・・とタイトルにつけたが、わかる訳がない。
ただ、カウボーイがカウボーイブーツを履いている理由を身に沁みて感じたことがあった。
例のジレットの町外れに放置されている4頭の馬に週末に人参や角砂糖を持って会いに行っていた頃、大体サンダル履きだった。
ある日、いつものようにサンダル履きで有刺鉄線の柵に近づいて餌をやっていると足の甲あたりに鈍い痛みを感じた事があった。
それで、すぐに足元を見たのだけれど心配していた蛇の姿も小さな虫さえも目にしなかった。それが部屋に戻って横になっていると足の痛みもそうだが、心臓がドキドキと脈が早くなるのがわかった。胸さえも痛むのだった。
きっと強力な毒虫か毒蛇に刺されたに違いないと頭の中は悪い想像で一杯になった。刺されたときにすぐ足元を見たのだけれどその時点ではすでに素早く逃げおおせていたのだろうと思った。
呼吸も荒くなるし、ほんとうにこれで一巻の終わりかと思ったほどで冷や汗まで出てくる始末であった。その状態が30分ほど続いた。
・・で頭の中ではなるほど、カウボーイも伊達にブーツを履いている訳ではないのだなと理解できた次第なのであった。
ジーンズが青いのも毒蛇よけの染料で染めてあるからだし、キャラバンの厚い生地で作られているのも馬に乗ったり、屋外での作業でも簡単に破れないよう丈夫に作られているわけである。
幅広のつばのカウボーイハットはやはり長時間の屋外作業には欠かせない日よけであるし、首に巻いたネッカチーフも虫などが首筋から入らないように塞いでいる.またベルトもズボンがずり落ちない役目を担っている。(ハァ~もっともだぁ~ 々)
写真は左からロデオ(いろんな競技があり、それを称してロデオという)競技会場に向かうカウガールの勇姿。
バーンツアー(納屋めぐりツアー)という博物館主催の100年以上昔の古い納屋めぐりに参加した際に見た巡回して馬の蹄鉄を取り替える生業の業者。小さなトラックの荷台に道具やそれぞれの大きさの蹄鉄を揃えて、牧場を訪ねては馬の蹄鉄を取り替えている。馬も毛づくろいをしてあげたり、足の爪を定期的にチェック、手入れしないと病気になるそうである。
高校生ロデオ大会のミシガンから来たそこのロデオクィーン。残念ながら、その子は全米ロデオクィーンにはなれなかった。このようなブロマイドを作り、観客に配っては投票をお願いしていたのだと思う。裏には僕の名前と彼女のサイン入りのLoveという言葉が書かれている。ちょっと嬉しかった。
毒虫の件もあって、スリフトショップ(慈善店)で中古のカウボーイブーツを買った。特に履く機会はなかったが、知り合いのパーティで僕がブーツを買ったという話をした。するとその人が僕がいよいよ西部の男になったと居合わせた人たちに大きな声で告げたので、期せずして拍手が湧き起こったのだった。
もう少し、ワイオミングにとどまっていたら、僕もいっぱしの西部男になれたかも知れない。
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2007年09月01日 00:01 ジョージ
カウボーイ、かっこいいね。 私もそんな帽子をかぶる時もあるからわかる。
確かにカウボーイはダテニそんな滑降してる訳ではないよね。 みな理由がある。でも今回は勉強になったよ。
いつも感心してます。
あんらぎ
ジョージさん 荒馬乗りのロデオにもクラウンがつきものだとご存知でしたか。ジョージさんのプロフィールの写真とまったく同じ粉装をしてカウボーイハットを被っています。
役割は道化てお客を笑わす・・というものではなく、ロデオに乗った人が馬から落ちたときなどや牛が暴れたときに助ける役目です。実際に牛に追いかけられて一目散に柵を乗り越えて間一発で助かったりします。
また、大きな樽がロデオ乗りの競技場にあって、特に暴れ牛のときなどにその樽の中に入って避難します。その樽を牛が突き倒したりもしますが、牛の興奮が収まった頃に中のクラウンは樽から無事に出てきます。
エイサーのチョンダラーの役割みたいなものですね。それもロデオで馬から落ちた人を助けたり、サポートしたりと重要な役割をしています。クラウンも伊達じゃできないですよね。
2007年09月01日 01:57 あんらぎ
○ハラさん
ワイオミングあたりの牧畜業者には北欧からの移民が多いようです。それで、金髪に青い目のすらりと背の高い人が多いような気がします。
カウボーイの服装だとか、ローハイド(皮で作った鞭や馬具、ズボン当てなどのことらしいです)などのカウボーイ用具などももともとはスペインあたりから来たものが多かったみたいですね。
ワイオミングでは牛が主に牧畜されてましたが、その他羊やヤギもいました。特に羊の放牧はスペインのバスク地方の出身者が多いそうです。現在でも季節労働としてバスク地方からやってきて従事している人たちもいると聞きました。
