フロリダの野生の黒熊
Florida's amazing Black Bear
というフロリダの野生の黒熊に関するレクチャーに行ってきた。講師はMike Orlandoさんという男性でFlorida Fish and Wildlife Conservation Communicationに所属する生物学者でもある。
箇条書きにしたメモを頼りに簡単に熊の生態について書く。
フロリダにいる熊は黒熊の1種類だけでグリズリーのような凶暴性はないそうだ。オスで50〜230スクエアーマイルの広さの縄張り、メスで10〜25マイルスクエアーの縄張りを持つという。
その範囲で食物を求めたり、寝場所、メイティングを行っている。熊の食べる物は80%が果物や木の実などの植物、4%がフクロネズミなどの小動物、16%がハチなどの昆虫だそうである。
繁殖期は6月から7月、妊娠期間は7ヶ月、1月から2月に初めにかけて10〜15オウンスの子を1〜5頭(標準は2〜3頭)生む。
仔熊は母親と一緒に1年半から2年ほど生活を共にした後に自立、新たに自分の縄張りを求めて離れていく。そうしないとオス熊に食べられることもあるとか。
大きさはこれまでの最大ので760ポンドのオスが見つかっているが、だいたいオスで250〜450ポンド、メスで125〜250ポンド(最大で383ポンド)だそうだ。
普段は一日に5000カロリーほどを必要とするが秋口には20,000カロリーの食事をする。
熊は優秀な犬の7倍もの嗅覚を持っていて、10マイル先の匂いがわかるそうだ。集中して匂いを嗅ぎ分けることもできるとか。
フロリダの黒熊は滅多に人を襲うことはない。熊は時速30マイルで走れるので、後ろを向いて逃げ出さない方がいい。両手を上に上げて振りながら大きな声を出すと向こうから逃げていく。
自然愛好者として黒熊の生息地帯で注意すべきことは
・いつもグループで行動する。
・子供やペットも一緒のときは抱き上げる。
・落ち着いて走り出さない
・襲われたら目や鼻を殴りつけて反撃する(死んだふりはしないこと)
・熊撃退スプレーを携行、使い方を熟知しておくこと
・熊注意の警告板などに注意を払う
もし、熊が襲ってきたら
・熊が自分の防御上襲ってきた場合
=地面に立つ =ゆっくり動く =手を上げる =Hey Bearと叫ぶ
・もし獲物として襲ってきたら
=攻撃的であるジェスチャーを見せる =叫ぶ =腕を振る =反撃する
攻撃的は熊の状態(興奮状態)
耳を後ろにピンと立てる、あごを震わせる、地面を蹴る、突撃の様子を見せる
なお、熊が後ろ足で立ち上がるのは視界を広げる好奇心からだそうだ。
僕も一度だけ、自然公園の中で野生の熊を見かけたが、こちらに気づくと熊の方が慌てて走って逃げていったことがあった。
・
バジル・ホール
メモや備忘録として使っているノートをパラパラとめくっていたら5年ほど前に読んだイギリスの探検船の船長、バジル・ホールの書いた「Voyage to Loo-Choo,and the other places in the Eastern Seas」という本の1ページほどのメモが出てきた。
タイトルに「琉球への旅と東アジア海のその他の土地たち」とあるように、1816年、最初に中国を訪れ、朝鮮半島を経由して琉球にやってきた航海日誌である。
翌年にはイギリスへ戻る際にセント・ヘレナ島に流されていたナポレオンと謁見して琉球を武器のない国と紹介、ナポレオンをして「そんな国があるとは信じられない」と言わしめたというエピソードが有名である。(もちろん、琉球にも武器はあったし、貨幣もあった。なるべく穏便に帰って行って欲しいということからの親切であったが)
バジル・ホールはその他にも貨幣がないとか、琉球をユートピア的に誇張して書いてあり、こそばゆい気がするがその前に寄った中国では野菜を積んだ荷車にお金を払い、船に届けるように伝えると、はたしてその荷車はトンズラしたり、朝鮮半島ではその官僚的な扱いに苛立ちを隠さなかったことなどが描かれている。
その後に着いた琉球では食料補給もお金を受け取らず、やってきた外交団の面々もそれぞれ個性豊かな人情味のある役人たちで好感を抱いている。
島に上陸した際に子供たちがトンボ返りをして遊んでいるのを見かけ、もう一度見たいからやってくれとお願いすると、子どもたちは恥ずかしがってやらない。随行している役人の一人に何かをあげるから見せてくれるように頼むと、「この子達は自分の楽しみとしてトンボを切って遊んでいたのであって、無理強いはいけない」と言われて、その大人の子どもに対する扱い一つを見て、文明的、教育的な教えを垣間見たなどと感心している。
あるときは、子供が駆け出して来て通りすがりに「Good afternoon,Thank you,Good by」と声を掛けて逃げていったことがあったそうである。通訳として船に出かける役員の子供だったのかも知れない。
藁葺の粗末な農家に立ち寄ったら老人がいて、お茶をたてて勧めてくれたとか、ある夜小舟(サバニ)が船に寄ってきて、捕れた魚をプレゼントされてお金を渡そうとしたら断られて、小舟はゆっくりとだいぶ遠くまで歌を歌いながら船を離れて行ったというエピソードも書かれている。
琉球側の使節として船を訪れ交流するのはMaddera(真栄平?)、Okuma(奥間?)Jeeroo(ジルー)なんてのがいる。
いずれも人懐こく、沖縄の黄金言葉「イチャリバチョーデー(出逢えばきょうだい)を遺憾なく発揮している。(笑)
