フロリダの野生の黒熊

Florida's amazing Black Bear

というフロリダの野生の黒熊に関するレクチャーに行ってきた。講師はMike Orlandoさんという男性でFlorida Fish and Wildlife Conservation Communicationに所属する生物学者でもある。

 

箇条書きにしたメモを頼りに簡単に熊の生態について書く。

 

フロリダにいる熊は黒熊の1種類だけでグリズリーのような凶暴性はないそうだ。オスで50〜230スクエアーマイルの広さの縄張り、メスで10〜25マイルスクエアーの縄張りを持つという。

 

その範囲で食物を求めたり、寝場所、メイティングを行っている。熊の食べる物は80%が果物や木の実などの植物、4%がフクロネズミなどの小動物、16%がハチなどの昆虫だそうである。

 

繁殖期は6月から7月、妊娠期間は7ヶ月、1月から2月に初めにかけて10〜15オウンスの子を1〜5頭(標準は2〜3頭)生む。

 

仔熊は母親と一緒に1年半から2年ほど生活を共にした後に自立、新たに自分の縄張りを求めて離れていく。そうしないとオス熊に食べられることもあるとか。

 

大きさはこれまでの最大ので760ポンドのオスが見つかっているが、だいたいオスで250〜450ポンド、メスで125〜250ポンド(最大で383ポンド)だそうだ。

 

普段は一日に5000カロリーほどを必要とするが秋口には20,000カロリーの食事をする。

 

熊は優秀な犬の7倍もの嗅覚を持っていて、10マイル先の匂いがわかるそうだ。集中して匂いを嗅ぎ分けることもできるとか。

 

フロリダの黒熊は滅多に人を襲うことはない。熊は時速30マイルで走れるので、後ろを向いて逃げ出さない方がいい。両手を上に上げて振りながら大きな声を出すと向こうから逃げていく。

 

自然愛好者として黒熊の生息地帯で注意すべきことは

・いつもグループで行動する。

・子供やペットも一緒のときは抱き上げる。

・落ち着いて走り出さない

・襲われたら目や鼻を殴りつけて反撃する(死んだふりはしないこと)

・熊撃退スプレーを携行、使い方を熟知しておくこと

・熊注意の警告板などに注意を払う

 

もし、熊が襲ってきたら

・熊が自分の防御上襲ってきた場合

=地面に立つ =ゆっくり動く =手を上げる =Hey Bearと叫ぶ

・もし獲物として襲ってきたら

=攻撃的であるジェスチャーを見せる =叫ぶ =腕を振る =反撃する

 

攻撃的は熊の状態(興奮状態)

耳を後ろにピンと立てる、あごを震わせる、地面を蹴る、突撃の様子を見せる

なお、熊が後ろ足で立ち上がるのは視界を広げる好奇心からだそうだ。

 

僕も一度だけ、自然公園の中で野生の熊を見かけたが、こちらに気づくと熊の方が慌てて走って逃げていったことがあった。

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交通事故にあった熊の剥製

バジル・ホール

メモや備忘録として使っているノートをパラパラとめくっていたら5年ほど前に読んだイギリスの探検船の船長、バジル・ホールの書いた「Voyage to Loo-Choo,and the other places in the Eastern Seas」という本の1ページほどのメモが出てきた。

 

タイトルに「琉球への旅と東アジア海のその他の土地たち」とあるように、1816年、最初に中国を訪れ、朝鮮半島を経由して琉球にやってきた航海日誌である。

 

 

翌年にはイギリスへ戻る際にセント・ヘレナ島に流されていたナポレオンと謁見して琉球を武器のない国と紹介、ナポレオンをして「そんな国があるとは信じられない」と言わしめたというエピソードが有名である。(もちろん、琉球にも武器はあったし、貨幣もあった。なるべく穏便に帰って行って欲しいということからの親切であったが)

 

バジル・ホールはその他にも貨幣がないとか、琉球をユートピア的に誇張して書いてあり、こそばゆい気がするがその前に寄った中国では野菜を積んだ荷車にお金を払い、船に届けるように伝えると、はたしてその荷車はトンズラしたり、朝鮮半島ではその官僚的な扱いに苛立ちを隠さなかったことなどが描かれている。

 

その後に着いた琉球では食料補給もお金を受け取らず、やってきた外交団の面々もそれぞれ個性豊かな人情味のある役人たちで好感を抱いている。

 

島に上陸した際に子供たちがトンボ返りをして遊んでいるのを見かけ、もう一度見たいからやってくれとお願いすると、子どもたちは恥ずかしがってやらない。随行している役人の一人に何かをあげるから見せてくれるように頼むと、「この子達は自分の楽しみとしてトンボを切って遊んでいたのであって、無理強いはいけない」と言われて、その大人の子どもに対する扱い一つを見て、文明的、教育的な教えを垣間見たなどと感心している。

 

あるときは、子供が駆け出して来て通りすがりに「Good afternoon,Thank you,Good by」と声を掛けて逃げていったことがあったそうである。通訳として船に出かける役員の子供だったのかも知れない。

 

藁葺の粗末な農家に立ち寄ったら老人がいて、お茶をたてて勧めてくれたとか、ある夜小舟(サバニ)が船に寄ってきて、捕れた魚をプレゼントされてお金を渡そうとしたら断られて、小舟はゆっくりとだいぶ遠くまで歌を歌いながら船を離れて行ったというエピソードも書かれている。

 

琉球側の使節として船を訪れ交流するのはMaddera(真栄平?)、Okuma(奥間?)Jeeroo(ジルー)なんてのがいる。

 

いずれも人懐こく、沖縄の黄金言葉「イチャリバチョーデー(出逢えばきょうだい)を遺憾なく発揮している。(笑)

 

酒好きでキセルを使った酒を飲むゲームをしては冗談を言い、笑っている。歌を歌いながらテーブルの周りで踊りだす。その踊る描写に手を上げ首を左右の方に付けるように振り、足で拍子を取りコーラスするとある。これはいかにもカチャーシーを踊っているのではなかろうか。

 

また乗組員が輪になってダンスをしているところを一人追い出して自分が輪に入り、上手にステップを踏んで踊りだしその上手さに驚いている。

 

船は多分2〜3週間の間しか停泊してなかったと思うが、琉球側、イギリス側の言語能力の高さに驚かされる。

 

中国をを話せる通訳が船にはいたようだが、Jeeroo(ジルー)と船長との間で交わされたウチナー口も記録されている。

 

船長「Ya weetee?君は酔ったのかい?」

ジルー「Weetee nang(酔ってない)

 

船が沖縄を離れる際に船長は頭脳明晰な28歳という若者、真栄平に対してイギリスに行って教育を受けてみないかと提案している。

 

その時に真栄平が英語で返した返事には胸を打たれるものがある。

 

「No,no,me no go. me father cry,me mother cry, me children cry,me no go.」さらに続けて「Tomorrow ship go sea-I go my father house two days distant.-When I see my father I show him your present,and I tell him, Henry Hoppner all same as my brother,: and burst into tears.とある。

 

さらに泣きながら「Eedooshee, Eeedooshee(いい友達、いい友達)」

Ingrey noo choo sibitty yootusha(イギリスの人はすべていい人だ)

 

と答えている。

 

 

妙な話

先日の図書館の無料英会話クラスのレッスンでHudini(フーディーニ)という20世紀初頭に活躍したハンガリー生まれの魔術師の伝記概略を読むのがあった。

 

プリントを読み、語彙をチェック、質問の後でベネズエラ出身の70代と思われる女性がラスベガスで観たカパーフィールドの魔術ショーの話をしてくれた。

 

檻の中のホワイトライオンが消えるマジックとかの話だったがそのついでにという感じで自分が体験したという不思議な事を話したのだった。

 

何年か前に彼女の母親が危篤だということでベネズエラに戻り、母親の入院先に見舞いに行ったのだそうだ。

 

母親が言うには若い時に亡くなった自分の夫が枕元にやってきていろいろと話をしたのだそうだ。

 

そんな訳はないと思いながら、その女性が看護婦に誰か面会に来ていた人でもいましたかと聞くと、どなたか若い男性が彼女の枕元に立っていて話をしているようでしたという返事があったという。

 

若くして亡くなった夫が昔の若いときのままの姿で妻の臨終の際に迎えにきていたのだろうかと彼女は訝っていた。

 

母親の夫、つまり自分の父親は彼女が5歳の頃に亡くなっていてその葬式にはお墓の前に彼女と同い年か少し年上の二人の子供がお墓に向かって歩いてきたのだそうで、どうやらその子供たちは隠し子だったなどというおまけ話までしてくれた。

 

その彼女の話に続けて、今度はエクアドル出身のやはり70代前後の女性が自分の母親の亡くなる前の様子を話してくれた。

 

彼女の両親はイタリアから移民してきたそうで、普段はスペイン語を家族間で喋っていたが、亡くなる前には独り言のようにイタリア語で誰かと会話をするように喋っていたらしい。どうかしたかと聞くと、イタリアから彼女の母親や姉妹が訪ねてきているのでイタリア語で話しているのだと答えたそうである。姉妹はとにかく母親はとうに亡くなっていたそうだが。

 

先にあげた女性の話の中ではベッドの枕元に若い男性が立って母親と会話しているのを目撃した看護婦さんがいるということが気になるが、いずれも意識が朦朧とした中での幻影、幻聴ではなかろうか。

 

僕も何か話す番になった。

 

日本の恐山にはいたこという霊媒師がいて、遺族に霊媒師の口を借りて言い残したことなどを伝える女性たちがいる。

 

随分大昔のTV番組で観たその様子を話した。

 

「よく来てくれた。遠いところを大変だったろう」などと遺族の妻に声を低く、男性のモノマネで語りかけるように話す。

 

「皆は元気か? そうかそうか良かった。お前も健康には気をつけて暮らしてくれ」

 

などと優しい声を掛ける。それを聞いた妻も涙ぐみながらあの世でも達者にしているようで安心したなどと答えている。

 

つまり、当たり障りのない会話というか応答をして遺族の気持ちをなだめるというか、安心させるという効能はあるのである。

 

つい、余計なことまで言ってしまった。

 

憑依から戻った霊媒師は客である遺族に言うのである。「お値段はいくらになります」

 

 

無題(6)Yahooブログより転記

謹賀新年

2009年01月01日

みなさま 

あけましておめでとう ございます。 

みなさまにとって良い年になりますようお祈り申し上げます。 



クリスマスイブ以降、こちらに嫁いだ娘を訪ねて来た姉夫婦と行動を共にしています。  
  
只今、Fort PierceというところのBest Westernホテルに宿泊、きょう(こちらは大晦日の午前中)のイブは姪の義姉のお宅で新年イブパーティがあるということできのうの夕方、姉夫婦をワタクシの住むMascotteから連れて戻ってきました。約350kmの距離でした。 