西部と言えば幌馬車ですが、これなども元々はヨーロッパから伝わった物でジプシーの馬車だったり、バスク地方で使われていたヤギの放牧用のワゴンだったりします。特にバスクのワゴンは現代のキャンピングカーの元祖のような気がします。
博物館で見ましたが、幌をかぶせた馬車の内部は入り口にストーブが据え付けられて、台所用具も棚や引き出しに収まるようになっていました。テーブルも引き出して、足をインスタントに取り付けてできあがり、またベッドは馬車の一番前にあり、ベッドの下は引き出しになっていてこれも機能的に優れてました。
外にも場所の両脇には水樽が据えられていて、薪を置く所や他の工具などをしまう場所なども付いてました。それに乗って、生活しながら羊を放牧していたようです。
○ハラさんの書いているように牧畜業は24時間、一日たりとも家畜に餌を怠る訳にはいかないですから、一日のうちで休める時間はかなりあるかも知れないけれど、遠出の旅行とかはできないので世間知らずになる傾向は確かにあったみたいですね。そのせいで、頑固で保守的な風土になるのも多少は仕方ないところもあるような気がしました。
馬の餌になる干し草をホースのも仕事だし、なかなか大変な業種だと思いました。
2007年09月01日 03:28 ○ハラ
あんらぎさん、 やはり幌馬車には色々工夫がしてあるんですね。 生活の知恵、人間生きている内に身体と共に頭を使わないといけないという良い見本ですね。
スティーヴ・マックイーンが映画で演じた実在の人物、トム・ホーンが縛り首になったのも、羊飼いの少年を撃ったという罪ですが、この裏には牛飼いと羊飼いの争いがそもそもあったと言われてる、と言うのを本で読みました。 後からやって来て羊を飼う羊飼いに、恐れか見下しかは知りませんが、牛飼いの牧場主が好意を持っていなかった事から、端を発した水や草の取り合いだったのでしょうか。
モンゴルは日本の四倍の広さで、人口は二百万人ですが、これも牧畜をしているから土地が広すぎて困ると言うのでは無いようです。 馬(牛、羊、山羊、駱駝)がある程度の範囲の草を食べたら又次の草が生えているところへ移動しなければならず、それを一年に何回も繰り返すので、見た目は広くても必要な土地の広さのようです。 日本で農業を止めて牧畜を始めるとしたら、とてつも無い広さの土地が居ると思います。 牧畜は、アメリカとか、モンゴルとか、ステップ地帯で人が少なく土地が広いからこそ出来る商売ですね。
2007年09月01日 08:26 あんらぎ
○ハラさん 馬車にもその用途によって色々あったみたいですね。幌馬車の車体がボートのようになっていて川を渡るのに便利だったとか、車輪に歯車をつけてその回転数で距離がわかるとかの工夫をしていたのもあったようですね。
牧畜は確かに季節や雨季とかの条件によって牛を移動させて成長させたり、あるいはローハイドのようにテキサスから貨物列車のあるドッジシティまで運んでそこからシカゴまでは貨物列車で輸送するとかいろいろあって、その通り道の牧場主とかとのいさかいなどもきっとあったのではないかと思います。
映画「シェーン」も牧場主と開拓移民の間での土地争いが発端になった実際にあったいざこざをもとに書かれた小説が原典らしいです。ジレットの地方新聞に昔のきょう、という歴史コーナーがあり、バッファローという土地で起こった牧場側のガンマンと農場との争いに18才で参加した男が1963年に亡くなったという記事がありました。彼は生涯その事件については語らなかったそうです。
土地も広いだけでは砂漠だとか岩山、荒野だらけではほんとうに役に立たないものですね。地下に資源があるのは別にしても・・ ワイオミングは乾燥地帯なので草の成長が遅く、一頭の牛を飼うのに何エーカーとか必要だとか、他の雨の降る州ではその何分の一の土地で充分だとかありました。
ワイオミングでは仔牛をある程度育てたら、土地の肥えた州の牧場に売っていたりしていたようです。
あと、ワイオミングでも牧草を育てる場所は肥沃な土地に大規模のパイプに車輪の付いたものが水を撒いてました。そうして成長した牧草(アルファルファなども含む)を時期が来ると大型のブルドーザーくらいの大きなトラクターで刈ったのを巻き上げて一定の大きさの草の束にします。それが、牧草地のあちこちにポツンと横たわっていて、トラックで運ばれて出荷されます。草の少ない牧場ではそれを購入して家畜の餌にします。あと、ワインのコルクみたいな餌はビタミンだとかカルシウムだとかが含まれていてそれと並行して牛に食べさせていました。
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