酒好きでキセルを使った酒を飲むゲームをしては冗談を言い、笑っている。歌を歌いながらテーブルの周りで踊りだす。その踊る描写に手を上げ首を左右の方に付けるように振り、足で拍子を取りコーラスするとある。これはいかにもカチャーシーを踊っているのではなかろうか。
また乗組員が輪になってダンスをしているところを一人追い出して自分が輪に入り、上手にステップを踏んで踊りだしその上手さに驚いている。
船は多分2〜3週間の間しか停泊してなかったと思うが、琉球側、イギリス側の言語能力の高さに驚かされる。
中国をを話せる通訳が船にはいたようだが、Jeeroo(ジルー)と船長との間で交わされたウチナー口も記録されている。
船長「Ya weetee?君は酔ったのかい?」
ジルー「Weetee nang(酔ってない)
船が沖縄を離れる際に船長は頭脳明晰な28歳という若者、真栄平に対してイギリスに行って教育を受けてみないかと提案している。
その時に真栄平が英語で返した返事には胸を打たれるものがある。
「No,no,me no go. me father cry,me mother cry, me children cry,me no go.」さらに続けて「Tomorrow ship go sea-I go my father house two days distant.-When I see my father I show him your present,and I tell him, Henry Hoppner all same as my brother,: and burst into tears.とある。
さらに泣きながら「Eedooshee, Eeedooshee(いい友達、いい友達)」
Ingrey noo choo sibitty yootusha(イギリスの人はすべていい人だ)
と答えている。
妙な話
先日の図書館の無料英会話クラスのレッスンでHudini(フーディーニ)という20世紀初頭に活躍したハンガリー生まれの魔術師の伝記概略を読むのがあった。
プリントを読み、語彙をチェック、質問の後でベネズエラ出身の70代と思われる女性がラスベガスで観たカパーフィールドの魔術ショーの話をしてくれた。
檻の中のホワイトライオンが消えるマジックとかの話だったがそのついでにという感じで自分が体験したという不思議な事を話したのだった。
何年か前に彼女の母親が危篤だということでベネズエラに戻り、母親の入院先に見舞いに行ったのだそうだ。
母親が言うには若い時に亡くなった自分の夫が枕元にやってきていろいろと話をしたのだそうだ。
そんな訳はないと思いながら、その女性が看護婦に誰か面会に来ていた人でもいましたかと聞くと、どなたか若い男性が彼女の枕元に立っていて話をしているようでしたという返事があったという。
若くして亡くなった夫が昔の若いときのままの姿で妻の臨終の際に迎えにきていたのだろうかと彼女は訝っていた。
母親の夫、つまり自分の父親は彼女が5歳の頃に亡くなっていてその葬式にはお墓の前に彼女と同い年か少し年上の二人の子供がお墓に向かって歩いてきたのだそうで、どうやらその子供たちは隠し子だったなどというおまけ話までしてくれた。
その彼女の話に続けて、今度はエクアドル出身のやはり70代前後の女性が自分の母親の亡くなる前の様子を話してくれた。
彼女の両親はイタリアから移民してきたそうで、普段はスペイン語を家族間で喋っていたが、亡くなる前には独り言のようにイタリア語で誰かと会話をするように喋っていたらしい。どうかしたかと聞くと、イタリアから彼女の母親や姉妹が訪ねてきているのでイタリア語で話しているのだと答えたそうである。姉妹はとにかく母親はとうに亡くなっていたそうだが。
先にあげた女性の話の中ではベッドの枕元に若い男性が立って母親と会話しているのを目撃した看護婦さんがいるということが気になるが、いずれも意識が朦朧とした中での幻影、幻聴ではなかろうか。
僕も何か話す番になった。
日本の恐山にはいたこという霊媒師がいて、遺族に霊媒師の口を借りて言い残したことなどを伝える女性たちがいる。
随分大昔のTV番組で観たその様子を話した。
「よく来てくれた。遠いところを大変だったろう」などと遺族の妻に声を低く、男性のモノマネで語りかけるように話す。
「皆は元気か? そうかそうか良かった。お前も健康には気をつけて暮らしてくれ」
などと優しい声を掛ける。それを聞いた妻も涙ぐみながらあの世でも達者にしているようで安心したなどと答えている。
つまり、当たり障りのない会話というか応答をして遺族の気持ちをなだめるというか、安心させるという効能はあるのである。
つい、余計なことまで言ってしまった。
憑依から戻った霊媒師は客である遺族に言うのである。「お値段はいくらになります」
無題(5)Yahooブログより転記
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コメント(2)
2008/6/26(木) 午前 2:16返信する
2008/8/3(日) 午後 4:27[ nas*a20*0* ]返信する
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コメント(1)
新年の檄を飛ばしました。
【飛檄】 箱根・「山の神猛走」 全国山の神(奥様)も政治を猛追せよ!!!
2009/1/3(土) 午後 3:00[ nas*a20*0* ]返信する