全米各地が異常天候で大雪に見舞われているようですが、ここフロリダはこのところ25℃から30℃の気温で浜辺では水着で日光浴をしている人たちも見かけました。 

ホテルでもPCの接続が出来るようになって、大変便利になりましたねぇ。ノートパソコンとはいえ、まだまだちょっと荷物としては重いのですが車の移動には苦にならないので持ってきました。 

明日、戻る予定ですのでまた詳しいことは後ほど書きたいと思います。

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ドヤ 2009年01月01日 02:09 うちなーおじさん 
あけましておめでとうございます 
今年もゆたしくうにげーさびら 
(↑使い方大丈夫でしょうか) さちけっと 2009年01月01日 03:13 あけましておめでとうございます 

そんなに暖かいお正月ですか、いいなぁ!こっちはもう寒くって寒くって… 
ご親戚と一緒の楽しい年末年始ですね~!それも羨ましいですね。 

そちらでは何かおせち料理は食べますか? 
今日は年末恒例のすき焼きパーティがあったので、田作りなんて作ってみました♬ 

本年もどうぞよろしくお願いします☆ TORATONTON 2009年01月01日 09:32 あけましておめでとうございます。 

そちらはとても暖かなのですね。 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。 
nana 2009年01月01日 16:03 明けましておめでとうございます! ○ハラ 2009年01月01日 20:17 明けましておめでとう御座います。 

今年もウチナーグチのご指導のほど、よろしくお願いいたします。 

代わりに広島弁、教えてあげますけぇ。 TOKI 2009年01月02日 01:40 明けましておめでとうございます。 

スーパーの出来あい惣菜をつまみながら酒飲んでリラックスした正月を過ごしてます。天気が良いのが何よりです。(世界大恐慌の嵐の前の静けさ?) 

>>ここフロリダはこのところ25℃から30℃の気温で浜辺では 
>>水着で日光浴をしている人たちも見かけました。 

羨ましい光景ですね。 
今年も地球の裏側の「あんらぎアメリカ情報」を楽しみにしています。 あんらぎ 2009年01月02日 09:38 ドヤさん 
あけましておめでとうございます。 
エネルギッシュにいろいろ頑張っているようですね。 

良い年になりますように、今年もよろしく。 
もっこり犬のオキちゃんにもよろしくお伝えください。 あんらぎ 2009年01月02日 09:40 さちけっとさん 
新年早々田作りですか?収穫はいつ頃なのでしょうかぁ。 

すいません、新年そうそうボケをかましてしまいました。 

今年もよろしくお願いします。 あんらぎ 2009年01月02日 09:42 
TORATONTONさん 
あけましておめでとうございます。 
ちょっと冷え込んできて、今晩は22,1℃まで冷え込んでいます(笑) 

本年もよろしくお願いします。 あんらぎ 2009年01月02日 09:43 Nanaさん 
あけましておめでとうございます。 
今年もよろしくお願いしますね。 あんらぎ 2009年01月02日 09:49 ○ハラさん 
いい正月(しょうがち)でーびる。(いい正月ですね) 
りみファンにとっては衝撃のニュースに開けた年でもありますね。 

きっとまた新たな一面を切り開いて行くことになるものと期待しています。 
パーカッションはなんとなくアホがくしゃみをしたような響きの楽器ですが、ガキはたくさん生まれそうな気がします。 

八重山のりみさん一家は多産系のようですので(○ハラさん情報による)素晴らしい声の持ち主を次々と生み出して欲しいですねぇ。 

ことしもよろしくお願いします。 あんらぎ 2009年01月02日 09:52 Tokiさん 
イスラエルのハマス攻撃とか、年末にまたきな臭いニュースが飛び込んできたりと景気の方もまたこれでややこしくなりそうな気配がしますね。 

アメリカ情報というか、まあ今年は少しブログはセーブしようと思いつつそれでも書くことが嫌いではないみたいなので何やかんやまた書いていくのでしょうね。 

本年もよろしくお願いします。

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新年の檄を飛ばしました。
【飛檄】 箱根・「山の神猛走」 全国山の神(奥様)も政治を猛追せよ!!!削除

2009/1/3(土) 午後 3:00nas*a20*0* ]返信する

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2008年11月19日11:06 

写真がうまく撮れてなくてピンボケになってしまいました。でもせっかくなので載せますね。 

やはりルッカ郊外にある今は使われてない石とレンガで作られた水道橋の風景です。たまたまトラクターが走ってきたので写真に撮りました。 

このあたりの農業は野菜やとうもろこしなどがメインだったと記憶しています。家の作りも昔の家は石造りですね。廃屋などを見ていてもまず壁を頑丈に作るようです。ですから、屋根や天井は崩壊していても壁だけはそのまま残るようです。 

基本の素材は石ですから、その壁に沿って天井をつけて床を張ればまたそのまま家が使える状態になるものと思います。 

石で作られた家というのは腐ることがないのでほんとうに丈夫で長持ちするものだと思います。 

イタリア人は普段の生活から古いものを非常に大切にしていて、500~600年も前の家の廃材を上手に利用するようです。 

新しい家を建てても居間にはそういった古い梁などを使ったり、古いドアを改装してわざと使ったりもするようですね。 

解体した家から出た手作りの釘なども大切にしていて、骨董品として売られていたりします。 

僕らがルッカを引き揚げるということで大家さんの農家を改造した別荘に招待されたときに、地下の物置から古い釘の入った箱を持ち出してきて何本でもいいから取りなさいと言われました。 

二本取ったら、もっと取りなさいと言われました。4本取ったらちょっと困った顔をしてもう1本付け加えて「偶数は縁起が悪いから・・」と言われたことがありました。 

棺を担ぐのは4人とか6人とかの偶数人なのでそういう迷信が生まれたのかも知れません。 

ルッカを引き揚げてアメリカに渡ってしばらくして、「大家に貰ったあのアンティークの(500年ほど前の家を解体して出たとか)釘はどこに仕舞ったのかと家内に聞いたら「ああ、あれ、あれは飛行機に乗るときにセキュリティに引っ掛かると思って捨てた」と答えられました。 

荷物にしてチェックすれば関係ないじゃないかと憤っても後の祭りでした。そういうロマンを女性は解せないところがどうもあるような気がします。

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恵美 2008年11月19日 11:46 いえ、いえ。。。 
女性が ロマンを知らないからでは ないと思います。 
日常生活にかかわると、現実的にも ならなくてはなりませんから。。。(本当は、女性が ず~~~っと繊細で、ロマンを 
求めるのですよ。。。) 

実際、テロの後、空港では、鉄製品や ガソリン的なもの、 
化粧品まで、チェックされて、大変でしたよ! 

昔の家屋や 家具には、魅力を覚えます! 
骨董品は 高いから、手が出ませんが。。。 風人 2008年11月19日 13:54 ”ロマン”ですよねぇ!!! 

よくわかりますヨ~ 

現実的な女性より、 
男性の方が、意外とロマンティストですよねぇ!!! 

同感です・・・・ 

クラウン ジョージ 2008年11月19日 20:35 男のロマンですよ、釘も、 

その気持ち分ります。 
セキュリティーね、、、。デモね、、、。 Nao san 2008年11月20日 03:11 ストーリーのある物を集めるのが私も好きです。 
古い鍵を集める方もいますね。私はティー・カップです。 

ルッカヘはいつか行きたいと思います。 
ピサからフィレンツェへの列車は乗ったことがあります。 

小さな村々を訪ねる予定でしたがフィレンツェの素晴らしさに感動して1週間滞在することになりました。 
あんらぎ 2008年11月20日 03:17 恵美さん 
僕も古いものは古いだけで年月という価値がついていると感じる方です。コレクションは出来ませんが、骨董屋あたりで眺めるだけでも充分満足する方です。 

あの、釘もせっかく貰ったものを何事も相談せずに捨てるというのはいけませんねぇ。トランクの中に入れてカウンターに預けてチッキにすれば大丈夫なんですがね。普通の釘じゃなくて、歴史の重みをロマンを感じさせる釘なんですよぉ~。 あんらぎ 2008年11月20日 03:21 風人さん 
ねえ、わかりますよね。 
捨てたと聞いたときの喪失感は大きかったです。 

捨てないまでも、人にあげればよかったじゃないかと思います。 

確かに流浪の民といった風情で住所不定、挙動不審の生活をしてましたから、できるだけ荷物を増やさないようにしていたのは確かですが・・ 

まあ何と言ってもぬかに釘で、やはりロマンの定義が少し女性とは違うような気がしますね。 あんらぎ 2008年11月20日 03:25 クラウン ジョージさん 
捨てたと聞いて、頭の中がクラクラウンしてしまいました。 

500年ほど前の釘というのは黒光りしていて5本ほどありましたが、いづれも鍛冶屋が1本ずつ手作りをしたというのがすぐわかりました。 

不揃いの大きさで先端は尖ってますが、釘自体は4角形でした。しかもすーっとまっすぐになっている訳ではなく釘の太さも少しずつ変形している感じで重厚感がありました。 

歴史の重みというものをそうあっけなく捨てることが出来るというのは信じられないですよね。 ○ハラ 2008年11月20日 03:52 あんらぎさん、 
私も貰うなら古い釘よりハンマーか何か現実的なモノが良いです。 
古いモノを飾るという趣味が無いので。 

でも、それがジュリアス・シーザーやローマ皇帝が踏み抜いた釘とか言う由緒があるのなら違います。 

たくさんの釘なら溶かして鐘に作り替えます、でもすぐには鳴らないでしょうね。 
ローマは一日にして鳴らず、あ、これはルッカでしたね、そっか… あんらぎ 2008年11月20日 03:58 Nao san 
まあ古釘なんて貰っても飾るわけでもないし、どうしようか持て余したのでしょうね。 

ただ飾らないまでも貝殻やなんかと一緒で時に手にして歴史の重みやその作った人の時代に思いをはせるきっかけにはなるものだったと思いますね。 

それにほんとに古い釘ですから、日本に持ち帰って牛の刻参りセットとして売りつければ、通常の5寸釘なんかよりは効能もあったのではないかと思いますね。 

釘だけにほんと参るネイル。 あんらぎ 2008年11月20日 04:03 ○ハラさん 
釘を飾る趣味は僕もないですが、やはり何かストーリーを語ってくれそうなものにはちょっと興味がありますね。 

ほんとにシーザーが踏み抜いた釘だとか、講釈をつけて自分なりに歴史を捏造する小道具にもなりそうですしね。 

ローマ皇帝に買うてーと頼まれて買った釘だとか説明文もでっちあげれば楽しかったかも知れません。

  

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2008年11月16日09:50 

窓やドアというのはそれだけでそこから何か物語りが生まれてくるような気がします。 

家の中と外の世界との接点になる重要な部分でもありますね。 

ヨーロッパの映画では窓の下に立って、ギターを弾きながら求愛ソングを歌うシーンとかもおなじみですね。そういう窓辺にはやはり若くてきれいな女性が似つかわしいものです。でもルッカの古い建物の2階や3階あたりに住んでいる方は、どことなく老齢の方が多かったような気がします。 

1000年前から15,16世紀までの建物で構成されたのがルッカの城壁内の町並みで、若い人たちは城壁の外にある比較的新しい建物やアパートに住んでいるのでしょう。 

窓辺からロープの下がっているのを見たことがあります。そのロープの先にカゴを吊るして買い物した品を詰めて上の階から引き揚げたり、ゴミ袋を吊るして階下に下ろしたりしているお宅がありました。 

なにか見つめられているような気配にふと上を見上げると老婆がなにげなく外を見やっている光景に出くわしたこともあります。 

古い建物にはエレベーターなどついてませんから、お年寄りには登り降りはきついものがありそうです。 

さてこの絵の窓からは美しい若い女性が顔を出すのでしょうか? 
はたまた・・ 

皆さんの想像力にお任せします。 
どういうストーリーが生まれたでしょうか?

