念である。

だが、NYの治安もジュリアーニ前市長の改革で今や落書きの出来ない日本製のスチール車両へと替わっていた。さらに市内でも特に危険な地域の駅のホームには警官が常駐しているのが伺えた。1ドル50セントの定額料金で、全線を自由に乗り換えながらどこへでも行けるこの地下鉄は、このうえなく便利な“NY市民の足”と言って間違いないだろう。 

路線によって、乗客の人種構成も大きく変わる。ちなみに7番線は通称「オリエンタルエキスプレス」と呼ばれ、アジア系の移民者が多い。「A列車で行こう」というジャズナンバーで知られるハーレム行きのA線には、黒人やヒスパニック系の人々が多いようだ。 

地下鉄に乗る楽しみは、いろいろな国から来た人たちが見られることのほかに、素人や大道芸人のパフォーマンスが見られることにもある。市内でも圧倒的に多くの路線が集中するマンハッタン中心部の駅構内では、黒人のドラム演奏や、中国人の胡弓、見たことのない珍しい楽器の演奏も目にすることができる。ヘッドホンステレオにつないだ小さなスピーカーの音をバックに驚くほどの歌唱力で聴かせる黒人女性もいるし、キーボードを弾きながらオペラを歌いこなすアジア人もいて、まさに多彩だった。

駅構内ばかりではない。車内にもパフォーマーは出現する。ある日隣の車両から陽気な2人の黒人男性が「チャラ~ン」と言いながら入って来たかと思うと、突然前口上を述べた後にアカペラで歌い始めた。リズムや声を変えたりして、たった2人なのに4、5人で歌っているかと錯覚を起こすほどうまかった。

パフォーマー以外にも、さまざまな人たちが乗ってくる。一部の人は車内の端っこに立つと名前と用件を大声で訴え、周囲の乗客に協力をお願いするのだ。“お金を恵んでくれ”というホームレスもいれば、“バスケットチームのユニフォームをそろえたい”と1ドルのチョコレートを売りに来る小学生たちもいる。子供のいる乗客の眼前に無造作におもちゃを差し出す手にわずかのおもちゃを抱えただけの、英語を話せない女性の中国人行商人の姿もある。 

電車も東京ほどには混んでなく、車内もそう殺伐とした感じではなかった。乗客同士で服やアクセサリーを褒めて、どこで買ったのかといった会話が始まるのも目撃したものだった。

ある夕暮れなどは、麻薬かアル中っぽい中年の女性が音程のはずれたかすれた声で聖歌を歌い、乗客に小銭をお願いした後、ヨタヨタと次の車両に移っていった。いかにもNYならではと思っていたら、女性が去ったとたん今度は牧師姿の黒人男性が隣の車両から移ってきて、麻薬やアルコールの危険性について説教を始めた。あまりのタイミングの良さに、“これって実はヤラセでは?”と首をかしげたのだが、果たして実際のところはどうだったのだろう―。