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○ハラ 2008年11月16日 12:32 あんらぎさん、 
私はなぜか「イタリア」と言う事を思いつき、それと「窓」と言う事から、太めの三十歳代のオバサンが二階から学校へ行く娘息子を見下ろしながら怒鳴っている光景が思い浮かびます。 

「アントニオ! 
何をしてるの、早く行きなさい! 
マリオと、もう喧嘩しちゃダメよ! 
まったく泣かされてばかりでしょ! 
喧嘩するんなら付き合うなと言ってるのにどうして付き合うの! 
ちょっとは頭を使いなさいよ!」 
「ルーチア! いつまでそこでグズグズしてるの! 
髪なんてちょっと直しときゃ良いのよ! 
あんたはママに似て綺麗なんだから、ちょっとぐらいどうだって関係無いわ! 
さあ、早く行かないと! 
遅れるわよ!」 あんらぎ 2008年11月16日 12:55 ○ハラさん 
まさに上記の光景は日常朝飯前のお茶でしたね。(日常茶飯事と言うんでしたっけね?) 

特に僕らが最初に入居したアパートの寝室の隣の家(同じ建物内なのにコの字型で入り口が違い見たことはなかったけれど)のおかみさんが毎朝子供をしかりつけるのに怒鳴っていましたね。 

多分、○ハラさんの想像したようなことで子供を叱り付けていたのかも知れません。 

窓の植木ということで、植木等が飛び出してきて「えっ?お呼びでない、お呼びでない。こりゃまた失礼いたしやしたぁ」なんて部屋に戻っていくとか・・あり得ないですな。

  

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イタリアのルッカに住んでいた時に、一時期(二週間ほど)水彩画を描いたことがあった。 

なぜ、二週間だけなのかというとスケッチブックの画用紙が切れたせいで、熱も去っていったのだった。 

水彩画というより、塗り絵みたいなものだけれど外付けメモリーのフリーエージェントGoのおかげで写真の整理が簡単になりその絵をデジカメに撮影したものも出てきたのだった。 

この絵の教会はもうすでに教会としての役割は終えて建物だけになっているのだけれど、地下には古代ローマ時代の町の遺跡が埋まっていて博物館になっている。 

右手の道を奥に行くとすぐに広場があり、その奥にはルッカの聖堂が建っている。月に一度、骨董市が開かれる際にはこの通りや広場にテントを張って業者の方がたくさん集まって賑やかになる。 

教会の名前は忘れてしまった。

  

チルダイ

どうもボストンに行って戻ってきたらチルダイしているのか、日本語ニュースを読む気力もないまま1週間以上も経ってしまった。 

さすがにきょうはニュースをざらっと読んだが、なんだかねーワタクシがニュースを読もうが読まなかろうが世間はワタクシとは関係なく勝手に動いているもんですねぇ。いっそのことこの空白期間を伸ばしてニュースなんか読まない生活をしてみようかなという気にもなったんですがね。 

ニッポンではジエータイの田んぼの母神様がアパとかいうアッパパな建設会社の懸賞論文で賞金300万円を手にして、国民も俺にも寄越せとと怒り出したら、アそうとばかり総理大臣がお大尽気取りで気前良くすべての人に1万2千円が支給されるとかで騒いでますね。 

何百億円と稼いだ小室哲哉が早稲田大学に寄付した10億円のうち5億円を返せと脅迫して捕まったり(早稲田も困っているのだから返したっていいじゃないかぁ)と贅沢三昧のつけと女性の生霊にでも祟られたのではなかろうかという事件もありましたね。つくづくワタクシ貧乏で良かったと思ってしまいました。 

フランク永井さんが有楽町で逢いましょうという約束を果たせず旅立っていったなんて淋しいニュースもありました。 

やっぱ、ボストンで都会の毒気にでも当てられたのかなぁ。チルダイしてしまいました。ああ、チルダイというのは沖縄の言葉で青いさんご礁の合間に隠れて泳いでいてなかなかチル、いや釣ることのできない鯛・・という意味ではありませんよ。どことなく疲れているとか、ボッーとしていて力が入らない状態のことを言うんですね。 

チルダイが長く続くとこれはマブイ(魂)を落としたのではないかということでマブイグミ(魂込め)の儀式をしなければなりません。 

マブイを落とさないまでも、ご先祖様へ祈りをしてないとこういうチルダイ状態になることがありますね。これはウガンブスクと言います。そういうときは仏壇に向かってウートートー、アートートーとお祈りをしなければなりません。 

4年も帰ってないからかなぁ。

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恵美 2008年11月13日 12:35 あんらぎさん。 
だから。。。 
私は、ニュース見なくなりました。 
>つくづくワタクシ貧乏で良かったと思ってしまいました。 
全く、同感です! 

しかし、あんらぎさん。 
チルダイって、長引くと、鬱になるのでは??! 

仏壇じゃなく、 
教会で、まこころで、礼拝すれば、まことの神様が、 
願いを 聞いてくださるのに。。。! 

4年も、沖縄に来れなかったのですか?! 
あんらぎさんが、沖縄に戻られたら、私も、沖縄の旅を 
したいです! 
ダイ(鯛)にも、いろいろ、種類がありますね! 
私が、釣ってた事ある魚は、 
アイナメ、メバル、イワシ、イカ、など・・・川魚も・・・ 
鯛、釣ってみたいです。。。沖縄みたいに、奇麗な海で、 
のんびりと! 風人 2008年11月13日 15:16 チルダイ状態なのは風人もです・・・ 

奄美群島の船旅から東京に帰ってきて、 
チルダイしています・・・ 


私もマブイグミが必要かもと・・・ 
思う今日この頃です・・・ 



あいさいおじさん 2008年11月13日 22:41 あんらぎさん 

“散る大”、“ちるだい”を変換したらこんな風に出ました。おなかの調子が悪いんですかね。 

日本国民は今や全てチルダイ状態です。恩着せがましくばらまかれる筈の低額旧布巾、じゃない、定額給付金のお粗末。冗談じゃねぇや、そんなのいらねぇや、と啖呵を切りたい気分ですが、いただいた上で啖呵は切らしていただきます。 

頻繁→はんざつ、踏襲→ふしゅう、有無→ゆうむ、詳細→ようさい、と読む我が総理大臣。麻生首相をもって“KY”というそうですが、阿倍ちゃんと違ってこれは“漢字読めない”だそうです。空気読めない、漢字読めない”、もひとつおまけに“価格読めない”(カップヌードルの小売価格は400円ぐらい、とのたもうた) 

チルダイ、いいですね、眠るような、まどろむような漢字、じゃない、感じ。1億2千万人のKY、“この先を読まない”。 







あんらぎ 2008年11月14日 10:02 恵美さん 
確かに嫌なニュースが世間にはあふれかえってますね。 
キリスト教の中には聖書以外は読んではいけないという教えの宗派もあるようですが、それは極端な例ですがほんとうに嫌なニュースにはあまり接したくない気分になったりします。 

僕はあまり宗教的な人間ではないので、踏み絵かなにかもすぐに踏んじゃう方じゃないかと思うのですが、現実世界と心の世界とのバランスをどう保つかということには興味がありますね。 

まあ、キリストが磔になったゴタゴタの丘、いやゴルゴタの丘に作られた教会でギリシャ正教とどこかと宗派のモンクが文句を言い合い、殴り合っているニュースもありましたね。 

宗教はどんな宗教であれ暴力はいけませんね。 


僕は沖縄の古代宗教、プリミティブな原始宗教ですがそれにウートートーするくらいでいいかと思っています。神の存在はどこか心の深いところで信じたいようなところがあるので、まずは亡くなった両親やら先祖に手を合わせて、代理でまたその祈りを伝えていただければと思います。 あんらぎ 2008年11月14日 10:08 風人さん 
沖縄、奄美の旅から戻ったばかりで、またそこではいろいろ大変な体験、見聞をなされたようなのでチルダイしているのもわかる気がします。 

マブイグミ(魂込め)の儀式は現場が一番いいのですが、まあ簡略に地面に手をつけそれを胸にあて、何回か繰り返しながら「マブヤー、マグヤー、ウーティクーヨーヤー」と唱えればOKです。 

ススキの葉の先を折り重ねて縛ってこぶを作ったゲーンというものや、泡盛、おコメ、お酒の入ったウガン(お祈り)三点セットの入った木箱があるともっと格調高くなりますが、簡略化されたものでも気持ちが大分落ち着きマブイが戻ってくるかと思われます。 

お試しあれ。 あんらぎ 2008年11月14日 10:24 あいさいおじさん 
>頻繁→はんざつ、踏襲→ふしゅう、有無→ゆうむ、詳細→ようさい、と読む我が総理大臣。 

漢字が読めない元首を責める事はできないワタクシですが、上の漢字はとりあえず読めました。漢字だけでなく政局も読めないとアソウタロウではなくアホウダロウと言われるのがオチですね。 

ワタクシなんか、もう漢字は薔薇とか特許許可局とかすらすら書けます。まあ漢字変換ですから読みができないと困りますね。書けなくとも読むことはできないとこれからのタイプ漢字変換時代には不利ですよね。 


親「漫画やアニメばかり見ていると総理大臣みたいになっちますぞー」 
なんて説教が聞こえてきそうですね。 

TA(Tarou Asoとっても浅はか}のイニシャルにもなりますね。どことなくブッシュに似ているような気がします。ブッシュはNucleus(核)ニュークリアをニュークラーと発音して笑われてました。 

一族が政治家、大金持ちと経歴まで似てますね。 


>恩着せがましくば定額給付金 

これもアメリカでふた月ほど前にありましたね。一人600ドルでしたよ。日本の給付金の5倍はありますね。これも景気対策だと言われてましたが、結局は人気下降(急落)のブッシュの税金を使った大盤振る舞いと共和党の選挙対策の面があったようです。 

でもその直後に金融危機で保険会社や金融会社の民間会社に公的資金投入をしましたので、あるいはその批判をかわす目くらましの先手だったかも知れないですね。 
あんらぎ 2008年11月14日 11:02 風人さん 
訂正です。 
<泡盛、おコメ、お酒の入ったウガン(お祈り)三点セット 
泡盛、お米、線香(黒い平線香)です。 

また「マブヤー、マグヤー、ウーティクーヨーヤー」とは 
「魂さん魂さん、後から付いてきてください」という意味ですね。 バックアイ 2008年11月14日 12:28 ちるだい・・・・・ すきな方言言葉のひとつです。 
なんくるないさ的な、深く追求しない、かといって 
人格を無視することも絶対にない範囲で 
ぼ~~~~~っとさせてくれる環境に感謝です。 

ちるだいして休むべきときに、休まずにゴーゴーゴー!と頑張ると 
トゥスイになって出てきますからね、うまく充電期間を 
楽しんでください。 ○ハラ 2008年11月14日 13:46 あんらぎさん、 
チルダイとは何語? と思ってしまいました。 

ハムはマルダイ、chilled eye だと冷やした目玉、よく意味がわかりませんでした。 

力が入らない、という意味のウチナー口でしたか。 

私の場合、昨日の延長線の残りでチルダイです。 
すぐ帰るつもりが朝六時ですモンね、イエーマンチュには到底勝てません。 
それで歯医者に行くだの、買い物をするだの、予定を話し合っているんですから、さしずめ私なんか子供扱い、もう高三、いや降参です。 あんらぎ 2008年11月14日 13:46 
バックアイさん 
確かにチルダイというのは単に気が抜けるとかでなく、精神の休養にはかかせない現象かも知れませんね。 
何しろ人間ですからね、ロボットではないからどこか精神が疲れたり、気持ちが落ち込んだり、そういう波がありますね。 

そういうチルダイの時はしばらくそのままチルダイしておいたほうがいいかも知れませんね。 あんらぎ 2008年11月14日 13:48 ブッシュがニュークリアーをニュークラーと発音して笑われたと書きましたが、スペルがすべってました。 
Nuclearですね。核兵器がNuclear weaponでした。 

クリアーじゃなかったですね。やはり人のことを笑えません。 あんらぎ 2008年11月14日 14:04 ○ハラさん 
八重山、石垣で飲めー飲めー攻撃にあって大変だったようですね。 
朝6時までのおつきあいとはその日の観光日程が頭はボーとして確かにチルダイ状態になってしまいますね。 

かずよしさんが、かじゅーと呼ばれているそうですが、僕の3姉は和江と言いますが、お婆さんはそれが言えなくてかじゅーと呼んでいたのを思い出しました。 

沖縄独特の発音がありますのでね、ぼくはヒルシと呼ばれてましたね。 あいさいおじさん 2008年11月14日 15:35 あんらぎさん 

超極秘情報ですのでだれにも言わないでくださいね。どうも総理の出身の学習院大学が総理に“学習院の出身だ”ということを言わないでほしい、という申し入れがあったそうですよ。これ、まじっすから。官房副長官が3人いますがそのうちのひとりがボクの友達で、彼から聞いたんです。言われた当人は“あっ、そう”とベタな返事をしたようです。

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『椿事件』 

1993年9月21日、民間放送連盟の「放送番組調査会」の会合の中で、 
テレビ朝日報道局長の椿貞良が、選挙時の局の報道姿勢に関して 

「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。 
今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、 
なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる 
手助けになるような報道をしようではないか」 

との方針で局内をまとめた、という趣旨の発言を行う。

(ウィキペディア「椿事件」)削除

無題(5)Yahooブログより転記

続きを読む コメント(2)| ホイアンのクルーズ(ベトナム)編集する 2008年06月08日08:43 ホイアンではオーダーメイドのスーツを1着20ドルで作ってもらい、ホテルに届けてもらった。その他にはホテルのフロントの情報でクルーズツアーがあるというので一人13ドルの料金で参加した。バスがホテルに参加者をピックアップに来て、いくつかのホテルを回

続きを読む コメント(2)| 20ドルのスーツ(ベトナム) VS 6100ドルのスイカ(日本)編集する 2008年06月07日11:04 CNNニュースを見ていたら日本で6100ドルのスイカが出荷されたというニュースが流れていた。その前日はミクシィニュースでも確か30万円もする宮崎産のマンゴーが出荷されたというのを読んだ。6100ドルのスイカとは何だろうと思ったらカニ太郎と名づけられた黒

続きを読む コメント(2)| 日米借家事情編集する 2008年06月06日10:50 日本を出国以来、アパートなり借家を8回契約している。その合間に長期滞在のモーテル生活も2ヶ月、1ヶ月と経験した。モーテルは長期契約ということで割引をしてもらっても一泊30ドル~40ドルくらいだと、ひと月で900ドル~1200ドルくらいになる

続きを読む コメント(2)| 下界(階)の懲りない面々編集する 2008年06月05日20:17 

マイミクの○ハラさんが最近のテクノロジーの進歩ということについて書かれていて、その中にヘッドフォンの性能の素晴らしさについて触れていた。ヘッドフォンということで思い出したことがあったので、ついついその日記に対してのコメントが長くなって書いた

続きを読む コメント(4)| 指名候補オバマ氏に決定編集する 2008年06月04日23:16 ■クリントン氏「守りの選挙戦」に終始、独自色出し切れず(読売新聞 - 06月04日 23:02)http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=508366&media_id=20国民皆保険を公約に掲げていたヒラリー女史に指名候補になっていただきかった。オバマ氏のカリスマ性が経験のな

続きを読む コメント(4)| なじみのスナック編集する 2008年06月04日20:38 日本にはスナック文化というものがあるような気がする。もちろん、アメリカにもそれなりにお酒を飲む場所はあるのでそれなりの文化というのがあるのだろうが、スナックという形態は日本独特のユニークなものではないかと思う。もうこのところ外に飲みに出かけ

続きを読む コメント(2)| 足跡19191の方は・・編集する 2008年06月04日20:17 mixiからのお知らせです。あんらぎ ヒロ さんのページ全体のアクセス数が19191アクセスを超えました。記念すべき19191アクセス目の訪問者はGandhi-Ganjee さんでした!以下のURLより Gandhi-Ganjee さんのプロフィールを見ることができます。これをきっかけに

続きを読む コメント(6)| アメリカの芸能界ニュース(日本の記事から)編集する 2008年06月03日20:50 http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_06/g2008060302_all.html女優のT・オニール容疑者逮捕…コカイン所持容疑 父親のライアン・オニールには小さい頃から殴られたりの暴力を受けていたらしい。10代ですでに麻薬にも手を染めたと図書館にあった自伝をぱらぱ

続きを読む コメント(2)| 発明品、テクノロジーの進化編集する 2008年06月02日21:55 電子レンジをPCに改造したというニュースがあってマイミクの○ハラさんがそのことについて書いてました。要は、レンジの扉部分にモニターをつけて中にはPCの機械部分を組み込んだということでレンジを箱だと思えば作れないこともないもので、自分でPCを組み立

続きを読む コメント(8)| Gatorland編集する 2008年06月01日23:41 

きのう卒業式が12時には終了したのでオーランドに出かけたついでということでGatorlandを訪ねてきた。ワニ園から始めた私立の公園で昔ながらのスタイルのまま自然のスワムプ(湿地帯)を利用した本格的な自然公園だった。http://www.gatorland.com/gatorcam

続きを読む コメント(6)| 卒業シーズン編集する 2008年06月01日10:21 

家内の関係する高校の卒業式がフロリダセントラル大学のアリーナでありーなということで車の運転手として参加してきた。ワタクシ自身は高校の卒業式に出ていない。東京へ受験に出かけて、さらにそこから大阪万博を見にとでかけたきり帰って来なくなった(体の

続きを読む コメント(2)| 靴磨きの少年 ベトナム⑤編集する 2008年05月30日19:49 フエという昔王宮があった町に出かけた。カフェというかとても簡単なつくりの食堂があったのでそこでコーヒーを飲みながら休憩していたときのことである。客は僕らのほかには誰も居なくて、ゆっくりと休んでいると靴磨きの少年が二人やってきた。一人はやせて

続きを読む コメント(2)| スリーファンキーベィビーズ編集する 2008年05月29日20:00 先日、メモリアルデーでのことを書いて思い出したことがあるので簡単に書いて置きたい。ワタクシが小学校から高校時代にかけて沖縄のRBCというローカルTVに田辺製薬がスポンサーの「田辺マルゴホール」という素人かくし芸の番組があった。のちに地元のお菓子

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続きを読む コメント(6)| 自殺なんかするなのメッセージと受け取りました編集する 2008年05月28日11:10 悩みのない奴なんていないさ。皆、毎日悩んでんだ。もっと苦しんでいる人だらけだ」と、自らの芸人人生と比較しながら述べ、さらには「そんな次元の悩みで、自殺を選ぶなんて(中略)ただ育ちの良い世間知らずで、打たれ弱いお嬢さん、と思われてもしょうがな

続きを読む コメント(4)| 石を投げる少女③ベトナム編集する 2008年05月27日20:51 多分、メコンデルタツアーに組み込まれていたのだと思うが、小さな船で小さな島に渡った覚えがある。その島の産業が焼き物だった。船を降りると10人位の少年、少女が僕らツアー客を取り囲んで手に持った壷だの、茶碗だのを売りに早速やってきた。口々に何か

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ほぼ毎日ミクシィは更新しているのですが、コピー、ペイスト、さらに写真の添付などになると面倒くさくてついついこのYahooは放ってしまいがちになります。

また、本文をちゃんと書き込みしないといけないと反省です。削除

2008/6/26(木) 午前 2:16anr**i2hi*o返信する

  

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★日本よ あの時代の自信を取り戻せ!!! [東京オリンピック] 
この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/nasda20_03/56042608.html削除

2008/8/3(日) 午後 4:27nas*a20*0* ]返信する

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日記一覧携帯から日記を更新する
1件~30件を表示次を表示アンティ メアリー編集する 2008年06月25日13:22 ボストンに住む家内の叔父さんの奥さんにアルツハイマーの初期だという診断が出た。イラク戦争が始まったときは失望感から鬱状態になって薬の治療を受けたりもしていた。熱心なカトリック信者でとても心の温かい人である。つい先ごろ82才になったばかりで、

続きを読む コメント(2)| ルーツ探し編集する 2008年06月24日12:29 義母からこういうのが来ていたということで家内共々見せてもらった手紙があった。差出人はカナダのモントリオールに住んでいる女性で、その手紙によると前に電話したら耳が遠いようでお互いに充分コミュニケーションが取れなかったので手紙をしたためたという

続きを読む コメント(4)| 無料だからでしょうね。編集する 2008年06月23日12:17 ■足代わり119番、救急車「予約」…非常識な要請広がる(読売新聞 - 06月23日 03:02)http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=525732&media_id=20困った問題ですね。とはいえ、アメリカで夜中猫に噛まれたくらいで消防車を呼んだワタクシが批判する立場にはあ

続きを読む コメント(2)| 6,23日 沖縄県慰霊の日編集する 2008年06月23日11:59 きょう6月23日は沖縄戦が終了された日ということです。正午には沖縄の糸満市にある摩文仁の丘で戦没者慰霊祭が行われる予定かと思われます。ワタクシもその時間には黙祷しようと思います。戦後63年、戦争体験者の方々が高齢になりその戦争体験の継承がい

続きを読む コメント(3)| 難聴者にもよく聞こえるラジオ編集する 2008年06月23日11:48 義母は耳が遠い。右耳はほとんど聞こえず、左耳に補聴器をつけている。その補聴器も具合が悪いときなど、家内は電話口で怒鳴って話している。その義母が寝るときは補聴器をはずしてラジオのトークショーを聞きながら寝入るのだという話をした。不思議なことに

続きを読む コメント(8)| ミステリーメニューの謎編集する 2008年06月21日14:38 

義姉夫婦は約3時間ほど北に行ったメイン州に1984年に日本円で約300万円で購入したという別荘を持っている。別荘といっても一部屋だけの簡易住居だったのを自分たちで改造したり、大工を入れたりして長年かけて住み心地のいい家に仕立て上げたものであ

続きを読む コメント(4)| 黄昏編集する 2008年06月20日13:27 たそがれの灯火は ほのかにともりて なつかしき山小舎は ふるさとの小径よ 思い出の窓により 君をしのべは 風は過ぎし日の 唄をばささやくよ  ♪おっと、そのたそがれではない。青春、朱夏、白秋、玄冬と季節の移ろいの如く人間の歩みにも人生のそれぞれの段

続きを読む コメント(6)| ボストンは秋だった?編集する 2008年06月19日22:53 昨晩、ボストンから戻ってきました。最低気温が60F(18度くらい?)で最高気温も70Fで長袖が必要なくらい涼しかったです。その2,3日前までは記録的な猛暑だったそうです。中西部の大洪水被害、竜巻被害とこのところの気候変動はちょっと気になるとこ

続きを読む コメント(14)| ミクシィしばしお休みです編集する 2008年06月12日23:41 

1週間ほどミクシィ更新をお休みします。家内の母、僕にとっては義母(愛子ではない)にあたる方に会いに行くのです。88才、足腰はかなり弱ってますが、まだ一人で自活していて車も運転しています。しかし、その運転が覚束なくなってきたこの頃、大したこと

続きを読む コメント(6)| ノルマンディー編集する 2008年06月11日21:17 パリ市内からノルマンディーまではそう遠くはなかったような印象がある。ノルマンディというとやはり思い浮かべるのは第二次大戦での連合軍の勝利を勝ち取ったDデーのノルマンディ上陸作戦であろう。最近ではトム・ハンクス主演の映画でもその作戦の生々しさ

続きを読む コメント(4)| ブリジードとのパリでの再会編集する 2008年06月11日10:22 ベトナムのハイフォンベイで出会ったブリジードさんを訪ねたのはその翌年だったような記憶がある。11年ほど前のことである。別に彼女に会いにパリに出かけた訳ではなく、せっかくパリにいるからと連絡したら是非泊まって行くようにということで、迎えに来て

続きを読む コメント(2)| ハノイ(ベトナム)編集する 2008年06月10日21:10 ハイフォンベイクルーズでは夫の出張についてきて夫は仕事だからと一人でツアーに参加しているという女性に出会った。ブリジードという気さくな30才を少し越えた感じの方でフランス語訛りの可愛い英語を話していた。パリに住んでいるというが、生まれも育ち

続きを読む コメント(2)| ハイフォンベイクルーズ ②編集する 2008年06月10日03:21 ハイフォンベイ観光で乗ったクルーザーにはフランスからの養子縁組ツアー一行も乗り合わせていた。10組ほどのカップルで年齢は30を少し越えた方たちに見えた。その中のカップルの方と家内とが何かのきっかけで会話が始まった。生まれて間もない赤ん坊との

続きを読む コメント(2)| ハイフォンベイ(ベトナム)編集する 2008年06月08日22:51 大体この日記は思いつきで書いている。Googleなり、自分で書いた記録なり(あればの話)を調べて書けばもっと正確に書けるとは思うがそうはしない。なぜなら、面倒くさいからである。人間の記憶というのはあまりあてにならない。僕も約12年前にベトナムを旅

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2008年05月29日
先日、メモリアルデーでのことを書いて思い出したことがあるので簡単に書いて置きたい。 

ワタクシが小学校から高校時代にかけて沖縄のRBCというローカルTVに田辺製薬がスポンサーの「田辺マルゴホール」という素人かくし芸の番組があった。のちに地元のお菓子会社にスポンサーが変わって「オキコワンワンチャンネル」という名前になったが中味は同じでアシスタントの二人の女子高生のうちの一人が内間明美、のちの南沙織であった。 


素人の出場者が得意な歌やかくし芸、楽器演奏、コント、踊りなどを競うもので毎週チャンピォンが決定、それが何週か勝ち抜くとグランドチャンピォンになるというものである。物まねや一升瓶を頭に載せたままカチャーシーを踊るお婆さんなどといった芸達者な人たちで当時の日曜日の人気番組だったのである。 


その番組に60年代の半ばだと記憶しているが「スリーファンキーベィビーズ」という米兵3人組が出場して、毎週勝ち抜きグランドチャンピォンになるという出来事があった。 


今、考えると当時のアメリカで人気のあったジェリー・ルイス風のどたばたコントをしていたように思える。ベビーカーに乗って哺乳瓶をくわえた男性と後の二人が動きで笑わせるという感じだった。彼らはいずれもアメリカ中西部の田舎出身の陽気で人の良さそうな若者たちだったような気がする。徴兵で兵隊にとられ沖縄に駐留していたのだろう。 


残念なことにその当時はベトナム戦争がたけなわの時代であった。しばらく経って沖縄のローカル新聞が彼ら3人の死亡を記事にしていた。アメリカ兵でベトナムで戦死して死亡欄にも名前が載ったのは後にも先にもこの3人だけではなかろうかと思う。 

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=514983581&owner_id=6086267 ヒッチハイカー

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○ハラ 2008年05月29日 22:53 あんらぎさん、 
「沖縄オバァ列伝」と言う番組の中で、バイロンという黒人のアメリカ人が出ていて、三線を弾いて、片言のウチナ~口を喋って居ました。 

また、比嘉光龍というこちらは見た目は白人、喋る言葉はウチナ~口、と言う人が別のテレビ番組で若い人にウチナ~口を教えていました。 

私はルーマニアで通訳のネコちゃんに英語を教えて貰いましたし、昔のNTV系の番組で通る人に英語で話しかけていたウィッキーさんは、スリランカの人でした。 

見た目がどうだから何語を喋る、と言うのもあまり当てになりませんね。 

日本の芸能界にいるウェンツ瑛士君というのは見た目は白人ですが英語は苦手だそうで、関根麻里さんはボストンへ留学していたので英語ペラペラ、宇多田ヒカルさんもペラペラのようです。 

何カ国語も喋れるあんらぎさんは地球人ですが、三カ国語が怪しい私は地方人です。 あいさいおじさん 2008年05月30日 08:47 ヒロさん 

渋谷を歩いていると三人に一人は外国人ですね、で、残りの二人が日本人か、と言えば中国、台湾、韓国の人の可能性もあるので、更に外国人のいる割合は高くなります。とにかくこの島国の日本でさえワールドワイドになってきている、ということで言えば、外国人、という発想はやめて、世界を渡り歩いてきたあんらぎさんのような、われら全て地球人、という考え方に変えるべきでしょうね。理想形はそうなんでしょうが、町内会だってもめるんですから、ましてや国同士においておや、ではありますね。 

ボクは北海道にも行ったことがない、しがない地球人ですが、いずれは地球を飛び越えた、宇宙人になりたいと思います。それが無理なら、せめて宇宙塵になって恒久の宇宙空間をさ迷えればいいかな、と思ってます。ブラックホールに飲み込まれるのが関の山かな? 





あんらぎ 2008年05月30日 20:07 ○ハラさん 
民謡なども外国人がうまく歌ったり三味線などをうまく演奏したりすると驚きますが、日本人はまたいろんな外国の楽器やら歌やらを結構うまくマスターしているのにあまり驚かれませんね?? 

音楽的センスのある人間にはその興味を持った楽器やら歌やらは案外簡単にマスターできるのかも知れないですね。ただ、やはり外国人が日本の伝統的な音楽をするというのが珍しいことではありますが。 

比嘉光龍という方は母親が沖縄の人で顔や姿は西洋人ですが、さらに若いのにウチナー口が上手で僕もびっくりしました。Youtubeで僕も見かけて紹介しましたがプロフィールではやはり英語はうまくないようです。若いときに父の国、アメリカに出かけてさらに自分の内なる沖縄の血がたぎったような感じの人ですね。 

沖縄芝居の長老あたりに弟子入りして民謡やウチナー口もちゃんと習った方のようで、そのウチナー口のセンスは顔を似合わず素晴らしいものがありますね。 

英語はアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドあたりが主に使っているのでしょうが、世界で15億人ほどが日常的に英語を使っているそうですから、人種とは関係なくやはり世界の言語ということになるのでしょうね。自分たちのもとからの言語でないからとか、どうのこうの言われますが、やはり便利性を優先したら英語が一番世界的に共通した言語だと思います。 

僕は忘れかけたウチナー口と標準語である日本語、英語を少々理解して簡単な意思表示とコミュニケーションを取れること、簡単なイタリア語を聞いてわかるというより話の流れの中で大きく間違えない程度です。イタリア語の関連から少し、スペイン語も聞いていて多分こういう話ではないかなと想像できるときがあります。 

やはり語学はもっと若いときからやったほうが良かったですね。意識的に英語を学び始めたのも遅く、すでに40過ぎてましたからなかなかペラペラにはなれません。いつまで経っても英語が上手にならない恥泣人でだんだん痴呆人になりつつあるような気もするこの頃です。 あんらぎ 2008年05月30日 20:19 あいさいおじさん 
東京の外国人居住率は8年以上前に比べてもさらにアップしたような感じですね。 
西洋系の顔立ちだとひと目で日本人でないことがわかりますが、またハーフの人たちも増えているようで、今は顔立ちだけでは日本人なのか外国人なのかの区別もさらに判断が難しくなっていそうですね。 

特に、中国や韓国の人たちは電車の中でも日本人なのかそうでないのか区別はつかないですね。 

赤羽の居酒屋に入ったら喫茶店のような感じでボックス席のように境を植木に入った植物でお互いの席が見えないようになっていたところに入ったら、何気なく日本語の会話が聞けました。帰りがけに会計をしているとそこからは客席が全面的に眺められかなりの人たちがロシア人女性でした。 

会計にもロシア人女性とこれから同伴出勤するであろう男性の客と一緒の方がいて、流暢な日本語を話していました。どうやらその居酒屋は近くのロシアンパブか何かの待ち合わせ場所としても使われている感じでした。 

外人だから日本語が話せないのは当たり前という時代から、ロシア人やらアメリカ人やら日本語が上手、さらには日本の伝統文化にも造詣が深いという外国人が増えているのでしょうね。 

宇宙をブラツクというのはロマンがありますね。そして最後はブラックホールに飲み込まれる。でもあいさいおじさん、ブラックホールがあればホワイトホールもあるそうです。これは一瞬にして空間移動をして他の宇宙空間に吐き出されるそうですから、何?何?今のは何だったの、ここはどこ?わたしは誰?状態になるのでしょうね。

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あ…。
なんだかセンチメンタルジャーニー(懐)な気分になりました~。

とっても、ありがとうございます ですぅ~♪削除

2008/6/11(水) 午前 11:48りぃ子 ]返信する

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TOKI 2008年03月02日 13:20 VISTAのPCでの再デビューおめでとうございます。 
メール出しておきました。是非、SKYPEやりましょう。 
一気に世界中の色々な人と交流が出来ます。 Gandhi-Ganjee 2008年03月02日 14:17 Welcome back to mixi! 
そしてインターネットの世界への帰還。 

この間ずっと、アラキさん(「あんらぎ」より呼び慣れたこちらが口を衝いて出ます)の最新の日記がないと、やはり何か淋しい、物足りない感がありました。 

また日記、コメントを期待しています。 
(実は当方も自宅のPC環境は良くないままなんですが…。) 

matsu 2008年03月02日 20:22 新しいPC購入、おめでとうございます。 
毎日アップでヘビー・ミクシーユーザーのあんらぎさんのタイトルが無いと 
ちょっと寂しい気がしました。しかしソニーのVAIOがその値段は、かなり安いですね。通常その値段では、HPとかDELLなんかが多いと思います。 ○ハラ 2008年03月02日 21:12 ♪帰ってきたぞ、帰ってきたぞ、あんらぎマン♪ 
って、何かの歌にありましたね。 

まあ、とにかくまた復帰できて良かったですね。 

いつも使っているモノが、ある日突然使えなくなるとホントに不便ですね。 
いつも使えて当たり前、と思っていても実は落とし穴があります。 
機械は壊れるモノ、餃子は傷むモノです。 
そして、頭の毛は抜けるモノです。 あんらぎ 2008年03月02日 21:33 TOKIさん 
新しいPCには前にはなかった機能がいろいろついているようなので、それらを使えるようにしたいと思います。使い勝手やいろんな情報などありましたら、よろしくお願いします。 あんらぎ 2008年03月02日 21:39 Gandhee-Ganjeeさん 
7年も使っていたPC(もっともメール、ネット、写真のアップくらいにしか使ってなかったのですが)だったんですが、やはり寿命だったと思います。それに速度も遅いし、Youtubeも一時停止しながらしか見られない(苦笑) 

新PCは今のところどういう機能がついているのかわかりませんが、前のPCよりスピード感がまったく違いますね。これからまたよろしくお願いします。 あんらぎ 2008年03月02日 21:51 Matsuさん 
ありがとうございます。 
毎日更新も今のところ前にYahooブログに書いたものをコピー、ペーストしているだけなので可能なんです。 
自分自身の中にはあまりにも日本語環境にどっぷりと使っているのではないかという反省もあり、英語、日本語の生活での比率をもっと英語よりにしなければという気持ちが強くなってきましたね。 

PCがほんとに安くなって、当初はチラシにあった$499,99のCOMPACを買おうと”BEST BUY"という電化製品のディスカウント屋にでかけたら、SONYのバイオが2台だけ$599,99であったんですね。 

それに$32のワイヤレスマウスとPC本体と同じメモリー容量だというFreeAgent GOという$100ちょっとというのがサービスでついてきました。COMPACよりはVaioがよかばいおと思い、Vaioにしました。 あんらぎ 2008年03月02日 22:00 ○ハラさん 
PC復帰にはいろいろ情報を提供いただきありがとうございました。 
今のPCは入力システムの変更で中国語だろうが、アラビア語だろうが、キーボードを切り替えられるようになっていたんですね。 

てっきり日本語操作システムは日本で買うしかないと思い込んでいました。($150で日本語操作システムとキーボードの取替えはできるそうですが) 

画面表示は英語ですが、もっとも日本語表示されていてもよく意味はわからなかったので結果的にはどちらでもそうたいして変わりないです。これからビスタの操作マニュアルを英語で読まなければならないようなので、これも勉強だと思えばそう苦になるものでもないです。 

コンピュータが使えなくなると、カンピュータのほうの冴えがでてくるような気がしないでもないです。あまりにも情報に取り囲まれているのもどんなものかなという反省も少しありました。 れもん 2008年03月02日 22:56 お帰りなさい 

私はPC本体よりもモニターよりもキーボードの方が 
駄目になります 
力がありすぎでしょうか 

主人はカーナビばかり頼っていたら 
カンピュータが働かなくなりましたョ。 



saco 2008年03月03日 02:18 ご無沙汰です。あんらぎさん! 

トレドは、コートを脱いだ途端、暑っ!な陽ざしです。 
春ね~なんて、感じることなく、いきなり夏です。 

私も、去年の夏に帰国した時に、VAIOのVISTAを買ってきたんですが・・・13万ぐらいしました。(高っ!) 
で、新品なのに・・・ 
いきなり、あまりの荷物の多さに、成田で、落とした!(怖っ!) 

でも、使えているから、ま、いっか!ですが・・・ 

なにはともあれ、ご復活おめでとうございます あいさいおじさん 2008年03月03日 10:38 ヒロさん 

いやいや、ヒロさんではなくヒーローさんの凱旋、といったとこですね。スゴイ!! いかに皆さんが待ち焦がれていたか、という証明ですね。 
ボクも最近PCを入れ替えました。これが最後のPC、と思っていたのですが購入先のPCのプロが言うには逆にPCの寿命は短くなってきている、と言うのです。大容量化、HDDの高速化等が理由のようです。ということでいうと、もう一回ぐらいは交換があるかも、そのときはヒロさんにアメリカで買ってもらう、という選択肢を入れておく必要があるかも… 

ヒロさんの復活を祝う気持ちは皆さんと同じです。立て板に水のアンラギ節の復活、ほんとうにおめでとうございます。当方相変わらず忙しいので、横板に餅、の書き込みしかできませんがこれからも長いお付き合いを。 あんらぎ 2008年03月03日 11:23 Sacoさん 
ありがとうございます。 
画面表示が英語だけで、日本語入力にしたら前のPCとそう大して違和感はないですよ。 

このVAIOの機種は南北アメリカだけでの発売みたいですね。だから安いのか、なぜ安いのかはわかりません。きっと価格競争とかで値下げしたのと、PCは3ヶ月ごとにモデルチェンジするといいますからちょっと型が古いものなのかも知れないですね。 

スペインでもきっと安いのではないでしょうか? 
しかし落としても壊れなかったというのはラッキーです。 あんらぎ 2008年03月03日 11:27 れもんさん 
7年間、一度も壊れなかったキーボードの文字腱が猫が歩いただけでPの字がはずれてしまいました。 
細いプラスチックが下についていてそれではめ込むようになっているようです。とりあえずくっつけましたが、文字盤の仕組みがわかってよかったです(笑) 

しかし、れもんさんのPCも7年も使っているのですね。メモリー増強とか、旦那さんが専門家だからそういうメンテナンスがちゃんとやられているからなのでしょうね。 

僕は買った当初から、なにもせずなにもソフトもいれないまま使っていたので、負担があまりなかったからなのかもしれません。今度のも大切に最低でも5年は使いたいと思います。 あんらぎ 2008年03月03日 11:38 あいさいおじさん 
職場にフランシタイさん、いやフランケンシュタインさん、でもないやアインシュタインさん?というニックネームのPC専門家がいらっしゃるようなのでPCで困ったときはその方にすべてお任せすればいいというあいさいおじさんはラッキーですね。 

僕のPCが7年も使えたのは買った当初から一切のソフトを入れず、CDも聞かず、最近まで映像さえ見てなかったからではないかと思います。これはPCを大切にしようと思ったからではなく、単にPCの知識がなかったからなんです。 

メールと写真、バックアップのCD製作、ネット、それに最近は映像関係も見るようになったせいなのか、ある日突然・・という感じでしたね。 

なるたけ、CDはCDプレーヤーで聞くことにしてせめて5年は使いたいと思います。その頃だと修理するよりも新品のほうがまた新たな性能を備えて売りに出されているのかも知れないですね。 

僕はかえって日本語操作の使えるということで日本で買うことしか頭になかったのですが、こうして日本語がタイプできるのなら安く買えるところならどこで買っても同じですね。ただし、日本語操作で、キーボードも付け替えると150ドル余分に出るそうです。それでも599ドル+150ドルでは750ドルに税金、さらにサービスで何かがついてくるならやはり安いでしょうね。 

次回、アメリカで売っているPCでもよければぜひ、値段のお勉強から初めて比較、それで納得がいったなら購入することを考えてもいいかも知れないですね。 


+なるべくまめに更新は心がけるつもりですが、
こちらのYahooブログはこれから不定期とさせていただきます。気が向いたときにお越しください。

  

2008年03月02日13:00 

ちわ~、PCいたし、かゆしでぇ~す。 

い;いやぁ、PC復活の最初の登場とは光栄なことですね、かゆし君。 
か;ほんまやなぁ、あんらぎさんも7年も使うてたPCがいかれてもて、往生したけど清水の舞台で地団駄を踏む覚悟で新しいのを買いましたな。 

い;何ですか、それを言うなら清水の舞台から飛び降りたつもりでというんじゃないですか。清水の舞台で地団駄踏んだってしょうがないですよ。 
か;あほかぁ~。あげな高いところから飛び降りたら死んでまうやないか。地団駄踏むくらいでええんや。 

い;まあ、もっともフロリダからなら清水寺まで行く手間で今回あんらぎさんが買ったPC なら2台は買えますからね。ソニーのVAIOのVISTAで599ドルで買えましたからね。 
か;ほんまにPCが安うなってしかも性能は何倍もアップしてまんなぁ。アメリカで買うたPCで日本語がタイプできると知っていたなら8ヶ月ほど前にスクリーンが壊れてもて、見えないんで液晶モニターを買ったそうやが、それだと新品のPCをその時に買ったほうがよかったでぇ。 

い;そうですね。まさか、アメリカで買ったPC で日本語がタイプできるようになっていたとは知らなかったんですね。しかも、PCのメモリーに相当するという外付けの記憶ガジェットと、ワイヤレスマウスまでがサービスで付いてきましたからね。それだけでも130ドルくらいするらしいです。 
か;それを考えるとかなりお得だったんとちゃうの? 

い;マイミクの方から使わないPCを送ってあげようかなどというありがたいお申し出もあったりで、それは嬉しいことでもありましたね。 
か;ほんまに親身になっていろいろ情報を伝えてもらったりと感謝せんとあかんでぇ。 

い;そうですね。またこれからMixi復帰ということで徐々にお礼を兼ねていろいろ交流を深めて行きたいものですね。それに1週間ほど世間を見てないといろいろなことが起こってますね。 
か;そうやで、海自のイージス艦の漁船との衝突、三浦友和のサイパンでの逮捕なんでありましたな。 

い;友和は百恵の旦那さん、疑惑の人は三浦和義です。しかし、「天網恢恢疎にして漏らさず」とはよく言ったものです。 
か;何ですか、そのいんもうかいかいしょうべんもらさず・・ちゅうのは? 

い;なんてことを言うんです。天網、神様の投げた網は目は粗いが決して悪は見逃さないということです。 
か;なるほどなぁ。27年前の事件やで、今頃の若い人はそんなん知らんがな。それに三浦のおっちゃん、浦島太郎みたいに白髪になっていて年取った写真でしたな。 

い;事件があったのは彼が30代の前半の若い頃ですからね。それがいきなり60才のおじさんとして写真で見たらそれはショックを受けますね。 
か;まあ、まったく人のことは言えませんがな。27年も経てば大体の人は年取ってますがな。 

い;しかし、このPCは猫が好きみたいですね。トラがキーボードの上を歩いてPの文字盤がはずれてしまいました。元に戻したのですが、打っているとまたはずれますね。 
か;まあ、それはしょうがおまへん。なにしろ、このPCにはマウスが一緒についてきました。 
ちゃんちゃん。

無題(4)Yahooブログより転記

2007年12月22日22:36   4月4日(月) 

 インド、ネパール旅行のお世話になったCTI旅行社の社員アディヤカと社長のコーチャ氏を事務所に訪ねる。コーチャ氏は40代の小太りの紳士である。二人とも英語も日本語も堪能で日本の旅行社との繋がりも深いようであった。 

 飛行機の遅延などのスケジュールの変更で取消になったラジギールのホテルの代金と、5日分払い込んで、3日しか乗らなかった運転手付き車の代金、クシナガラで余分に支払った宿泊費の代金、総計10200ルピーの返還を要求する。 

 だがコーチャ氏の言い分はこうであった。ルンビニ ー カトマンズ間の道路が崖崩れで通れなくなったのは事実であり(道路に落ちていた岩や石をさけて通過したのだが・・)その連絡はテレックスで届いていた。あくまで突発事故であり、こちらの責任ではない。 

 また、運転手付きレンタカーは日程の料金ではなくて、距離数に関してであるから5日かかろうと3日かかろうと料金には関係ないのでその分の返却はできない。などと全額の返還を渋る様子をみせたのである。 

 こちら側からすれば、自然災害のがけ崩れは止むを得ないにしても僕らの宿泊先を知っているのでホテルにその旨前もって伝言さえあればその対処もスムーズにいったはずである。カトマンズに電話した際にも僕らの予約は受けてないと言われたのも事実で、代理店同士の連絡もうまくいってなかった様子である。 

 その点をつくとあっさりと全額の支払いを認めて、金庫からホッチギスで綴じられた幾つかの札束とおまけにダージリンティーまでお土産に持たせてくれたのだった。 

 もっとも彼らの仕事上の取り引き先である法華ホテルの八木氏に、これから日本に戻ったら東京でルンビニでお世話になったお礼を言いに会いに行くつもりである。家内は日本の仏教大学で英語の講師をしていてインドでの旅行体験記を大学の季刊誌に書くよう頼まれている。この旅行社であった出来事も事実を書くつもりだといった家内のでまかせが将来のビジネスを懸念したコーチャ氏に効を奏したのは間違いないだろう。

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○ハラ 2007年12月23日 01:35 あんらぎさん、 
あんらぎ夫人の言葉で返した金かも知れませんが、まあこの紅茶氏も返さなくても良いのならやはり返したくないのですね。 

どうも言われれば返す、言われなければこっちのもの、のような感じがして日本人の神経から行くと、どうも気配りだの、配慮だのが足らない感じがします。 

外国に行って、日本人でない人に日本人並の配慮を求めるのが、所詮無理な話かも知れません。 
もしかしたら、日本人は日本人でも外国に住んでいる日本人では、その国並のやり方に染まっているかも知れませんから、かえって日本人で無いだけ紅茶氏はまだ良い方なんでしょうか。 

紅茶氏がお金とダージリン・ティーを出してくれた、と言うのが何か可笑しかったです。 
日本語も分かるから、コーヒーでも緑茶でも無く、紅茶を出して印象付けを狙ったんでしょうか。 あんらぎ 2007年12月23日 02:18 ○ハラさん 
10200ルピーといういうのは日本円で30600円ですね。こちらはネパール - カトマンズの間を別に車を1万円で雇ったりして余分に出費していたり、宿泊しなかったホテル代なども払った計算になってたりしていたので当然の返還要求でした。 

コーチャ氏もまあ理屈を少し言ってこちらが納得すれば儲けものくらいの気持ちだったんでしょうね。こちらの理論的な説明にすぐに納得してお金を返してくれました。 

その10200ルピーですが、会社員や公務員の給与が2000~2500ルピーと聞いていましたから彼らの給料の5倍くらいの価値のあるものなんでしょうね。 

従業員のアディヤカも一年だけ大使館の日本語講座に通っただけと言ってましたが、その語学センスはかなり高いのを感じました。コーチャ氏とも挨拶の際には少し日本語でやりとりがありましたが、この方もアクセントもよくかなり流暢だと感じました。偶然、家内が電話帳で見つけた流行代理店でしたが、日本からの観光客受け入れも日本の旅行社と大々的に提携していたのかも知れませんね。 

コーチャ氏が紅茶をプレゼントしてくれたという洒落にはうっかり気づきませんでした。なるほどです。お江戸日本橋七つだちでなかなかええ紅茶でした。こうちゃええ、こうちゃええ・・

  

このブログ「あんらぎの海外漂流記」をお読みの皆様

いろいろあって、このYahooブログの更新を不定期にさせていただきます。

去年の暮れに友人からmixiへのお誘いがあり、今はその方へ主に書いています。そこからコピーした文章を載せるという状態でやってきました。

Yahooブログの良い点は書き上げた文章をそのテーマごとに書庫機能を使ってそれぞれ同じテーマで書いた文章を分類できることです。これはなかなかの機能だと思います。

それに対してmixiは日付順に書いた文章が並ぶだけです。特に日記を意識して書いているわわけではないのでこれは僕には不満のつのるところです。

このYahooブログにはこれからmixiに書き上げた僕のこれまでの旅行記録というか読み物形式で記録も兼ねて書いたものを不定期にまとめて掲載しようと思います。

僕自身がなかなか皆様のブログを訪れる時間が取れないので、どんどん常連の読み手の方もいなくなり、ちょっと淋しくなりつつあります。

皆さん、そういう訳で更新が少し不定期になるだけですからこれまでと変らずに時々覗いていただければ幸いです。

あんらぎ拝

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つぶやき(でたらめ日本列島-目敏く重要2件!!!)削除

2007/7/6(金) 午後 9:13nas*a20*0* ]返信する

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イメージ 1

6月23日は沖縄戦の終結した日です。沖縄ではその日は「慰霊の日」に制定されて、沖縄南部にある摩文仁の丘にある平和祈念堂では沖縄戦で亡くなったすべての戦没者を慰霊、平和を祈る式典が行われます。 

ところで写真は2005年にサンディエゴの骨董店で宣伝用ポストカードに使われていたものです。日本兵とキューピー人形という余りにも奇妙な組み合わせに去年の6月23日のこのYahooブログにも書いたのですが、あらためてご紹介します。 

まだブログなるものを知らない頃に何人かの知人にその写真をメール送信して見てもらい、その謎を推理してもらいました。 

*三ツ星の肩章は上等兵である。 
*インテリぽいので学徒動員の兵隊ではないか。(あえて敵国のキューピー人形を抱いて、戦争の理不尽さを訴えている) 
*いかにも出っ歯でメガネをかけた日本人のイメージなのでハリウッドの日系か中国系アメリカ人端役俳優の写真ではないか。 
などと言った感想が返ってきました。 

僕自身はこの写真は戦場から戦利品として米兵が持ち帰ったもので、当然その持ち主は戦場で死亡くなったものと思います。寄せ書きの書かれた日章旗や民家からアルバムなどを戦利品として持ち帰る兵隊も結構いたそうです。 

そういった戦場での戦利品を記念に持ち帰ったものが、当時、兵隊として戦場で戦った米兵も高齢になったり、或いは亡くなったりして遺産整理の段階で骨董市場に出始めているのかも知れません。 

キューピー人形を抱いた日本兵の心境としては出征前に妻が懐妊したという喜びでたまたま家にあったキューピー人形をわが子に見立てて写真を撮って貰った。もしかして生きて帰れぬかも知れない。せめて生まれてくる我が子には父と一緒に撮った写真があるのだと、お前のことを思い続けて父は戦場へ行ったのだと。せめて写真だけでも残して置きたかったということではなかったのでしょうか。 

ざわわ、さわわ、ざわわ♪ 風が通り抜けるだけ・・♪ 
(つい沖縄にしたけれど、フィリピン、硫黄島、サイパン、グアムなどの南洋諸島でもいい)その後生まれてきた娘は(これも勝手だが何となく女の子の方が似合うような) 
さとうきび畑を吹き抜ける風に吹かれながら父を思い続けるのだった。 

この写真を見ていると日本が2度と戦争を起こす国に、巻き込まれるような国にしてはならないとひしと思えます。 

http://www.youtube.com/watch?v=TW0U6cPOVbg&NR=1 夏川りみ「さとうきび畑」 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24808-storytopic-1.html  
沖縄戦を戦った元米兵 来沖、激戦地巡る

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平和祈念堂に行ったことあるんですが、また違う沖縄を見たような気がしました。削除

2007/6/28(木) 午前 1:20ドヤ返信する

  

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久しぶりですね。OL1993さん
僕はmixiもしているのですが、奥様もなさっているようですね。この間お邪魔してお元気な様子とオキちゃんの相変わらず元気な変態良い子ぶりの写真を拝見しました。
mixiも面白いですので、是非たずねてみてください。
あんらぎヒロ、出身地 沖縄で検索できるかも。削除

2007/6/28(木) 午前 6:46anr**i2hi*o返信する

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「屋嘉節」

屋嘉(やか)村(現在の金武町)には海岸の砂地に無数のテントが張られ、支給された衣服の背には、民間人捕虜と区別するために「PW(Prisoner of War)」という文字が記された戦争捕虜専門の収容所があった。本土出身兵5000人と沖縄出身兵4000人が隔離され収容されていた。 

民間人は屋嘉の南に位置する石川村(現石川市)にバラックが建てられて収用されていた。 

捕虜収容所では、缶詰の缶とベットの添え木、落下傘の紐で作った「カンカラ三線」を使い、歌や芝居が娯楽として(沖縄の独自文化が中央政府から抑圧されていた「反動」もあって)よく上演された。屋嘉節とPW無情は、共に「戦後初の民謡」と言えよう。 

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「屋嘉節」 

作曲:山内盛彬 作詞:金城守堅 新城長保 山田有昴  

1.なちかしや沖縄 戦場になやい 
  世間御万人ぬ 流す涙(袖ゆ濡ち) 

訳・・(嘆かわしい沖縄 戦場になって 
世間すべての人たちが 流す涙(袖を濡らし) 

2.涙ぬでぃ我や 恩納山登てぃ 
  御万人と共に 肌ゆさらち(戦さ凌じ) 

訳・・(涙をのんで我は 恩納山に登り 
皆と共に 肌を寄せ合い(戦争を凌いだ) 

3.恩納山降りて 伊芸村ゆ過ぎてぃ 
  今や屋嘉村に 夜どぅ泣ちゅさ 

訳・・(恩納山を降りて 伊芸村を過ぎて 
今は屋嘉村で 夜に泣いている) 

4.無蔵や石川村 茅葺ちぬ長屋 
  我んや屋嘉村ぬ 砂地まくら 

訳・・(愛しい貴女は石川村の収容所で 茅葺の長屋住まい 
私は屋嘉村の 砂地を枕にしている) 

5.心勇みゆる 四本入り煙草 
  淋しさや月に 流しいちゅさ 

訳・・(心を励ます 支給された4本の煙草 
淋しさは月に 流してしまおう) 



5月28日はアメリカはメモリアルデーでした。南北戦争の犠牲者を慰霊する目的で始まり、現在はすべての戦争で亡くなった兵士を慰霊するという公休日です。 

CNNやパブリックチャンネルでのニュースの最後にはイラクで戦死した若者の肖像写真に名前、年齢、階級、出身地が無音で延々と流れました。 

18才から30代ちょっとくらいの若者たちがほとんどです。アメリカは今、現在も戦争をしている国だという実感がさすがにします。 

僕はすべての戦争は施政者のミスリードだと思っています。戦争を起こす前にいくらでも手だてはあるのではないかと思っているからです。

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http://shop.sansin.gr.jp/cd/cd_detail?id=58 
「屋嘉節」作詞作曲した金城さんの歌った歌が聴けます。 
「屋嘉節」をクリックしてください。 
ただし、ほんのさわり程度です。削除

2007/6/1(金) 午後 1:56anr**i2hi*o返信する

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父親は誰?

何人かに同時に送られてきたのに面白いのがあったので紹介する。 

「あなたの父親は誰?」 
というタイトルでデトロイトにある子供支援エージェントに対する書類用紙の父親欄に記入された母親のコメントである。N01が一番面白く、その次がN03とあるのでそれら2つの訳を載せる。 

1、双子の赤ちゃんのAの方の父親はジム・ムンソンだとわかりますが、一方Bの方の父親は誰だかわかりません。ただ、同じ夜、妊娠したことだけは確かです。 

3、この女の赤ちゃんの父親が誰だかわかりません。イースト・グランド・ブルバード3600であったパーティで避妊をしないままセックスしたせいで生まれた赤ちゃんです。それはとてもすばらしいもので私は失神するほどでした。もし、そちらで彼を探せるようでしたら是非、彼の電話番号を教えてください。感謝します。 

わぁお~、あなたはこれらが正当な権利だと思えますか?あなた方はそのような母親をサポートするために税金を払っているのですよ。 

Subject: Who's yo daddy?? 



> The following are all replies that Detroit women have written on Child 
> Support Agency Forms in the section for listing "father's details;" or 
> putting it another way.... Who's yo Daddy? These are genuine 
> excerpts from the forms. Be sure to check out #11. It takes 1st 
> prize and #3 is runner up. 



> 1. Regarding the identity of the father of my twins, child A was 
> fathered by Jim Munson. I am unsure as to the identity of the father 
> of child B, but I believe that he was conceived on the same night.

> 3. I do not know the name of the father of my little girl. She was 
> conceived at a party at 3600 East Grand Boulevard where I had 
> unprotected sex with a man I met that night. I do remember that the 
> sex was so good that I fainted. If you do manage to track down the 
> father, can you please send me his phone number? Thanks. 
>

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N011が一番面白いという英文をN01が一番面白いと書いてしまいました。これは僕の老顔の、いや老眼のせいであります。 あらてめてN011の訳を載せます。 No11、私の赤ちゃんの父親は誰だかはっきりしません。結局のところ、豆の缶詰を食べた時にどの豆がおならの原因になったのかわからないのと同じようなものです。削除

2007/4/28(土) 午前 8:08anr**i2hi*o返信する

無題(3)Yahooブログより転記

CNNニュース

TVでCNNニュースを見ていると、日本の海上自衛隊募集のCMが流れた。
もちろん、アメリカ人を日本の海上自衛隊にリクルートしようという訳ではない。 

日本でもTVでこういうCMが流れる時代になったというニュースとしての紹介だと思う。 

軍艦の甲板の上でスマップと見まがう水兵さんが足を大きく上げてダンスをしているシーン、
若い男女の水兵の笑顔のアップでPEACEの大文字のアップで終わる。 

正直、度肝を抜かれた。
日本を離れて8年目こういう時代になっているんだネ。

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え???なになにそれ~・・・見てみた~い。こんなCM・・・あったっけ~??あんまりテレビを見ないからかな・・??ん~~~~そりゃすげ~・・・見てみたいな。削除

2007/1/5(金) 午後 1:30xrg*m*04返信する

  

日本では、そんなCM流れてないと思いますけど~・・・。びっくりです。どうなってるのでしょう? 見てみたい!!削除

2007/2/25(日) 午後 6:28yokko返信する

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freebie

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ワインをグラスに3杯くらいか、横になると少し酔っている。すきっ腹にワインなので効いたのかな?
写真はこの間無料の箱に入っていたペーパーバックです。無料はfree of charge, 只でもらえるものをfreebieというようです。

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すきっ腹にお酒を飲むとすぐにきますよね!freebie、勉強になりました!!削除

2006/8/28(月) 午前 10:43nam*12*ar*4 ]返信する

  

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お酒はいくら飲んでも酔わないときもあれば、すきっ腹、疲れているとき、ほんのビール一杯で出来上がることもありますね。削除

2006/8/29(火) 午前 4:31anr**i2hi*o返信する

  

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へええ・・freebie・・・へえええメモメモ・・・にしても、空きっ腹にワインですか・・効きそうだ・・・ウチナーおじさんのオススメのワインってどんなのかな?・削除

2006/12/26(火) 午後 2:39xrg*m*04返信する

  

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4ドルから5ドルくらいの安ワインで、結構いいイタリアワインがありますよ。家内が詳しいのでウチナーおじさんはただただ飲むだけです。赤ワインは健康にいいらしいですね。削除

2006/12/29(金) 午前 9:39anr**i2hi*o返信する

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本屋さんの花

Book Storeですね。Higspringに行ったときの帰りに撮った・・・町のダウンタウンの本屋さんの写真です。残念ながら土曜日の6時すぎで閉まってました。ダウンタウンといっても300m位に道を挟んでレストラン、お土産やが数軒の小さな町でした。

木造平屋でバルコニーにテーブルがあり、小さな箱にご自由にお持ちくださいという文庫本が数冊ありました。これまで英語本は3~4冊しか読んでないのですが、無料という言葉に弱いワタクシ、つい2冊も持ってきてしましました。そのタイトルが「Misisippi Madness」表紙の絵からすると冒険ロマンミステリーウエスタン不倫物語ってとこでしょうか。・・・多分読まないかも。

  

小泉強固

あきばさん、小泉強固お題いただきます。(おいおい、大喜利かいな)

小泉首相がアフリカ訪問の置き土産にスーダンの平和復興に何千億円かの援助資金を提供したというニュースを見ました。別に小泉首相個人の懐から出るお金ではないが、これはいいことだと思ったしだい。小泉首相には批判的な僕ではあるが、ほらちゃんといいところは見ているのである。

スーダンでは民族の対立か何かで、アラブ民兵が住民を暴行、強姦、虐殺していて、すでに30万人もの人々が殺されているという。正直、遠いアフリカのことでピンとこない。そういえば、2年前のスマトラ沖地震による津波の被害者も30万を越えていたと記憶する。そしてそれも過ぎ去ってしまえば、記憶の片隅に追いやられてしまった。

ERの話題もあきばさんに振ってもらったが、その番組でブレイクしたジョージ・クルーニーと元ニュースキャスターだったというジャーナリストの彼の父親がスーダンを訪れた番組が過日あったので見る機会があった。ナンビアで出産予定のプラット・ピットと結婚したアンジェリア・ジョりーといい、硬派のハリウッド映画スターの果たす啓蒙の効果は測りしれないと思う。若い女の子のあいだでアンジェリアのあの凶器の下唇を真似たメイクアップが流行っているらしい。

小泉強固からちと外れてしまった。また続く。

  

英訳

下の英訳です。

Americans, use more Internet to make world better 

The US is supposed to be leading the Internet. 
But I think Americans should use more of it to know the world more widely and more deeply. If so, particularly the majority of the conservative US citizens living in the countryside and supporting President Bush (and other US-centered, preemptivist hawks) do so, the world will be better--is this idea too simple?